第17話 ベルカストロの悪魔(1)※

 


 エリオットが怯んだ一瞬の隙をついて、デイジーはエリオットの鳩尾みぞおちを膝で蹴り上げ、エリオットの拘束から逃れた。精霊の炎に触れたくないのか、デイジーは炎の囲いからは出ず、距離を取れるぎりぎりの範囲でエリオットへ見下す。

 エリオットは蹴られた鳩尾を抑え、前かがみになりながら目の前の悪魔を見やる。


『久しぶりね。お兄様。』

「…。」


 憑依されているのはデイジーだ。しかし、今、目の前に居るのは幼い頃の記憶に残ったままのジャスミンの姿。


『あれ~?久しぶりの再会なのに、どうして何も言ってくれないの?嬉しくないの?お兄様。』

「………お前はジャスミンなんかじゃない…。」

『ひど~い!…そういえば、この前もそんなこと言ってたよね…。何年前だっけ…。……は本当にお前の妹だったのに…、お兄様。』


 ニヤッと口角を上げた相手にエリオットはピストルの弾を放つ。しかし、ジャスミンは引き金が弾かれる前に間合いを詰めてピストルの銃口をいなし、エリオットの顔面に向かって強烈な飛び蹴りを浴びせた。いなされたピストルの弾丸は玄関ホールの窓を粉々に割り、外からの雨が屋敷内に直に入り込む。

 左腕で蹴りを防いだエリオットだが、その蹴りは重い。骨が軋むような音が体内で響く。その痛みを無視して相手にめがけて二発目の弾を放とうとすると、一気に空気が重くなった。


(…っ!?)


 呼吸がしづらい。

 精霊の炎がベルゼブブの圧によって一瞬にして消され、ジャスミンはバク転をしながらエリオットから離れた。





『…酷い男になったのね。妹に向かって銃を放つなんて…。』

「…っはぁ…はぁ、…お前は、俺の妹じゃない…。」

『そんなことないわ。お兄様も見てたでしょ?――あの時、の魂を喰ったのを。』

「…っ!?」

『あの時から俺はジャスミンで、ジャスミンは俺なんだよ。だから、お兄様がこの世から消そうとしているのは実の妹。妹を二回も殺すなんてお前は酷いお兄様だなぁ…。』

「…黙れっ!!!」


 叫ぶと余計に息が苦しい。地面に押し付けられているように空気が重たい。息を吸っても、酸素が身体を回っていないような感覚だ。


 二人の空間に雷鳴が轟いた。雨脚は嵐のようにどんどん増し、辺りは真っ暗だ。僅かな灯りしかないこの大階段のある玄関ホールは、天井から雨水が滴り、窓からは大雨が降り注ぐ。床は水の膜が張り、鏡のようになっていた。その鏡に雷の光が反射する。


 雷鳴が鳴り響く。柱の陰から、ジャスミンがこちらの様子をうかがっている。もはや、ジャスミンと言えばいいのか、デイジーと言えばいいのか分からない。ジャスミンの容姿をしたデイジーが、エリオットを嘲笑うかのような表情で見つめていた。



 エリオットは自身を見つめる妹の姿に、ピストルを握る力が強くなる。

(…悪魔の言葉に耳を傾けてはダメだ…。感情を乗っ取られるな…。)


 冷静でいようと思えば思うほどジャスミンと過ごしたわずかな時間と、最後の瞬間が脳裏をよぎり心臓が悲鳴をあげた。


(…惑わされてはダメだ…。ジャスミンはもう居ない…。冷静になれ…。)





『それにしても、お兄様祓魔師エクソシストになったのね。』

「…。」

『もしかして私のため?…あはっ、おっかしい!』

「…っ。」



 

 距離があったはずのジャスミンが目の前に移動した。





『もう一度この身体と首、切り離してあげようか?』

 





 笑顔を浮かべたジャスミンが、自分の左手を首へ突き刺そうとする。その爪は恐ろしいほど鋭利にとがっており、エリオットは咄嗟にジャスミンの左手を掴んだ。


「…っやめッ…!――」





ザシュッ













『…馬鹿ねぇ、お兄様。』

「…っ…、ごふっ…。」


 脇腹がどくどくと脈打っている。ジンジン熱いのか、ズキズキ痛いのか分からない。暖かい何かが腹部を広がる。


『連れて行くのもいいけど、この身体には使い道があるの。だからまだ壊さないわ。』

「…っ…。」

『まぁ、おいしそうだから魂はすっごく食べたいんだけど、そんなことしたら私が彼に殺られちゃうし…。』



 カランカラン…



 エリオットの脇腹から引き抜かれた剣が玄関ホールの大理石の上に転がった。床に溜まった雨水に、剣に付着していた血が滲む。



『あーあ、もう少し楽しめると思ったのに…。』

「…くっ…、…はぁ…。」

『じゃあね。お兄様。』


 エリオットはその場で崩れ落ちた。

 倒れた途端に重かった空気が和らぐ。しかし、エリオットは立ち上がるどころか、指一本動かすことが出来ない。視界がぼやけだす。

 割れた窓から降り注ぐ雨と、冷たい大理石が身体の体温を奪う。水の膜が張った床に、エリオットの血液が広がった。





















「…くそっ!」

 地面にたたきつけられたジャックは、真上から振り降ろされる重たいキッチンナイフを寸でで避け、馬乗りになっている執事服を着た老年の男の太ももにナイフを突き刺す。


「ジルフっ!!」


 ジャックの叫びに反応し、突き刺した左足の太ももが体内から光を帯び、一気に左下腿が吹き飛んだ。その隙に転がるように男から距離を取る。


「…はぁ、…はぁ…。」

(…どういうことだ…?)


