第18話 昔話

ペンキが桜のように鉄から剥がれ落ち、ブランコの席に一瞬舞い降りてからどっかへと飛ばされていた。二つの席を手の裏ではらってから隣同士で座った。

「話たいことってなんですかね?」

「なんでも、最近人生どうだとか、将来これがしたいとか、昔はこれをしたとか」

「何かあったんですね。わかりますよ。俺も色々ありましたから」

「あのトンネルはよく通るのか?」

「通りますね。考えたい時や、落ち着きたい時などには最高ですよ。そしてこの公園へ来て、普段はブランコではなくあの滑り台の上で寝るんです」

「そうか。ならもうベテランだな。俺なんか今日が初めてだよ。それで、失礼かもしれないけど、人生どうしたのか聞いてもいいか?」

「やっぱりそうきましたか、でもいいですよ。話します、っていうか聞いて欲しいです」

私は解っていた、この男からは怯まなくてもいいのと。子供達には理解できない事でも、私の心の底では当たり前の事だった。

〔お前たちも大人になれば解るさ〕


本当悪気はなかったんです。

全ては中学の時に始まったと言ってもいいでしょう。俺はいつものように学校へ行き、いつもの席に座って、授業が始まるのを待っていました。しかし、ベルが鳴っても先生は現れず、教室の中が例によって騒めき始めていた。俺は昔から騒がしいのは好きじゃなくて、そっと頭を前にかしげて、机を見つめながら黙っていました。騒音が俺に触れずに、頭上を通り過ぎてくれればと、頭も次第に机に近づいていき、眼もその薄茶色い平面に吸い込まれていきます。解りますか?体の力を抜き、一点だけに視線を集中させると、妙に重力の向きが変わり、世界が自分を中心に回り始めるんです。そんな一人遊びをしている内にやっと先生が入ってきました。

〈席につけ!〉

みんなが椅子を引きずる音がし、次第にしゃべり声も止みました。それでも俺はぐるぐる回転しているまま。先生が何かを話していたけど、それは聞き取れなかった。俺がやっと頭を上げたのは、小さく囁く、女の子の声がしてからだった。

彼女の名前は麻谷実乃梨。福岡から転向してきたという。

実乃梨は俺から教室の半分ぐらい離れた席に座り、クラスの人気者に囲まれていった。みんなと笑う彼女の姿はとても素敵だったよ。しかし、その風景に俺は縁もゆかりもなく、ただそれを眺める観察者として居続ける俺の運命的なものをもう受け入れていた。

悔しかったよ。

それでも不思議な事もあるんだな。俺は彼女に魅かれていた。初恋だったかもな。やさしくてかわいいけれど、それ以上にその天使のような声が何とも言えなかった。温かい毛布に包まれて、神経の刺激を押さえつけ、麻痺する感じ。とても心が高鳴ったよ。これが恋だというなら、もっと早く実乃梨に会っていたかった。

気付いたら俺は高校生になっていた。制服も変わり、校舎も広くなった。学校の裏には小さな林があり、茶道部の使う小屋があったよ。それを見た俺は、鳥の鳴き声を鑑賞してお茶を啜る実乃梨をイメージしてしまった。時間が経つにつれ、そのイメージは次第に鮮やかになり、授業に集中できなくなりました。制服が着物に変わり、その着物もだんだん繊細になってゆき、林には小さな川もつけてみました。着物がとても似合うんです。彼女はまるで旅館で夏休みを過ごしているかのようで、それを見る俺もかえって落ち着きました。

ある日、実乃梨を茶道部に誘ってみました。待ち続けると入りにくくなりますし、自分も驚いたことに、たいして緊張も躊躇もありませんでした。まるで、俺からではなく、実乃梨の方から誘われたみたいな感じの会話で、とても嬉しかったですよ。中学からちょくちょく話はしていたんですが、友達といえるほどでもなかったんです。

あれからの数週間を思い出すと、今でも笑顔になって仕方がありません。でもそれは決して戻る事のない一瞬だったんですよ。実乃梨はよく言ってました。俺達の人生なんて一瞬だって。本当にそうです。気付いたら俺はブランコに座っているし、たぶん気付いたら死ぬ寸前になっているんですよ。それまでに数十年あるのに、一瞬。あの頃の俺はバカで、ただ実乃梨といる事に没頭していました。まさか、それが終わる日が来るとは思いもせずに。

十二月の、雪が降っていた日でした。雪はかなり積もっていたんですけど、たいして寒くはありません。薄いコートを着て俺は林の中の小屋へと行きました。部活のない日でも小屋に行くようにしていて、その日もそうでした。一人で宿題を済ませ、その後は本を読んだりして、まあ、暇潰しでしたね。

