第30話 トリップ
まるで神話を読んでいるようだった。次々と起こる展開が、天上の神が円滑に運んでいるかどうかを確認するために覗き込んでくる。俺の頭の中。欲しがる発展が起きない訳もないのに、どうしても気になってしまうんだ。由希雄がどうしてるか、由美がどうしているか。気になってしまう。
この神話の序幕は実に長かった。しかし、根気強く待つといつかは報われるものだ。始まりさえ正しく終われば、その後の出来事には開幕さえいらない、ごく自然な望み通りのルートを辿る。そして終幕となったら、ようやく神は降りてくるんだ。
そんな気がした。
「いいか、俺はお前みたいに十八年もだらだら出来るほど暇でもないんだ。しかし、時間をかけたほうがいいだろ、お前となったら素早く解決できるとも思えねえ」
「そう...」
「心配するな。俺に全て任せればいい」
大麻の保管してあった引き出しを開けたら、最上は一番奥へ手を伸ばした。取り出したのは拳ぐらいの大きさの紙包み。大麻がぎっしりと詰めてあるガラス瓶の影でつつましく転がっていたんだ。
「これを吸ってみるといい」
「何ですか、それ?」
「まあ、その内身に染みて解るさ。大丈夫、中毒性はない」
俺はソファーに横たわり、天上にできたしみを見つめた。たぶん水漏れだろう。心臓がソワソワしてきた。何をされるか解らない恐怖が盛り上げてくる。その内に解るって言ったよな?俺は一体何が解らないんだ?
固い指が口に巻きたばこを押し当てた。
馴染みのある感触にやっと出会えて心が落ち着いた。唇の間に挟まった煙草を、乳を啜り出すように優しく吸ったら、煙草に加担するように親の穏やかな記憶がじわじわと湧いて出た。
「なんだお前、火を点ける前からも落ち着いてんじゃん」
大麻とは少し違う香りがする。
視線を横切って入って来た灰色のランプが顔面の上で軋めく。危うく、細いゼット字の鉄骨から計り知れない重量の電球がぶら下がっている。鉄球をカナヅチで強引に成形したような異質感を放ち、支えてくれているフレームと全く馴染んでいない。そんな太陽のような白球と睨み合った。
「これはセラピーだと思え。ほんのちょっと特別なだけだ、怖い事などない。次に会うときは久しぶりに感じるかもしれないが、そうだな、俺には数十分ってとこだ」
言葉が耳に入って来るが、これといった反応が何も生じない。完全に俺は最上の巻き上げる強大な渦に命運を委ねていた。死に方を任せていた。波打つ世界でぽかぽかと浮かぶ俺の頭は、さざなみに気を取られ、大地を揺るがす津波に運ばれている事を気にしていない。
最上がジッポーの火を点けた。
内斜視で煙草の燃える先端を見つめる。燃える葉っぱは熱気の化身。眼の水分を爆発的に欲する火の手は瞼の下へと指を伸ばして眼球を引き出そうとする。乾く臓器が悲鳴を上げる。それでも視野を変える事が出来ない。蛾が炎に飛び込んで、不死鳥として誕生する所を見たことがあるか?
俺は見た。
数分のような数時間か、数時間のような数分だったのかは決められない。ソファーが歪み、ものすごい角度で折れたら俺を飲み込む。真下へ落ちているとワニの歯が黒革から突き出てくる。俺からも突き出る。何百匹もの虫の何千もの足がちくちくと肌を荒らす。
ふと気づくと最上が目の前にいた。なんだか険しい表情で俺の腕を抑えている。
だがそれも一瞬。最上が燃えあがる。その光を肌で見て、音を眼で聞き取る。
ものすごい同一感が体を巡る。気付いたら屋根が透けていて、万遍の星空が遠くで広がっていた。だが程遠いキャンバスへのピントが激しくずれている。またまた鼻の先端に眼を向けたら、一つの小さな星が点として収束した。鼻すれすれで煌めく無数の白い星をじっとして感じ取る。触れないように頭は上げず、手は体の横で動かさない。
これほど歓迎な金縛りもあるんだな。
みるみると点は白い糸をゆっくりと伸ばし、互いと絡み合いながら黒を光で満たさせていく。絶世のライトショーが黒い三角を剥き出しにしていく。瞳孔が逆に小さくなっていく。時期に天は全面白の空白となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます