第10話 真田違い
「ん…。」
徳は寝苦しさに寝返りをうった。意識が浮上するも、辺りはまだ暗い。いつもより早く起きてしまったようだ。
ぼーっと微睡んでいると、急に目の前に目が現れた。
「おはよう。起きた?」
「ヒィッ!」
見知らぬ忍者のドアップだった。飛び起きた徳は防御力0に等しい夜着を抱きかかえ、勢いよく後ずる。
男はそんな徳を見下ろしながら胡散臭い笑みを浮かべてた。いや、というよりも顔は布で隠され目しか見えないが、唯一見える目が笑っていて笑っていないのだ。
「だ…、誰ですか…。」
「ん~?それはこっちの台詞かな?相手の名前を聞く前に自分から名乗ったら?」
「…。」
よくよく辺りを注視すると自身の知っている部屋じゃない。掛けられていた夜着も見覚えのないものだ。
「――ここが何処か分かるか?」
部屋の奥から放たれた声に、徳はハッと視線を動かした。暗闇に浮かぶ端正な顔立ち。男が肘枕にもたれかかりながら静かにこちらを覗いていた。
「あ…――、」
――そうだった!なぜか知らない場所に居て…、
徳は暗闇の中でも存在感を放っている男を凝視する。
――儚げだが、強い意志の宿った瞳。すっと通った鼻筋に形の整った色気のある唇、サラサラで癖のない栗色の髪――
「あ…、あなた…――」
「……俺のことを知っていそうだな。」
「…ッ。」
(…そう。)
目の前の男、ラノベ『戦国恋記』の表紙に描かれていた『真田幸村』にそっくりなのだ。
――どうしよう…!…そうだよ、忘れてたっ!…もし、仮に小説の中と同じとだったとしたら、私は真田幸村の婚約者で悪役令嬢的ポジションっ…!?
え、悪役令嬢的ポジションってことは、私にはバッドエンドしか無いってこと!?――
徳はあまり恋愛小説を読んでこなかったため、流行りだというこの手のストーリーに明るくない。たしか朱里からの入れ知恵によれば、悪役令嬢とは嫉妬に狂い、両想いのカップルを引き裂こうとヒロインをいじめ、そして最後には愛する人に見放される。最悪殺されるようなポジションではなかっただろうか。
徳は再び男へと視線を送る。間違いなく表紙で見た男だ。よくよく考えると、顔は出てたが忍装束の男も表紙に居たような。こんなことならもっと朱里の発言を聞いておくんだったと思うも、もう遅い。徳は冷や汗を流しながら視線を畳へ落とす。
「えーと…あなたの事を知っているというよりは、顔を知っている気がしたというか…。気のせいだったというか…。」
「どこかで会ったり、すれ違ったりしたか?あんたのその珍しい髪色だと、一目見たら忘れなさそうだがな。」
「珍しい髪色だよねぇ。生まれつきその色なの?異国の血が混ざっているとか?」
「…異国の血が混ざってるかはわかりませんが、母親譲りらしいです…。」
(正確に言えば、目覚める直前に黒髪からこの髪色に変わったらしいけど…)
今の状況でこんな情報を言えば、余計に怪しさが増し自身の立場が危うくなる。先ほどから冷や汗が滝のように流れ。止まる兆しが見当たらない。
「じゃ…、じゃあ、お邪魔しました…。それでは…。」
この場に居てはいけないと、脳内で警報音が鳴り響く。アハハと空笑いを浮かべながら腰を上げ、逃げるように襖へ向かおうとするも、ニコニコと目を細めた忍装束の男が徳の前を阻んだ。
「何処に行くの?」
「え~っと…。おうちに?」
「こんな夜中に女の子を一人で行かせられないよ。」
「あ、ご心配頂かず大丈夫です…。」
「いやいや。そんなこと言わずに。」
「いや、本当に大丈夫です。」
「いやいやいやいや。」
「……家は何処なんだ?」
「…え!?」
徳と男のやり取りを静かに聞いていた真田幸村(推定)が声を発する。大きくもなく小さくもない淡々とした声色だが、なぜか威厳があり徳は思わず背筋が伸びた。
「…それを聞いて、どうなされるんですか…?」
「さあな。聞いて考える。…だが、見たところあんたいい所の娘だろう。そんじゃそこらの娘はあんたが身に着けているような小袖一生かけても身に着けられん。」
そんな貴重な着物だったのかという驚きと、正直に話してしまっても良いのかという戸惑いが徳の思考を占拠する。
そもそもこの二人は今さっき自身を殺そうとしたのだ。今正直に言わなくては悪役令嬢うんぬんかんぬんの前にここで死んでしまうのではなかろうか。
――しかし、そこで徳はハッとひらめく。
(……いや、待てよ…。私は今誰とも婚約してない。…仮に目の前の人物が本当に真田幸村だったとしても、婚約しなければいい話なんじゃ…。)
徳は何故今までその考えが思いつかなかったのだろうかと思うほど簡単な解決法に一気に目の前が晴れ渡った。
「そもそも、どうやってこの屋敷に入った。」
「…。」
(…それは私だって知りたい…っ!)