 ジャックは先ほどから戦闘している相手の様子を見る。左下腿を吹き飛ばしたはずなのに、その吹き飛ばした場所からブクブクと身体が再生したのだ。これで何度目か…。


 死んだ魂が悪霊と化し、パワーを蓄え身体を具現化することはある。花嫁の悪霊がそうだ。しかしその場合、具現化すると言ってもそれは本来の肉体ではない。

 だが、目の前の悪霊は執事の身体に憑依しているのか、執事が悪霊となり身体を具現化しているのかが分からない。

 始めはあまりにも歩き方がおかしいし、身体の動きが不自然だったため、悪霊が無理をして人間の身体を動かしているのかと思ったが、何度身体を切り落としてもそこから切り落とした身体が生えてくるのだ。魔力で身体を生み出しているのか…?しかし、そんな話聞いたことがない。



『キケケケケケッ!』


 再び奇声をあげながら切りかかってきたキッチンナイフを自身のピストルで受け止める。――が、男の足が真横に動いたのを見逃した。もろに横からの蹴りが顔面に入り、ジャックの身体は勢いよく部屋の隅に飛ぶ。


「…ごほっ…、…っ!?」

 口の中が血の味がする。頭も揺れ、視界がぼやけるが、首が折れなかっただけましだ。目の前に男がいるのは気配で分かる。振り下ろされた刀をふさごうとピストルで構えるが、焦点が合わない―



「…くっ!」









 ぽたぽたと左腕から血が滴る。

 振り下ろされたキッチンナイフは右手のピストルでふさぐことが出来たが、左側から向かってきたナイフへの対応が遅れてしまった。頭蓋骨めがけて進んできたナイフを、咄嗟に左腕で受け止めたのだ。左腕をナイフが貫き、激痛が走る。

 ジャックは男の足をはらうと、男がよろめいた隙にピストルの弾を放った。見事に避けられてしまったが、相手との距離が出来る。


 左腕に刺さっているキッチンナイフを抜き取ると血液がぼたぼたと滴るが今は気にしてられない。出血や皮膚の損傷のことを考えれば抜かないのがベストだが、それだとナイフが邪魔で戦えない。

 ナイフを引き抜いた左前腕からは血液がどくどくと流れ、骨さえも切断したのだろうか、腕が不安定だ。


(…っチッ…)


「…本当、お前何なんだよ…。言葉が通じないし、見たところ悪魔でもないんだろう?お前みたいな悪霊知らないんだけど…。」

(俺の体力ももう長くは持たない…。ジルフの力も、こいつに勝るだけの力を出せるか分からん…。)


 目の前の男を観察する。力が強く、身体の動かし方のわりに素早い。そして、再生能力――



「…お前のことを是非ともじっくりと研究させてほしいよ…。」


 

 言葉の余韻もなく襲い掛かってくる男のナイフを、自身の腕から引き抜いたナイフで防ぐ。力が拮抗するが、先に悲鳴を上げたのはジャックが使っていたナイフだった。


「ジルフ…。」


 精霊の力をナイフに込める。しかし、ナイフのひびは止まらない。


「…チッ。」

 ジャックはナイフが崩れる前に目の前の男に詰め寄り、膝蹴りを入れピストルを放つ。しかし、蹴りも弾丸も避けられた。学習能力があるのか、どんどん避けられる比率が上がってきている気がする。


(…左腕が仕えない分、接近戦は厳しい。意味わかんないぐらい力が強いからな…。)


 未だ虚ろな瞳で口が裂けたような笑顔を浮かべ、首を一拍おきにガクガクと振っている男を観察する。見た目での変化は見当たらない。しかし、確実に相手も知能がある。この短時間で成長しているのだ。

 地面を蹴り、ナイフで襲ってくる男の足にピストルを放つ。しっかりと当たっているはずだ。普通なら一発当たっただけでも祓えるというのに、一瞬足を止めただけで何事もなかったかのように襲い掛かってくる。ジャックは振り下ろされるナイフを相手から視線をそらさずに、後ろへ飛ぶように避ける。

 しかし、いきなり相手の手法が変わった。ナイフを捨て、勢いよくジャックの間合いに詰め寄り、鳩尾を膝で蹴り上げた。


「…っごふっ」

(…こいつっ…、さっきの俺のやり方をっ…!)


 すぐさま首元に肘が落とされ、ジャックはその場に崩れ落とされる。



シャキン…


シャキン…



 男が新たなナイフを取り出し、互いの刃をこすり合わせる。嫌な音色が部屋に響く。






――パンッ!





「…はぁ…、はぁ…。」


 ジャックが放ったピストルの弾丸は執事に当たることなく、地面にめり込んだ。目の前の執事が一瞬だけ後ろを振り向いたが、相も変わらず虚ろな瞳で裂けたような笑顔を浮かべていた。


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