第5話 思い出

脳内の王座に一人の男。

「ねえ、パパ?今日はどこにいくの?」

「今日は大事な面会があるんだ。すぐに帰るから家で待ってろよ、由美」

父さんは昔から面会ばかりをしていた。幼い私でも知っている名前と権力者が不思議なほどに会いに来る。「カリスマというのはそういう事が出来るのだ」

父さんが必死で私に教えようとしたのがそれだ。生まれながら勝ち組ではなかった父は、王になろうと牙をむき、足掻き続けた。だが、自分が何よりも求めていた物がやっと手に入る時は絶望が密に待ち受けている。長年夢を追った結果、この世には無い完璧を期待してしまったのだ。カリスマとは他人に好かれる存在であるが、父はそもそもたいして好かれる要素がなかった。

それがいきなり変わった。

どうやったかは知らないが、父は他人に求められるカリスマになっていた。部下はどんな要求でも笑顔で対応する用になった。数人に要件を言ってしまうと、誰がその要件に一番相応しいかをめぐりあって言い争いが勃発する。

怖いほどの忠誠心。

私のなかで父に関する思い出が二つ蘇った。

父が広いオフィスの机の前に座っている。一見片付いているように見えたが、家具などがもっと置いてあれば手入れの少なさが浮かび上がってきただろう。手を組んで、下を見てはため息をつく。机の下から幼い私が出てくた。六歳だろうか。目を開けた父は軽く微笑んだ。ドアの向こうには足音が微かに近づき、止む。

トントン。部下が四人入ってきては、お互いを横から睨みながら微妙な早歩きで机に向かってくる。

「社長!終わりました。今から見に来てく...」

「いや、俺の方が先だ」

部下達がどうでもいい言い争いを始めていたが、父はただそれを見ているだけだった。その間だけ、耳に何も入ってきていないような、ぼんやりとした顔だった。今思えば、その光景を楽しんでいたのかもしれない。部屋の中の空気がちらりと変わった。部下の微笑ましい忠誠心も、そのころにはもう別の何かへと変わっていた。もう微笑ましくもない。欲が深まりすぎ、父にはないものを父から求めていた。そんな殺気狂った場で、誰が先に動くかをみんなは鷹の眼で見極めようとしていた。しかし、そんなことする必要はない、自分さえ先に動けば。

一番端の女性がどでかいナイフをいきなり振りかざした。横にいた男性は反応したものの、避けきれずに頭が鼻のあたりできれいに割けた。あとの二人も背広の下から刃物を取り出す。暴れている女性を攻撃すると思いきや、お互いに大きく振った。背の高い男性の方の刃物が先に血を浴びたが、切った相手の武器は重く、その突進は揺らぐことなく目標に食い込んだ。二人共前に倒れては、床に落ちた。

「はっ、しゃ、社長!」

女性はある記憶を思い出していた。とてつもなく懐かしい、どこかで無くした大切な物の欠片を見つけた時の気持ちが神経を貫いていた。詳細が決して明かされない曖昧な記憶に託された自分の昔。自分の正体。自分。

残りも全部欲しい。

半端な終わり方をしているこの記憶が、自分に宿した欲望をあふれ出させている。脳内の妄想を繰り返し体験するのじゃもう満たされない。


女性は机を乗り越えて父に飛び降りた。ナイフが抵抗なく胸に突き刺さり、部屋は沈黙に落ちる。信じられないぐらい静かだ。

「由美、耳をふさぎなさい」

声に焦りはなかった。春風の通る、トンボが飛び立ったとても繊細な花束の揺らぐ音だった。父の取り出した拳銃が火を噴き、女性の背中から赤く噴火して無音を鎮圧した。やがて耳鳴りも静まり、私は床で寝ている父に近づいた。

「由美。由美。由美。ゆっみっ...」

私の名前を繰り返し呟きながらも、目は茫然として、すぐ隣に私がいる事を忘れているようだった。この時、父に関するもう一つの記憶を思い出した。走馬灯の一区切りが壊れたテレビに映るように、暗い部屋で気味悪く繰り返されている。だがそれを見ていて、昔、おばーちゃんの膝の上で寝てしまった時みたいに、ペットの犬とはしゃいでいた頃みたいに、とても心が和らぎ、気持ちよかった。その映像はくっきりとはしていない。それでも、私は父の映像だったという事をすぐに理解した。だが、その完璧に幸せな記憶の中で、父は嫌がられている気もした。強引に押し込まれ、歓迎されない存在。映像が少し霞む。父がだんだん霧へと変わり、姿が変化していった。見知らぬ大人の女性がその場を奪い、私の中の父は血に染まったものしか残らなかった。しかし何だろう。この知らない女性に魅力を感じてしまう。天使を拝めて、見とれるように。

そして、どことなく私に似ている気がした。

執着心。

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