第34話 最終夢

またソファーの柔らかい弾力性に横たわる夜が来た。今回はいつもとは違う期待を上乗せしているんだ、だから前にはあった不安や気まずさが全て無くなっている。早くあの甘い煙草を吸いたい。最上と一緒に吸いたい。役に立たない奴として生きていくのを卒業する為に吸いたい。毎日でも楽しんで渋谷の道を歩けるようになりたいんだ。

「なあ、最上、君も一緒に吸ってくれよ」

「俺はいいよ」

「なんでだよ、今夜だけでもいいじゃないか?」

「草がもったいない」

「そんなこと言わないでくれよ!同じ葉巻でも十分ハイになれるよ」

「それをお前がちゃんと吸えって言ってんだ」

「だったら、俺の吐き出したやつ、吸ってみてよ」

「...考えとく」

巻き終わった煙草を俺の口に差し込んできたら目を閉じる。乾いた紙を蜂蜜のように舐める。再び始まる現実探りの現実逃避に溺れていけば、いつか俺も普通に歩けるようになるんだ。吸うんだ、これを全て居酒屋で笑い飛ばせる日が来ると信じて。

まただ。前と同じように感覚がずれる。溶けていく自我を支えるソファーが仲間を呼んで、無数の友の手に触れながら有頂天へと運ばれた。みんな一緒に。統一された想いは最強で、最高に輝かしい。ここに最上もいれば、触るだけでは済まない状況にいたら、今よりも俺の心はうっとりするのか?うっとりするか。これ以上にも忽々たる心境をくれるんだ。ここに最上さえいれば...

最終夢にはいないなんて耐えられない。

ソファーの仲間の中に最上がいないか見渡してみても、一面真っ白な世界と常にうねるあやふやな輪郭線の網状だけが浮かび上がる。最上の頼りになる優しい手はどこにも見当たらないし、欠片どころか粒子すらない。少し落ち込んだが煙草が励ましに来てくれたから笑えた。勝手に口に飛び込んでくる。また振り向けばみんなが遊びにきているじゃないか。みんなソファーに飛び乗って、窮屈になったら二つが一つに、二人が一人に、どんどん絡み合って場所を作る。ここに仲間外れなどいない。言い表せないほどのタブーとしてしかその概念は存在しないんだ。

これがまさか最終夢ではないだろうな?

いや、これほど抽象的な世界で実用できるような答えなどない。必ず次は来る。そしてその次と、そのまた次も。

しかし、到達する為の具体的な指示がなくても、これは純粋に俺の心が望んでいる最終エンドの予知夢であることはあり得る。渋谷のみんなと同じになる夢を見ているんだ。渋谷のみんなが俺と同じになる夢でもあるけど、個人問わず、みんな上昇しているだ。天高い水準でまた八逢うみんなは俺の水位を保つ為の一滴にすぎなくても、この大きな融合物体は俺を憎まない。だってその中には幾千もの咲き誇る仲間達がいて、その一人一人も俺と同じ風景を見ている。個人という小さな蕾があって、他人という大きな力がある。現実と同じじゃないか。

最上がまだ来ていないけど、いつかは来ると信じて俺は寝る。何年でもふわふわの感情に抱かれながら待っている。ここほど心地良い所はまだないから、もう少しだけ、出来るだけここにいさせてくれ。時間が来た時はちゃんと帰るから。

視野の隅から最上の影が見えた。迎えに来たのだ。はっきりとその姿をつかもうと頭を動かすが、何をしても隅で隠れているままだった。気配だけの手が刺し伸ばされて、戸惑う事なくそれを握った。温かい。現実の世界では君だけだ、これほど落ち着かせられるのは。


起きたら最上がまだ俺の手を握っている。また寝たいような、いや、違う。だるさがまるで足りない。これほど意識が透き通ったまま安らかに息が出来たのは初めてだ。露の滴がひんやりと俺に舞い降りるほど地球の草原と同化している。草に囲まれ、太陽に光を浴びされ、風にくすぐられ、そして最上に拾われる。

「今回はすぐに寝なかったようだな」

「ああ、寝てしまったら君といられなくなるから。どうして来なかったの?」

「お前がいきなり悪夢を見始めて窓から飛び出そうとしたら他に誰が止めるんだ?」

「そういうことか、ありがとう、だけど悪夢なんかじゃなかったよ」

「解ってる」

「そうか?なんでもお見通しだね」

「そんなことはない」

「...たしかに。明日もまた吸うのか?」

「もちろんだ」

「明日もまたどうしても一緒に吸わないと言うなら、今だけでも一緒にいてくれないか?」

「...」

最上は何も言わずに優しい表情でソファーの横へ椅子を引っ張り、隣で心地よくくつろいだ。夢の続きがきたようだ。その時の安堵が再び、尊者と共に蘇る。


起きる。吸う。寝る。

起きる。吸う。寝る。

何日も何回も、一日の間に何回も、何度も何度も俺は現実を忠実に再現しようとした。最上がストロボを買い、様々な色を俺の瞼にガトリングで打ち込んでくる。様々な組み合わせを試している内に二か月が過ぎた。

最後に最上を見たのがその夜だった。七月八日。葉巻をもらったら自動的に手が動いてそれを吸い始めた。気を失っていても吸えるぐらいに吸ってきたからな。肺もグタグタだ。匂いなんかを鑑賞する事はもうとっくの前に辞めていたけど、その夜だけはなんだか懐かしい匂いがした。瞬きしたら俺の隣の最上は何処かへと消えていた。部屋もそのまま変わっていないし、外の騒音も同じだ。最上だけが消えている世界。やっと最終夢に辿り着いたのか。

俺は立ち上がらずにぼんやりとソファーに横たわった。感覚は以前のトリップと似ているが、全ての自我がもっと完成されている。考えがあまり生じない。ものすごく安心しているのが事実で、正直何をすればいいのかが解らなかった。ずっと最上の監視下にいたから、その傘の下から離れてしまった今では雨に気を取られている。それでも、授かった余裕がまだ肌に温かく沁み込んでいた。

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