その日は突然実乃梨も来たんです。おそらく俺が一人で来ている事に気付いたんでしょう。なんだか嬉しくなりました。やっと気づかれたっていうか、認められたような気持ちになって顔が赤くなるのがわかりました。それでも実乃梨はいつもの甘い笑顔で隣に座ってくれます。二人だけになったとたん、かつて俺の頭の中を支配していた実乃梨のイメージを思い出しました。この小さな小屋も旅館の一部屋になり、外では川が流れ、雪も解けていて、極彩色の秋木に囲まれた俺の隣には着物が似合う実乃梨がいた。前にはなかった気まずさもほんのちょっと空気にあり、俺はそれを深く吸った。恋に酔っていたんだよ、俺は。

隣同士で床に寝転がり、開いた引き戸から暗くなる空をしばらく眺めた。何も話さずに、聴くのは空をひっかく木の枝がヒューヒューと吹く口笛。冷たい風も気にしなかったよ。そんな中、実乃梨は聞いたんだ。

〈宇宙人はいると思う?〉

〈どうかな。いてもおかしくないと思うけど〉

〈宇宙人はいるよ〉

夕焼けが雪に赤く反射した。俺は何も言わずに、一緒に太陽を見送る事にした。

〈もうすぐ見えるかもね〉

〈何が?〉

〈ユーフォー〉

そう囁く実乃梨が息を吐き、俺の時間は止まった。呼吸も止めた。それでも苦しくない。酸素の代わりに、目の前の幻が俺を満たす。

〈どうして宇宙人がいるって解るの?〉

今度は実乃梨の方が黙り込んだ。俺が返事をしなかった仕返しだったかもしれないけど、もっとまじめな理由もあったと思う。実乃梨はそういうやつだったんだ。すごい真剣だけど、その顔はいつも楽しそうに笑っている。その不思議な感じが好きだった。

実乃梨がとっさに指を空に刺した。

〈ほら〉

流れ星が長い尻尾を引きずって夜空を割った。星もまだ数個しか見えないのに、同志の光を吸い取るかのように眩しかったよ。俺は実乃梨に見惚れた時と同じく、その光線を眼で追った。だけどそれもまた一瞬で、気付いたら終わっていて、実乃梨の方を見ると彼女は泣いていた。

〈ユーフォー〉


あれから数年が経って、大学に行き、会社にも就職した俺だったが、高校卒業から実乃梨とは会っていなかった。それでも時折あの流れ星を見た夜を思い出す事があり、彼女がとても愛しくなった。もらっておいた電話番号に掛けても返事はなく、他の連絡手段がないので、彼女の方からメッセージが来るのを待った。かなり待ったけど、それを無駄だと思った事はなかった。必ず来る、絶対に。そして来た時は、彼女を無視したりはしない。前と同じように、一緒に星空が見たかった。

実乃梨はあの日みたいに突如現れた。十二月で雪が降っており、どうやってかわ知りませんが、俺の住所を知っていたんです。まったく見た目は変わっていませんでした。ただ制服がロングコートになっているだけで、彼女を見たとたん俺は昔の思い出に吸い込まれていき、何も考えずその後をついていきました。久しぶりに会ったので、喫茶店にでも行って話そうかと俺が提案して、近くのスタバに行ったんです。今振り返れば.....


男は突然黙り込んだ。視線は足元の石ころにとどまっており、体が固まった。ただ、右足は別体のようにゆっくりと宙に浮き、石ころの真上へとその身を移動させた。土とほこりが散る。力の抜けた足が地面へと落ちて、数秒前まであった石ころを土にねじ込ませた。

「それで、どうしたんだ?」


振り返れば、俺は性欲に狂うように、彼女との思い出を欲していたんです。流れ星を見た夜が、どこへ行って、何をしても、いつもすぐ後ろにいるんです。ずっと俺の背中を見ている。振り返ると眼が合う。すぐそばにそれがあるのに、触れる事も出来ない、抱きしめられない、話かけると独り言のようで、周りから変な視線で見られる。どうしてもその昔を宿した記憶を今へと引き出したい。でも、タイムマシンなんてない限りそれは無理なんです。辛かったんですよ。いっその事死んで、昔に転生しようとも考えました。そしたらふと、実乃梨が死ねばいいのかと思ってしまったんです。一瞬でしたが、そう思ってしまった。

だけど実乃梨は俺の所へ来て、一緒にスタバまで行ってくれた。普通に挨拶して、たわいもない世間話を済ませたら、実乃梨が言うんです。

〈会って欲しい人がいるの〉

俺は誰だと聞きました。だけど、彼女はただ、

〈会ってみて〉

とだけ言います。かなりすごい人らしく、言葉だけでは表せないような、そんな感じの人だったんです、実乃梨にとって。

〈わかった〉

スタバを出て、俺はその人とすぐに会いました。この人と会わせる為に実乃梨は俺を見つけたらしく、その事に気付いた俺は正直がっかりした。俺に会いたくて現れてくれたのだとばかり思ってたので。だけど実乃梨はここにいる。それで十分だったんです。

それなのに、容量まで膨らんでいる俺の胸をからかうかのようにあの人はすごかった。

実乃梨はオカルトに入ってたんです。でもオカルトというよりは、ただの物好きな学者ぞろいでした。オウムみたいな集団かなと心配したんですけど、変な儀式も服装もなく、お金も取られなかったので、大丈夫だと思ったんです。