晴れ渡った視界はその質問で一気に曇天へと変する。
悪役令嬢解決策をひらめいても不法侵入罪をどう対処すればよいのか分からない。もうここは全て正直に話してしまった方がいいのではないか。嘘などついても後で綻びが生じるだけだ。それに相手は小説のヒーロー。理不尽に人を殺めたりはしないのではなかろうか。徳はビビりながら前を見据える。
「…えーっと…。信じられないとは、思いますけど…。私も、気づけば、ここに落ちてた…?みたいな…?」
「「は?」」
◇
「いや、本気でそれが通用すると思っているのか?」
徳がここに居る経緯を、本当に、事細かく説明するも、青年、真田幸村(推定)は呆れたような表情で信じようとしない。
「信じられないかもしれないですけど、本当なんです…。」
(―――いや、確かに…。私だって「気づいたらここに居たんですって」知らない人が自室に居たら怖いし、怪しみます。ハイ…―)
しかし、実際どうしてここにいるのか徳もわかっていないため、それ以上説明することが出来ない。
「はぁ…まぁよい。」
「えー、良いんですか?主様。」
「仕方あるまい。嘘をついているようにも見えんしな。」
忍装束の男、佐助は納得いかないようだが、その主人は徳がどうやってここに来たのかという質問はもう良いようだ。
「で…?名は何という?」
徳はギクリと固まった。名を名乗っても良いのだろうか。自身はもしかしたら未来の婚約者候補に挙がるかもしれない存在だ。見知っておかない方がいいのではないか。
いや、しかしこの現状では今この状況を打破することが何より重要か。それに、逆に見知っていたほうが婚約しませんと言いやすい可能性もある。
徳はチラッと目の前で発言を静かに待つ二人を覗き見る。肘枕に肘をつき頭を預けている青年。反対側の手の指はトン、トンと胡坐をかいている膝にリズムを刻んでいる。これ以上黙っていても自身の怪しさしか生まれない。徳は覚悟を決める。
「……すいません、申し遅れました…。…大谷、徳と申します。」
「「……は?…大谷?」」
「え…?あ、…はい。大谷、です…。」
何故か青年と佐助は徳の名前に驚き、二人でアイコンタクトを取った。
「大谷ということは越前生まれか?」
「はい。
「…は?」
「いやいやいや…。」
「あんた、…父親は、もしかして…。」
「…大谷、吉継ですが…。」
「…。」
「…。」
「…?」
なぜか急に黙り込んだ二人。沈黙が続き、これは言ってはいけないことを言ってしまったのではないかと徳は焦り、血の気が引く。
「あ、いや…、その…――、」
「…吉継殿には世継ぎはおらず、唯一の娘は病気で何年も臥せっている聞いているが。」
「え…、あ、…はい。…私も半年前から動けるようになったものでして…。」
沈黙に焦りを覚えたが、意外にも発せられ声は先ほどと変わらず、早鐘を打った心臓は落ち着きを取り戻す。
父や自分のことを知っていたのか、と思うのと同時に、自身がそのように周りに認識されていたのかと、徳は今更ながら知ったが、似たようなものかと納得する。
「…それに、ここは越前から50里以上離れた
「え!?」
「信じたくっても、信じられない話だよね。」
距離の寸法は分からないが、徳はここが越前では無いことに驚いた。驚く徳を他所に、佐助が伸びながら頭の後ろに腕組をし、青年は胡坐を崩し片膝を立て、口元に手を添え何かを考えはじめる。
「だが、あんたが吉継殿の娘だとしたら、その力の量にも頷ける。」
「…力の量、ですか?」
「あぁ。…なんだ。吉継殿に自分が力持ちだとは聞いてはいないか?」
「…力が使えるとは聞いてはいますが、覚醒前だからどの力が使えるのかは分からないと…。」
