第37話 またもや昔話

「昔、昔、とある地域に帝国があった。この帝国はとても商売が盛んで、人々は不自由なく、幸せに暮らしていた。広い、丁寧に置かれた石が道を仰ぎ、毎週のように祭りが開かれていた。戦争も無ければ兵士も無く、その町には一人、とてつもなく美しい娘が一人いた。それは王の娘、お姫様だった。この町の人々は皆、王とその代々続く家族が大好きだった。それはとても深い感情で、それを持たない者はだれ一人としていなかった。王が城から降り、町へと入って来る時は祭りが始まり、みんなは家を出てその王を一目見ようとした。道に膝をつき、馬車が通り過ぎる横で拝んだ。神という概念がない。その代わりに、王への愛があった。」

ここで父さんは一瞬喋るのを辞めた。息をし、私の方を見た。その顔を見上げる私を見て笑うと思いきや、観察するみたいに真剣に眼を合わせた。


お姫様は友達が少なかった。一人での外出は禁じられ、一人でいる事が多かった。道で見かける子供達と話そうとしても、不気味な目で見られるだけだった。兄弟もいない。兄弟がいないのは、母がいない理由と同じだった。お姫様が産まれるとき、女王が代わりに死んでしまったのだ。毎朝、眼の遥か遠くにそびえ立つ天井が寝起きを見下ろす。広い寝室の中が逆に息苦しい。心細く草原に取り残されたような、自然に腹を晒され子犬が泣きわめく。だけど姫は泣かない。そのまま窓へと足を運び、空を見上げる。空は好きだった。上る太陽の残光を掴む雲は、優しく笑ってくれる。冷たい天井とは正反対の性格だ。

「はあ」

静かに溜息をついてから朝のしたくを始める。

廊下を無数に点々する窓の一つへと這い上がり、その奥の裏庭の芝生を踏んだ。りんごの生る木の間を駆け回りながら、足の裏をくすぐって姫は踊った。空の天井は無天井。一本一本の木に日課の挨拶をしてから花壇の方へ行った。頭をゆっくりと横へ動かしながら、庭全体を見回した。

「ミー!どこ!」

葉っぱのかする音がし、白黒の猫が飛び出てきた。いつもながらの無関心な目つきで姫を一瞬見てから、ネズミ狩りやらを続けに行った。

「あっ、ちょっとまって」

早歩きで地味に追いついた。抵抗もせずにミーは姫の手に体の自由を任せ、庭の中央あたりにあったテーブルへと運ばれた。人との接触が少なかったが、姫は寂しくはなかった。いつか来るようになった野良猫でも、木々や雲、風が大切な客人となってくれた。しばらくミーを撫でていると、姫は太陽の位置を確認し、そっとミーを下した。

「またね」

と、言ってから、今回は廊下の窓ではなく、反対側の出入り口を使った。

散歩でもするような道のりを歩き、異様な重さを放つ二重扉の前に立った。脇に控えていた二人の男がドアを開け、姫はベッドで寝る王の元を訪ねた。骸骨のように痩せていて、虚ろな目は天井に奪われていた。力を入れ過ぎたら折れそうな指を、姫は手に取った。父にとっては温もりの極めだったが、姫は毎日のこのやり取りを嫌がった。死の寸前までに達していた王の手を握るのは義理に過ぎない。しかしそう感じるのは姫ただ一人だった。

城の分厚い壁を抜けると、そこには豊な町が広がっていた。出店には客が並び、週末には道を揺らす祭りが開かれる。隣町との戦争は町の歴史の中、一回ともなかった。攻め来る敵がいれば、後日撤退し、その翌日に商売を始めたりする。そこにいる者達は全員楽しみと悲しみ、虚しさと活気、性欲と暴力、そして数知れずの感情を味わいながら城の影の下で生きていた。そうしてもう一つ、どれほど感情的になったとしてもそれをも上回る知的反応。王とその家族への以上な程の純愛。これは義理でも演技でもなかった。姫は毎日暗い顔で父の指を撫でた後、窓の下で群がる大群を眺めた。王の健康を祈って集まっている者達だった。毎日、途切れ無くやって来る。そしていつかは私の為にもこうやって集まるだろう。王の魅力は代々受け継がれたものだった。無論、王の惨めな姿がベッドから消えた後、その日は来た。大群を前にし、姫は新しい支配者として晒された。父は亡き母の元へと帰り、大きな、輝かしい帝国を娘に譲った。

姫は新たな支配者として王座に座り、天と地の間に入った。皆は姫に王と変わらない忠誠を見せ、その町は何処をも超える盛んな大都市へと育った。姫が結婚する時がき、町の人々のお祝いはその元気な鼓動を休ませる事はなかった。演技でも義理でもなく、真の尊重と喜びを胸に抱いていた。そう、今の社会には理解する事の出来ない、無くされた感情。しかし、その単純な想いも揺らぐ事件が起きてしまった。姫は子供を産む事が出来なかった。大群の大いなる精神も、姫の死と共に消えてしまう。


父さんはまた私の方を見た。あの時は気付かなかったが、父さんは読み始めて一度もページをめくっていなかった。痩せきっていたノートの内容に肉を付け、私の為の物語にしていたのだ。実際、この家には絵本など初めからなかった。本棚と机の上にあるのは父さんの分厚い資料とこのノートだけ。私の寝つけとなっていた話は父さんの創造物に過ぎなかった。


そんな中、姫の暗殺を企む者が増えていった。理不尽でも、姫は民衆に初めて裏切りを経験させてしまったのだ。

姫が死んでしまった後、みんなの感情は未来がない事を察知し、一気に姫の時代になだれ込んだ。帝国の皆は昔以上に亡き姫を愛し、忠誠と執着を見せた。姫のための祭りは毎晩続き、仕事を休む人もいれば、ただで他人に物やサービスを売る人もいた。帝国は自分の重みに軋みながらも訳なしの伸張を遂げていた。皆は曖昧な幸福感に酔いながらも、帝国の寿命に気付いていた。寿命が解るからこそ成り立つ酔い。


終わりがはっきりと見えているが、誰か一人、また生まれ変われる可能性があるのなら、天よ、あの方でなければならない。

一人の名前なき崇拝者が祈った。それに続いて何人かが同じ願いを捧げる。以前存在しなかった神がその場で生まれたが、まだ幼い赤子としてギャーギャー騒ぐ事しか出来ない。祈りは無空に散った。

しかし願いはちゃんと聞き取られた。世界がゆっくりと終わる途中、自分が救われない事を知りながらも姫の再生計画を実行した。遠い地球にもいつか王座の要素が芽生えると信じて、一つの願いの積もった船を飛ばした。願いは忠実に動き、堅実に進み、叶うまで消えない。いくら待とうと厭きない。何を絶やそうと悔いない。全てはある偉大な未来の為に...

空っぽの器は体内でそれを栽培する揺り籠。姫を帰らせる卵。

「由美、忘れないでくれ、こういう設定にすると決めただけだ。だから何も怖くない、怖い宇宙人もいないし、私もずっとここにいる...」

「パパ...」

「...お姫様にしてあげるよ、その為の大切な物語なんだ、解ったね?」

「うん!」

「じゃあ、まず、信奉者を集めなければ...」

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