第26話 プレゼント
紙の上で指がすべる。ヘッドライトのシェイリングを丁度終わらせている時だった。チャイムが鳴り、俺は鉛筆を置いて玄関へと向かった。
あの日から三か月ぐらい、毎週火曜日にそいつは家を訪ねてきた。本格的に入部する前の面接のような時間だったのだろう。適切な候補者なのかをそいつは見極め、役に立つ見込みがあるのかを由希雄に報告する。それが奴の仕事だった。それに、火曜日という微妙な日に来るというのも、当時の俺でも多少苛立った。参加は義務。どうせ週末は暇なんだろ?社会と俺らを繋ぐマジックテープの間に細い指を指し入れ、引き離す準備に過ぎない三か月間だったのだ。
我が家は合格した。入学生のように親は飛び跳ねた。
本部へ招待された後、例の説を聞かされた。瞼を脳の奥まで引き締めて、眼の曲線をえげつなく剥き出す親の顔を見たら気がしばらく散った。怖い。寒気が走る。デコピンしたらポンと瓶の栓のように飛び出すぐらいに突き出ている。その視線の先の楽園が見えなかった。見たいという気持ちも無かった。羨ましくない自分に何かが問いかけた。つんつんと棒で脳をつつく。
由希雄が立ち上がって棚に入ってあったワインボトルを取り出した。高そうなボトルだ。その場で易しく微笑んでから机に戻る。グラスが一つだけ机に置いてある。ボトルが俺の方に向けられた瞬間にコルクが何処かへと飛ばされ、白い泡が空中をよぎった。誰も何も言わない。泡がゆっくりと煌めくだけ。その綺麗な放物線を壊して由希雄はグラスをいっぱいにしていった。ボトルを落とす。縁を切って自分の余裕を示す。ガラスの破片が散らかってる上でワインを飲み干す。横の魂が消えていくのを感じた。
由希雄が瓶の隣に空っぽのグラスを置いて親の方を向いて笑った。瞬く。ワインも泡も破片も何処にもない。親の目玉もちゃんと頭の中にある。
戸惑いながらも俺は自分の存在が不確かなものになっていない事を検証したかった。しかしどうやってそれをすればいいのかが解らない。こうして自分を疑うだけでいいのか?なんとなく親が変わってしまった事を理解した。父さん?母さん?今はどんな感情に突き動かされているんだ?
動揺したこんな思考では物足りないといきなり悟った。目を上げると由希雄が頭の中心までを睨みつけている。微かな疑問と悲しみを秘める眼だ。
由希雄は海岸で唯一バケツを持っている子供にすぎなかった。砂の城を作るのは好きだ。それでも他の子と海に飛び込んでみたい気もする。しかしそうしたら他の誰かが自分のバケツで城を作るようになる。海に喰われるだけの城。浜に流れ着いたバケツを拾ったとたんに行動範囲が狭くなった。それでも、なんと美しく、見晴らしのいい区域なのだろう。由希雄はそのまま座り、膝を抱いて、海が見えないように天まで上る城の影で泣いた。
俺はまだ子供だったんだ。大人の強い願望に逆らえず、いつか自分にも成長した大人の気持ちが芽生えると思ったんだ。子供の頃に期待した、大人になるという事、は何年待っても訪れず、子供じみたままの俺が育ってしまった。永遠に小さい俺が、最終的には全てを覆う由希雄を追いかけるはめになった。良かったな、結局はお前の思うつぼってことさ。
宇宙人の贈り物を探せと言われても普通何処を探せばいいのかは解らない。山のてっぺんか海の底なのか。高層ビルの真下にあるかもしれない。具体的にどのような形をして、なんの仕組みでここまで飛ばされたのかを知らないと、探し出すのは難しいという単純な言葉では言い表せない。
だけどそんな事は気にしない。
この仕事は由希雄の面倒くさがる、都合のいい崇拝者に渡すようなものではなく、光栄に受け取る使命だからな。