「…なるほど、な。…あんた、力の量はかなりあるぞ。急に現れた力に慌てて佐助が俺の部屋に飛んで来るぐらいには、な。」
「えー。なんかかっこ悪いから、慌ててとか言わないでくださいよー。」
「本当のことであろう。…それにさっきのカマイタチにも驚かされたが、本当に覚醒前なのか?」
「カマイタチ?」
「…?…なんだ。覚えてないのか?」
「…?」
驚いた表情で見つめてくる青年に徳は小首を傾げた。
「まぁ、…覚えてないのなら…、良いが。」
「え、嘘でしょ。覚えてないの…?」
「佐助。」
「はいはい。」
「…あんたの話は受け止めた。…しかし、今の話を全て鵜呑みにするわけにもいかない。」
穏やかに流れていた空気が一変。青年の最後の言葉で一気に空気が張り詰めた。青年の長いまつ毛に縁どられたアーモンドアイがまっすぐに徳を見つめる。
「様子を見て吉継殿には俺のほうから文を出そう。しかし、あんたの素性がもう少しはっきりしてからだ。それまでは、この屋敷に身を置いてもらっても構わない。」
「えー。本気で言ってるんですか?主様。」
「しょうがないであろう。本当に大谷の姫なら放り出すわけにもいくまい。それに、大谷の姫でない場合大谷とウチが相対してもかなわん。…だが、この屋敷で面倒を見るにも一つ条件がある。」
「…条件、ですか?」
「あぁ。…実は母が体調を崩してつい最近侍女を連れて信濃に戻ったのだ。それでこの屋敷には俺と佐助しかおらず、侍女一人いない。そこでだ、あんたが侍女としての仕事を請け負うというのであれば、ここで身を預かろう。」
「…え、本気で言ってるんですか?主様。」
佐助が青年にこそこそと「刺客だったらどうすんの!」「ってか、本当に姫さんだったら仕事なんてできるわけないじゃん!」などと耳打ちしているのがこちらまで聞こえてくる。
(――ここで侍女として置いてもらって城からの迎えを待つか、ここを出て一人で城へ向かうか…。)
自身の所在を
(――無理じゃん…)
チラッと徳は静かに口論を続けている二人の男を見やる。
先ほど感じた死への恐怖は跡形も消えていた。それに、自身は一国の姫だ。他国の姫かもしれないという人物を安易に殺したりしないだろう。どちらもリスクはあるが、消去法で取るならば…――
「――やります。やらせてください。」
「…。」
「え!?ちょっと、姫さんも本気!?」
自分で言い出した条件であるはずなのに、徳が返事をした瞬間、青年は目を見開いて驚いた表情を見せる。しかし、徳には構ってられない。やるしかないのだ。だが一つ、徳には確認しなければならない重要なことがある。
「一つだけ、お尋ねしたいことがあるのですが…。」
「…なんだ?聞こう。」
「お名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか。」
そう。真田幸村か否かということだ。それによって接し方も変わってくる。
小説でどのように悪役令嬢的ポジションとなり、どのような末路をたどるのか分からないが、分からないからこそ、自分のため、家族のためにも出来るだけ『真田幸村』と関わりたくないし、関わってしまうにしても対策を考えたいのだ。
「名前か?知っているのではなかったのか?」
「いや、人違いかもしれませんし…、ちゃんとお伺いしておこうと…。」
「…これから同じ屋敷で過ごすのだから、名は知っていたほうが良いか…。」
「俺は
「よろしく、どーも。」
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