そこの人達はある説を中心に集まってたんです。いわゆる宇宙人説でした。人は宇宙人の先祖だとかではなく、これまでに人類が解き明かしてきた科学的な知識は残っていました。だから進化とか、ビッグバンの事には触れません。その代わりに、説は比較的最近に、宇宙人が地球を訪れていたというのです。人間の知恵を書き換えるのではなく、それだけを付け加えたのです。

俺はその話を実乃梨の会わせたがってた人から聞きました。名前は信濃由希雄。俺の全てです。


信濃は俺を、実乃梨と一緒に別室へと連れて行きました。途中通り過ぎる人は温かく笑って、俺達が歩くのを見ました。あの時、信濃に対する感情が妙に定まらず、頭がくらくらして、多少の吐き気を感じたのを覚えています。信濃は大きく丈夫な机の後ろに座り、話を始めた。

〈来てくれてありがとう。君の事はもう麻谷から聞いてるよ〉

〈初めまして〉

〈さあ、座ってくれ。ここで一体何が行われているのか、興味あるだろ〉

〈はい〉

〈それは全てある噂みたいな話で始まるんだ...〉


幾千年も前に、太陽系のどこかで地球人以外の生命があったと私は信じている。ここにいる者も全員そうだ。その文化や技術は現代の地球のと似ていて、人間の存在も知っていたが、あえて接触を避けていたのだと思う。似ていたが、地球とは一つ大きく異なる点があった。様々な国や文化があるのではなく、一つの、星全体を繋ぐ、統一された文化があった。そしてそれが成り立っていられる理由が女王にあった。

女王への執着心。完全なる忠誠。それに逆らう者はいない。

みんなにとって女王は恐らく神のような存在だったんじゃないだろうか。そしたらその社会は君主国ではなく、宗教のほうに近いと思わないか?世界が一つの境界。同じ屋根の下皆は産まれ、皆は拝み、皆は女王とその末裔の親しい笑顔の下で死ぬ。戦争もない、理想郷だと思わないか?


信濃は頭を軽く傾げて笑った。


しかし、理想というのを手にしてしまうと、それが消える時、全てが一瞬のように感じるんだ。実際の所この宇宙の文明はもう存在していない。滅んだんだ。女王が子供を産む事が出来ず、彼女の死と共にカオスが世界を包み、神様を無くした可哀そうな民衆達は互いの首を切っていった。今更こんな風に表してるけど、私は、今の地球とさほど変わらない風景だったんじゃないかと思うんだ。

そんな中、女王の異状が明らかになり、自分の愛する文明を救おうと試みた者がいた。非常に勇敢だったんだ。自分の運命がもうすでに定まっているのに、自分を救う事の出来ない計画なのに、彼は自分に押し付けられた制限を受け入れた。時には、自分より格上の存在からしか向上を得られない状況が作られる。だけどそうなったら、頂点に立つ奴はどうすればいいんだ?歯を食いしばって、下から湧き上がってくる恩知らずに耐え続けるのか。それとも意地を捨てて、優雅に飛び降りるか。彼は飛んでくれた。だから小さく、醜い私達でも、まだ進む事が出来る。そして私達は恩知らずなんかじゃない。日々、彼に近づくために我らは研究をし、彼の残してくれたパズル、ここに来た理由を知ろうとしているんだ。

〈質問はあるか?〉


〈...その来た理由っていうのは、どこまで突き止めたんですか?〉

〈はははっ。いい質問だね〉

信濃はすぐに答えてはくれなかった。にやりとしているだけで、横線になった眼からは何も導き出す事が出来なかった。代わりに実乃梨が口を開けた。

〈まだはっきりとは解らないの。だけど、日本のどこかに何かを残してるまでは解ってる。それが見つかったら全部が確証するんだけど〉

俺には他にも聞きたい事があった。

〈信濃さん、俺達は前に、どこかで逢いませんでしたか?〉

〈さあ、ないと思うけどなあ〉


話はそれで終わった。俺は立ち上がり、実乃梨と一緒に出ていくところだった。

〈じゃあな、また来てくれたらうれしいよ〉

〈はい。考えておきます〉

〈だけど、それにしても不思議なんだよなあ。よく言われるんだよ〉

〈何がですか?〉

〈前に逢った事があるって。いっつも。もしかしたら、逢ってるかもね〉

俺は頭を下げただけで、返事をせずに歩きだした。だけど、その時点ではもう信濃に対する気持ちがやっとはっきりとした。実乃梨に対する想いと一緒だった。遠い過去の嬉しい記憶を追いかけている感じで、しかも身に覚えのない記憶がなんとなく脳を巡っていた。その時、信濃の元へと戻って来る事もなんとなく解っていた。

〈どうしたの?〉

〈え?〉

〈すごい笑顔だったじゃん。やっぱり連れてきて正解だったよ〉

実乃梨は笑った。俺も笑っていた。

〈ハハハハハッ〉

笑いが止まんなくてしょうがなかった。

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