第8話
「あの、流れた汚物はどうなるんですか⁉︎」
「汚物はねー、下の汚物溜に一度保管されて集めるのよ。そのあと魔法で固形肥料するの。この国の紙は肥料化の時に汚物の匂いを分解する成分が含まれているから、トイレ用の紙以外の紙はトイレに流しちゃダメよ。あと、使いすぎもダメ。流れなくなるかもしれないでしょ? ほどほどにね。使い過ぎたら請求するからねー」
「まあ、今宵は用を足される度にミッテ様にお願いして流してもらうことになると思いますので、その時にでも加減を教わるのがよろしいかと」
え…。
四人だけでなくミッテも固まる。
しかし、魔石で水を流すのがアルバニスのトイレ事情である以上…そうなる運命だ。
「それとも今日中に魔石の使い方を覚えられますか?」
「で、できれば!」
「そ、そうっすね! ぜひ!」
「俺もすぐに覚えたいです!」
「み、右に同じく!」
「ではサクサクとノルマをこなしましょう。皆様のやる気がある内に」
ここでミッテは退出。
一応カウンターには彼女しかいないわけだ。
いつまでも留守にはできない。
ベッドのところに集まると、エルメールに箱を手渡される。
「これは…?」
「通信端末です。この国では一人一台必ず持っています」
「あ!」
ランスロット団長とハーディバルが説明してくれた。
国民には一人一人個人番号がある。
通信端末には連絡IDがあり、それは個人番号から数桁の番号が利用されるのだそうだ。
しかし、リゴたちはこの国の民ではない。
「…そうですか、団長とハーディバルが説明をしていたんですね。それなら話は早いです。皆様には仮の個人番号を発行いたしました。そこから連絡IDを作って端末に入れてあります。この国で生活する上で魔石と通信端末は必要不可欠と言っても過言ではない。そして、使うには魔力が必要です。とは言っても、通信端末にも魔石にも大した魔力は必要ない。本格的に魔法を覚えたいのであれば、学校で習えばいいのです。まずは初歩の初歩…魔石と通信端末へ魔力の通し方を覚えましょう」
「ま、魔力…。俺たちにもあるんでしょうか…?」
それはフレデリックが見せてくれた氷や炎を無から生み出す力。
胸が高鳴るが、同時に不安も襲ってくる。
「大丈夫です。この世界…リーネ・エルドラドの全てに魔力は宿っていますから。…アバロン大陸では魔法が使えないと聞いていますか、殿下たちはそのことに何かおっしゃっていましたか?」
「環境のせいと、生息する生き物の差…と」
「そうですね…アバロン大陸にはかつて四体のドラゴンの『王』が棲まわれていたといいます。というか、元々は彼の王たちが棲むために、作った島なのだそうです。しかし人間が立ち入ったことでドラゴンの王たちは一族を率いてバルニアン大陸へと戻ってきた。…移住を試みた人間達のために一体のドラゴンの王が残り、彼の王のおかげでアバロンの地は存続を成すことができたといいます。…しかし、彼の王のみの力では大地を維持することしか出来ない…」
「………」
世界に豊かさを与えてくれるドラゴン。
ドラゴンの王。
その末席というパルですら、なかなかの大きさだった。
大人二人か三人は余裕で乗れそうなくらい。
「ドラゴンって、さっきスヴェン隊長が見せてくれた…」
「パルですか? パルはエアドラゴン。ドラゴンの中では最弱の部類です。我が大陸に棲まう真のドラゴンは、この建物くらいあると言われています」
喉がヒクついたのがわかる。
この建物と?
それはちょっと大きすぎるんではないでしょうか。
「そして、その力は人智を超え、想像を超える。ドラゴン族には八体の『帝王』がおり、それぞれが八大霊命の一つを司っているといいます。彼の王たちを敬い、畏怖の念を込め人は『八竜帝王』と呼ぶ。アバロン大陸には『八竜帝王』の中で最も人に親しみを持つ『銀翼の王』が残ったとされています。彼の王のお力でアバロン大陸は大地を維持していると…そう伝わっているのです」
「…す、すごそうです…」
「そうですね…私もドラゴンはシードラゴンやエアドラゴン、ニーグヘルやうちで預かっているホワイトドラゴンくらいしか見たことはありませんが…『王クラス』のドラゴンは我々の想像を遥かに超えるのでしょう。我が国に残る伝承で、『銀翼の王』がアバロン大陸を守り続けていると…そう言われているくらいに」
ドラゴンがいるから、アバロン大陸の大地は維持されている。
無事でいる。
だがリゴたちはドラゴンなんて空想の生き物だと思って生きていた。
パルに出会うまで、本当に半信半疑だったくらい。
だが、本当にドラゴンは実在した。
パルに触れたリゴにはもう疑いようもない。
ドラゴンはいる。
存在した。
そして、バルニアン大陸も。
伝説は真実だった。
だから、バルニアン大陸に伝わる伝説もーーーー。
「話が少し長くなってしまいましたね。ともかく、アバロン大陸とバルニアン大陸では違いが多いのです。それは、ご自身たちで体験していただいた通りでしょう。だからこそ、自分の中の力も信じてください。ここはバルニアン大陸、アルバニス王国…皆様の中にある力を目覚めさせる事の出来る地なのです」
もう何度目かわからない生唾を飲み込む。
通信端末を手に握り締め、覗き込んだ。
そうだ、ここはアバロン大陸じゃない。
人に使われるだけの人生を拒んで、自分で望んでこの地に来たのだ。
あんな、いつ殺されるか分からない場所へ帰りたくない。
そんな生活にも戻りたくない。
