第10話

不自然に、外にいる人は少なかった。みんな中に閉じこもって、指定された本でも読んで寝転んでいるか、そもそもこの町にもういないのかもしれなかった。由美は深呼吸をし、息がまだ乱れていても、だんだん冷静になってきた。この柳という奴が関わっていると変な感じで気持ち悪い。

歩いていく内に、向こうから誰かがやってきた。久しぶりに見る普通の人に、懐かしさを感じてしまう。赤の他人なのに。無意識に張り始めた唇に気付いた時、自分が笑みをこぼしてしまった事を恥ずかしく思ってしまった。この町を支配してそうな柳の手下かもしれないじゃないか。しかし、キャップとカジュアルなジャケットを着るこの男にそうであって欲しくなかった。

「よう、高部」

キャップの男が山口の挨拶に反応し、その方を見る。

何も言わずに頭を下げてから、無言で通り過ぎた。静かな住宅街で、寂しい足音の相手をしてくれるのはカラスだけだった。

「ちょっと待て」

いきなり話しかけられて、由美の背筋がピンと伸び、和らいでた神経を奇襲攻撃がいっきに駆け抜けた。

山口は微量の反応で適当に振り向いた。高部とかという奴に付き合ってる暇がなかったようだ。

「なんだよ、こっちには用事があるんだ」

「いや、ただ久しぶりに会うから話でもしようかと」

「はあ?お前は時々門の前で見かけるだけだったがよ。ろくに話もしたことないじゃないか」

「まあ、それはいいんで、もう少しこっちに来てもらえませんか?」

「...」

戸惑っていた山口が遠くにある豪邸をチラ見してからゆっくりと歩き始めた。案外この高部とは仲良しだったのだろう。

「なんだよ、忙しいんだ」

「山口。これは君のためだ。あ、そういえばお前の部下はどうしたんだ?新入りの。たしか、八木とか言ってたっけ」

「あいつがどうした」

「へっ、冷たいなお前」


なんだかさっきから違和感しかない。世界の全てが違和感包みで、私をからかう為に人工的に細工されたような。なんだろう。高部が山口を一瞬見てから、こっちに目を移した。

え?

「悪かったな」

3メートル先にある拳銃が火を噴き、胸から赤い液体がたれだした。眠気が急にさし、意識を無くす直前に落ちるのが分かる。撃たれた事より、その時思ったのは「頭を打ちたくない」だった。


東の腕に倒れていく由美を見た山口は、はっきりとした動揺は見せなった。そこにいた者からは、いつもどおりに無反応にも見えたかもしれない。死んでいく自分の象徴に眼を奪われても、もっと大事なものを取り返した。

解放感。

歯も砕けて、乾いた血の跡が残るブサイクな顔が内側へと崩壊するようにくしゃくしゃになっていった。泣き叫びたい衝動が喉に詰まり、気持ち悪い息しか通らない。由美の耳元で叫んでいる東も聞こえない。自分の中にある水門が砕けて、体の隅々まで脳の破綻を告げた。もうどうすることも出来ない。

「八木ー!」

心を満たそうとして名前を叫んでも、足元からそれが漏れ出してしまう。どうせあれだろ。柳がその弾を撃って来たんだろ。頭から由美が消えていき、その代わりに柳への憎しみが姿を現した。

八木。

いつもバカにしてたけど、

悪かった。

「大丈夫か!」

東が妙に嬉しく慌てている。よく見たら信濃の娘が胸の傷を確かめながらあたりを見渡している。

「どうだ、山口。由美の事をどう思っている」

「はあ?」

高部は笑ったいなかった。それでも、人生の偶然でこの時、山口を見下す事を楽しんでいた。それが高部の配役だった。同じく、汚く泣いて、由美に見とれた後、柳を恨む役は山口で果たされた。元々あった人間がどういう奴だったのかはもう関係ない。配役が決まり、脚本が書かれ、それを書いた役がすべてを決める。自分の全てをも。

山口に比べるとかなり優位な所に高部はいたが、その頭をやすやすと見下ろす者がいることを理解していた。いずれ頭を撃ち抜かれ、厚い紙袋に入れられた後、海に捨てられる。そういう役になってしまった以上仕方がない。穴居人が宇宙旅行を夢見るのと同じだ。自分は、自分ではない誰かの為に、壮大な島へと続く飛び石なのだから。

そして、高部というモブキャラも画面から吹き飛んだ。

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