第9話
「率直に言おう。俺はあなたに一目惚れした。真剣に付き合ってくれなど言わない。ただ、今ある時間で少し近づけたらいいなと思っただけです」
「俺はこの件がもっと早く解決する為に、ちょっとした事情聴取をしようと思っただけだ。なのに、個人的な感情で動いてるてめーに邪魔されてんだよ」
だけだ?それだけな訳ねーだろ。
「由美さん、少し時間を頂ければ、隣の部屋で話しましょうか」
この聞き方が悪かったのだろう。さりげなく仕事を装った、二人だけの空間。しかし、今、ここでは、女を口説く安っぽい男に嫌気が刺す程度では済まない。ものすごい恐怖、大事なものが、感情が、永遠に消えてしまうんじゃないかと思うと、自暴な怒りが溢れ出した。叫びながら八木は上司に襲い掛かり、無防備な山口を全力で殴った。収まらない気持ちに連打は続く。山口の顔からは血が流れ、歯が砕け、意識が殴打を喰う度に遠ざかる。拳が歌うビートは、活発なジャズにタンゴを申し入れた。活気なリズムに柳は腰を揺らす。もうすぐだ。もうすぐ。もうすぐ。もう...
東は驚きもしなかった。自分を驚かす音もなかったもの。
柳の窓台に置いてあった花壇は中で回転して落ちていく。銃口から赤いいきよいが暴れ出して、乱暴に弾丸を吐いた。木の枝に当たっても、ぶれる事のない綺麗な放物線を描いてゆく。その先にあった、窓を通して見える八木の頭に、一瞬で咲くハイビスカスの種を植えた。ガラスの破片と血が混じって、部屋の隅々まで散らかった。
丁度その頃、たいして離れてもいない工場で、クレーンが運んでいた重荷のケーブルが壊れ、重く固い鉄が地面へと落ちた。足元を数回揺らしてから、ずっしりとした体を横に倒した。
東と由美の耳へやっとたどり着いた複数の音は、混乱以前に沈黙を呼び起こした。スコープから眺める柳は、由美ではなく山口を観察していた。まだ意識がぼやけている山口にピントがぴったり合う。唸り声で痛みを伝えた後、ゆっくりと頭を上げた。ぬるい涙が顔を水彩画のように仕立て上げている。あたりを見渡すとまずは由美と目が合う。さっきまで感じていた怒りと恐怖の混交が、八木への嫌味と共に、不思議な程に消え去っている。
あらまー。
八木の頭が吹き飛んでいるじゃないか。
イヤフォンにノイズが少し走ってから、柳から命令が届いた。
「東と信濃を俺の所へ連れてこい」
動揺と吐き気が止まらない東と由美は、山口の後を茫然としてついて行った。いつの間にか逃げていった鳥達の鳴き声も戻っており、カラスがごみ袋を奪っては中の財宝をまき散らしていた。仲間が近づきすぎると、カーカーと羽を広げ、縄張りを訴えた。いつものように。
柳はライフルのスコープを外し、前もって決められた道路を歩く山口に目を合わせた。
「やっぱり、部下の死には当たり前のように反応するか」
これといったショックを見せない山口と違って、東は手を握りしめ、爪を深く自分に食い込ませていた。山口と八木は執着してしまった。なのに東はなぜそう普通でいられる?その要因、源を知らなければ!
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