第33話 渋谷

今回の寝起きは快適だった。トリップの後にすぐ寝てしまったのか、気持ちいい日光が窓を通して俺の顔を照らす。そういえばなんちゅう夢を見ていたんだ俺は。訳が分からない内容だったけど、その割にはしっくりきていた気もする。知らない自分と共感していたような。

「やっと起きたか」

「...最上さん」

「どうした、今日はやけに丁寧じゃねえか」

「変な夢を見ていました」

「そりゃそうだろう、そうじゃないほうが変だ。言っとくが、昨晩のでイントロは終わりだ。今夜から本題に入る。覚悟しろよ」

「え、どういう意味ですか?」

「...お前、俺の趣味で他人に大切な麻薬吸わせてんだと思うのか?何の目的で吸っているのかを考えろ。サルビアを利用して自分のすべき事を探し出すんだ。現実世界で何十年費やしても無駄になるのが最終的なはめだ、だからトリップをうまくここに似させて、数年に亘る内容を何回も繰り返す。お前が満足する結果の出るトリップがあれば、それをここで真似すればいい。何の不利益もなく」

「ああ、なるほど。失敗しても、夢の中だから大丈夫だし、また繰り返せばいいって事か」

「予備テストだ」

「これをすれば由希雄に何をしたいのか解るというのか?」

「お前次第にそうなる。俺もそれに興味を持って君を探し出したんだ。いいか、ここではほんの十分が過ぎたとしても、お前にとっては一年以上にもなる。便利なのさ」

最上が煙草に火を点けた。

「あ、俺にもくださいよ」

「自分で取れ」

最上はベッドの隣を離れ、俺はふかふかの枕から離れざるを得なかった。

いつもの朝ごはんがやってきて、見慣れた椅子に座った。最上特性のトーストも普通においしいが、二口食べたら拒絶反応が妙に囁いた。

「なんだ、食が進まないのか?」

「すみません、今日はなんだか...」

「まあいい、それより、昨日のトリップの内容を教えてくれ」

「えっとねえ、ローソンの看板の一部になっていました。丸まって、丁度Оの部分に俺がいました、一年ぐらい」

「そうか、まだまだ研ぎ澄ましが必要か。変なもん体験させてしまったな」

「いや、いいですよ」

「実用出来るまでだいぶそういうのが続くよ。そういうもんなんだ」

俺の分のトーストも食い終わって、最上は皿を片付けた。

「由希雄は出てこなかったのか」

「いなかったです」

「そう」

「...俺って、具体的にどのようなトリップが来るのを待てばいいんですか?」

「そうだな、出来るだけ現実に近いやつだ。お前ももちろんトリップだという事も理解しているだろう。唯一現実と違いがあるとすれば、俺がいない事だろうな」

「え、どうして」

「お前は俺に頼り過ぎなんだ。だから俺は、お前が無意識に嫌がっている人間という種の姿で現れるのではなく、たぶん変わった姿で出てくる。俺を汚したくないんだな。その代わりに、事前に俺の知識や判断力が君に委ねられていたりするよ」


他にする事がなかったので、俺は最上と二人で渋谷に行った。デート気分がちょっぴり漂う外出なんかは久しぶりで、慣れもしないのに楽しもうとしていた。何より最上が隣で歩いている事に、なんだかんだ言って、実はなんらかの幸せを感じていた。渋谷の薄暗い風景も今では新たな色に染められている。歩道に沿って、風が運ぶ札をずっと探していた頃には見えなかったスタイルがくっきりと映し出されている。これが余裕というものなのか。安心よりも格上、また一段と求められているもの。

その余裕は最上を離れたとたんに消えてしまうんだ。

だから当然当分の間はお世話になるつもりだ。その間に、少しでもいいから、その不愛想な顔にも笑顔を翳したかった。俺の周りに重苦しいものはもういらないんだ。ついでにあの殺風景な部屋にも絵を飾って、俺の人生の絶好調を祝いたい気もする。せっかくの友達なんだ、追い出されないように少しは好かれる努力をしないといけない。

道に並ぶ様々な店舗の中にセブンがあった。特に特徴を持たないが、一気に見分けることの出来る色合いを表で展示している。まるで絵画に吸い込まれるように人は近づき、どこかに書いてあるだろう作者のサインを探そうとする。見つからなくても、さっきから喉が渇いていたんだ。そうだ、丁度いい。

「なんか欲しいのか?」

「あ、いや、別に」

「俺は欲しい」

セブンの中は案外心の落ち着く所で、最上も、「日本に住みついた理由がコンビニだった」とか、訳のわからない事を話している。しかし、自動ドアを通る前に俺は上を見上げてしまった。そこに飾ってあるロゴに動かない自分の姿が一瞬見えた気がして、生ぬるい重みが全身に張り付く感じがした。重みでありながら、俺を引き上げようともしている。実に不愉快な感じ。

最上は冷蔵庫から麦茶を取り出した。冷たいプラスチックの水玉模様が流れる。

「俺はこれにするよ、お前はいいのか?」

「いや、俺はいい、それ奢りましょうか?」

何言ってんだ俺、金ないくせに。

「お前どうせ俺の金で奢るからいいよ」

たしかにそうするつもりだった...そうすればいいと思っていた俺が恥ずかしくて、他人なんかに気を遣うほど力があると思い込んだのを悔やんだ。

外には相変わらず人が充満している。渋谷の道が描き出す回路に毎日なだれ込む大人数はいつになっても変わって欲しくない。

昼食もマックでいいと言ったが、最上はコンビニサンドを俺に渡すだけだった。

ベンチに座って食べる。最上は麦茶を飲む。こんなありふれた幸せは普通に実在するんだな。ここを通るみんなはそれを感じる毎日を過ごしているのに、なんでそう無関心でいられるんだ?俺しか感謝の気持ちを表していないのに、どうして、このありきたりから外されたんだ。こんなにも流通している、普通で当たり前で、少しつまらない現実からどうして俺だけカヤの外なんだよ。しかし、今の俺なら十分相応しいだろ、なあ、その為に君がいるんだよな?この幸せに厭きれるほどくれてくれ。

「何ニヤニヤしてんだお前、きもいぞ」

「はは、すいません」


「これ、もっとしましょうよ、楽しかった」

「ああ、また今度な」

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