運のいいことに、俺の親は元々バカでもなく、由希雄の手下は数多くいた。その中の一人が見つけるのもあり得なくはないと考えたのだろう。これは宝くじだ。当たるか当たらないか。それを決めるのはほんの些細な出来事かもしれない。
例えば勘。
この事態は全てある方向へと進んでいる。変えられない未来の構図は、贈り物と共に地球に渡された天命。星の彼方からの一つの願いを叶える希望として贈り物は私達に託された。その正体が誰かに露わになったとして、そいつの人生は元には戻らない。この偉大な計画に魅了され、他の全てを捨てた後は従順な虜になる。行動範囲が狭くなるのだ。そして時代と人の連鎖の中で、後の範囲は前のよりは狭くなり、だんだん方針は尖っていく。ある点へと収束するのだ。俺が俺の範囲でどう動こうと、必ず次の範囲へと繋がる。
だから本当は、見つからない心配など初めから無かったんだ。
ある一瞬で、人の頭の中を無数の考えが飛び散っている。何かによほど集中していないとその思考は適当に、あらゆる道を進む。その内の一つや二つが天然に、自らが作り出したものでなくても、それをどう分別する?そもそも、見分けのつかないものに原物とその模写の違いを探る意味はあるのか?実際の所どっちでも良いと思う。俺に生き甲斐を与えてくれるのならば、どんな偽装も大歓迎だ。
親も無意識にそう考えていたんだろう。何も知らずに、抵抗も感じずに吸い込まれていった先には自分の未来があると信じていたんだ。
母がある日突然温泉旅行に行きたいと言いだした。断る訳ないよな?別に普通の高校生らしい生活で忙しくしている訳でもないし、由希雄からもらい始めた報酬がある。日本の何処にでもいけるのだ。温泉と言えば群馬。もしくは富士山の近くに行くかだ。黒部もめちゃくちゃ良いじゃないか。それなのに伊豆大島へと俺達は行った。東京の南にある島に引かれた母で、由希雄の支持に従う父で、親の後をつける俺だった。単純な子羊になっていたのは理解していたが、それがどうして大事な事だったのかが頭から抜けていた。やっぱり単純。
しかし人生はなるようになるもんだ。風に揺れる、さすらいの種にしっかりとつかまる俺。流れに運ばれて、されるがまま、人生を辿っていく先には生きている限り目を離せない未来がある。適当でいいんだ。何処に行こうと、何処を見ても、何をしようが、あたりなんだ。それはありがたい。特にこの訳のわからない人生で全てがあたりにならなかったら信じられないくらいに困る。
だから、たまに外れがとても愛しく思える。
大島はほとんど森で覆われている。海岸近くの町の裏庭は国立公園。そして、中央にあるのが三原山。数少ない住民と観光客の間を潜り抜けて旅館へとたどり着いたら父は言い出した。
「ひろし、これから火山の方へと行くけど、一緒に来るか?お前次第だ」
「何しに行くの」
父は笑った。
「どうせいつかあそこも探す事になるんだ。今さっさと終わらせようじゃないか」
「それは解るけど、どうしてここなの?なんで?」
「さあ、お母さんに聞きなさい」
まだ温泉に入る気が起こらなかった。
火山へと歩く途中、足の裏を妙な感覚が刺激した。敏感になりすぎて、地下のうごめきが境界線を超えるのを察知してしまう。俺の範囲に入って来る。地面が踊り過ぎて靴が吸い込まれたのか弾き飛ばされているのか、見分けがつかなくなった。全てが普通で、静かで、異質じゃないのに、小さな動きが全て何かを伝えようとしている。
お母さんの方を見た。
未来が味見させてくれたのかな?いきなり、理由を聞く必要が頭から消えていた。
そしてカルデラに引き寄せられた俺達は、天からの贈り物を渡された。宛先が俺でも、由希雄でもない贈り物を、駅のコインロッカーのように受け入れ、身に染みるほどに汚い手で触りまくった。
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