第17話 トンネルの中

今日はクローゼットの中で眠ってた箱にした。明梨は手慣れた仕草で箱の内容を一つずつ取り出し、その全てを丁寧に調べた。まずは実家からの手紙。繊細な筆の黒線が美しい縦文を綴っているが、そんな古い内容なんかには目もくれなかった。探しているのはもっと別の物。封筒の全てを指の間で何回も挟み、何かを押し出すように開け口へと指を引いた。その後は手紙を出し、空っぽの封筒が本当に空っぽかを眼で確認し、手紙を開いた。気がやっとすみ、元の形状に戻すと次へと進んだ。

息苦しさを無理やり自分に押し付ける作業だった。毎日出来る限り、家の小さな隅っこを満遍なく調べている自分が嫌いになってしまう。一体何をやっているのだろうか?これほど時間をかけているのが馬鹿ばかしく思えてくる。もうここには存在していなのかもしれない。しかし、やはりそれはそれなりの価値を持っているものだった。たとえ実際は見つけたくなくても、それを探すのが自分の運命の一部だと理解してしまった。

箱の内容全てが満足できるような成果を上げず、またしても暇でもない時間を無駄にしてしまった気がした。頭の重心を後ろへずらし、首の力を抜いた。しばらく天井を見上げる。時計のカチッカチッっという音だけが空っぽな頭の中で跳ね回る。一分が過ぎたのが分かった。思う以上に長いな。愛ちゃんまで静かだ。

眠気に襲われている事に気付き、頭を上げ、一秒の過ぎる音以外にも耳を傾けた。今の私の使命はなんだ。声に出して言ってみろ。徹底的にこの家をしらみつぶしに調べる事なんじゃにのか?ならそれをやれ。

四つんばいになって、箱の置いてあった角に映る自分を睨み返した。まずはそこの床を軽く叩いてみる。その後は壁。所々に力を与えて、取っ手みたいな物を探す。小物を隠せるような場所は浮かんでくるか?

「探し物か?」

いきなりした声に頭を上の棚にぶつけてしまった。はあ、今日は調子が狂ってるな。

「淳、帰ってたの」

「ああ」

少し戸惑ってから話始める。

「昔さあ、両親と私が、四歳ぐらいかな、映ってる写真見せたの覚えてる?気づいたら無くなってたのよ」

「いやあ、覚えてないな。悪い」

「いいよ。あんなの本当はいらないのよ。そもそも消える方が悪いよね」

顔を上げて目を合わせる。淳の優しい眼の奥に汚く、不愉快で外道らしいものが見えた。だがそれは私の顔の形をしていた。汚いもの全てが、その眼の中の瞳の上に浮かんでいる風景を、妙に素直に受け入れる事が出来た。正しいのかはわからない。実際そうなのかもわからない。だが私には、淳の引きずる醜いものが私を根源としている気がしてしまった。そしてその気は、空気に、壁にも、床にも、まとわりついて、そこに実在した事を決して忘れさせてはくれないのだ。


明梨の様子が変。即座にそう思った。前から精神が悪化しているのは知っていたが、さっきのを見て大森の親しい言葉が耳鳴りへと化けた。

〔まいったな。まいったな。まいったな。まいったな...〕

まいったよ、まったく。

何をすればいいのか、このまま背中を抱きしめたいのに、距離を置いた方がいいのかもしれない。決断しきれずに部屋を出てしまう。だけどそれもこの世からすれば一つの決断にしか見えない。運命を選ばないという選択肢はないんだな。

陽が崖っぷちから急に落ちそうなようにふらついて見える。ふらふらと、この地に飛び込みたくてしょうがないんだろうな。激怒に駆られて、拳を握りすぎて震えているのか、バランスを失い、下の落下を見て怯えているのか、この距離からじゃ分からないよ。明梨、君もどうしてるんだ?俺が嫌いか?私が怖いか?

適当に歩道に沿って歩き、右行ったり左曲がったりを繰り返した。今はただ足を動かして時間稼ぎがしたい。いっそのこと百円玉を投げて決めようかと迷っている自分もいたが、そんな恥ずかしい決め方には強く反対した。

トンネルが、ずっと下を向いていた視線を引っ張り上げて私は足を止めた。もうだいぶ歩いたな。小さな裏山を背中に支え、蜘蛛の巣も支え、ほころびた半円の口を開けて私を待っていた。招待されたら断るのは失敬だろう。ゆっくりと右足を前に出し、それに続いて左が勝手に付いてくる。誘惑に身と運命を委ねてしまった。

まいったよ、まったく。

明梨の驚きで満ちた声が頭の中をよぎった。

〔何をしてるの?気を付けてって言ったよね?〕

そうだな。心配はうれしいけど、本当はそんなこと思ってはいないんだろ?

トンネルが頭上を覆いかぶさった。何かの薬として飲み込まれるように、その古い喉の奥へと進んだ。だけど、このトンネルには一体どんな薬が必要というんだ。もしかして、こいつも鬱か?あんな事件があったんだもんな。人に避けられて寂しいんだろう。

ごめんな、俺は即効薬でもなんでもないんだ。

足音が狭い空間の中で自由に走り回った。後ろで鬼ごっこを楽しんでいると思ったら、急に通り過ぎて前で駆けっこをし始めた。のんきでいいよな。私も昔はそうだったんだ。子供で、他の子供と全く同じで、将来どうなるか知る余地もなく、毎日毎日うざい声上げて遊んでいたんだ。

そんな子供の頃の妄想に余計な音が加わった。後ろで、私の決めたテンポからぶれない大人の足音がした。横を音速で追い抜く事も無く、ただずっと後ろで待機し、俺達を観察している。手に軽く指が触れる感触がして、子供の無数の小幅が瞬時に止まった。

〔どうしたんだ?〕

丸くて幼い眼球が何かを伝えようとしている。恐怖か、心配か、あるいはそのどっちでもないのか。

〔後ろを向くのが怖いか?〕

小さく頷いてから手を離し、気付いたら出口の光の中で消えていた。


「よっ」

トンネルのすぐ隣で私は待った。笑顔をかざして、昔の俺は、隠れているそばから後ろを向いて挨拶をする自分をどう思っているだろうか。たぶん、尊敬に近い形の期待と恐れだろうな。まあ、少なくとも、私がそう思うならそうだ。

「近くに公園があるのが見えるか?俺みたいに暇だったら、ちょっと話し相手になってくれ」

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