この国が理想郷かどうかは正直まだ分からないが、自分で飛び込んだ以上やれるだけやるしないと思った。
「…具体的にどうしたらいいんですか?」
「……。具体的に…。どう…。………」
「? エルメールさん?」
「………。…考えたことありません」
「はい⁉︎」
急に思案顔になるエルメール。
無表情は相変わらずだが、指を顎にあてがって考え込む。
「物心ついた時から意識せず使っていたので、具体的にどう使うかは考えたことがないです。専門家が解析して理論的に魔法の使い方を研究してはいますが…。魔力の通し方までは…」
「……。で、では具体的には魔力というものはどういうものなんですか?」
「そうですね、そこから考えたほうがいいのかもしれませんね。…魔力、というのは世界のあらゆるものに含まれる精神、心、魂と呼ばれる部分だと言われています。石にも水にも、もっと言ってしまえばこの建物に使われる資材、今居るこの部屋の壁、床、天井…全てに魔力が通っているとお考え下さい」
「す、全てに…」
「意思なきものにも魔力は通う。そして意思あるものは自在に操る事が出来る。それが魔力だそうです。…とりあえず、ここはイメージで試してみてはいかがでしょうか?」
「イメージ?」
なんか急に曖昧になった。
「手足を動かすように、端末を起動させる感じです。…かね。私の場合はそうです。意識せずに、手や足を使うときのような感覚で使っていますから」
「そ、そんな自然に…」
それが当たり前という事か。
それが、この国の常識。
物は試し。
四人は頷き合って端末に自分の魔力を通すイメージを試みた。
うんうん唸って、精一杯イメージを続けるが……………。
「そ、そんなに難しいでしょうか…? 考え過ぎなのでは?」
凡そ十分程、頭の使いすぎでコゴリが膝をつくまで練習しても効果はない。
どうしたらいいんだろう、全くわからない。
「うう、む、難しすぎる…」
「ほ、本当に使えるのか? 俺たち…」
「フレデリック殿下も使えるはずだと言っていたけど…。そういや、ハクラは才能があるって太鼓判押されてたよな…俺たちとは体質が違うんだっけ? やっぱ体質が関係してるんじゃないか?」
「そういえばそんな事言ってたな…」
「ハクラ?」
首を傾げるエルメール。
ハクラもまた、殿下たちの用事が終わればバルニアン大陸に来ると言っていた。
ここはハクラのことも教えておいた方がいい。
「俺たちと同じ奴隷です…けど、あいつは俺たちよりずっと高額でフレデリック殿下たちに買われました。料金分働くと、殿下たちの旅に同行しています。なんでも、ハクラは魔法が使える体質だとか…殿下たちが…」
「…もしかして、体内魔力の許容量が多い方なのでしょうか?」
「あ、はい、なんかそんなようなこと言ってました」
「…そうか、体内魔力…。すみません、少々お待ち下さい」
全員が頭に「?」を浮かべるが、本当に少しで部屋から出て行ったエルメールは戻ってきた。
その手にはガラスのコップと、計量スプーン。
「お待たせ致しました、ご説明します」
「? は、はい」
なにかヒントをくれる気になったのか。
全員なぜか床に正座で待ちの体勢。
エルメールはガラスコップに触れると、小さな魔法陣を浮かべる。
途端に空だったコップに水が満ちていく。
本当に、実に自然に魔法を使う。
「このコップを人間の体と思って下さい。中身は魔力。そうイメージをして下さい」
「は、はい」
「恐らくですが、そのハクラさんという方はこのように体内に溜め込める魔力の容量が大きい方なのだと思います。私の弟も生まれつき体内魔力蓄積許容量が桁違いに多い体質でした。こういう体内魔力容量の膨大な体質の人間は、空気中にある自然魔力を使わずとも体内の魔力を用いて魔法を使えます。フレデリック殿下が仰っていたのはそういう事ではありませんでしたか?」
「あ…」
ーーー「たまに人間の中にも破格の体内魔力蓄積許容量を持つ者が生まれてくる。生まれつきの才能だね」
ガラスのコップは肉体を表し、その中身が魔力。
大きなカップの横には計量スプーン。
それが表すのは、恐らく…。
「じゃあ、俺たちは…」
「そうです。普通の人間の体内魔力蓄積許容量はこんなものとお考えください。体質的にこれよりも少ない方もいます。私もあまり体内魔力の容量は多くありませんが、そんな私でもそこそこ強力な身体強化魔法は使用できます。理由は先程言った通り、この世界のあらゆるものに魔力が宿っているからです。特に多いのが大地と、そして目に見えませんが空気!」
「空気?」
「我々は呼吸しますね? その呼吸によって、空気中の魔力も体内に取り込みます。それをコップのように大量に溜め込めるのが、生まれつき恵まれた容量を持つ人になります。しかし、普通の人間はこの計量スプーンのように溜め込める量は微々たるものです。それでも魔石やこの通信端末は、体内の少量の魔力でも使うことが出来る仕様になっています」
計量スプーンの中にちょっとだけ入っている少量の水でも、反応するよう作られているのが魔石と通信端末。
なら量は問題ではないということ。
ハクラや、彼のあの毒と棘のある弟さんが生まれついての魔法の才能の持ち主だろうと自分たちが魔法を使う使えないには関係はない。
では、どうしたら体の中の魔力を引き出して使うことが出来るのだろう?
「皆さんの中にも確実に魔力はあります! それを少しでもいい、どうせ少しなのですから、とにかく外へ出す…イメージです!」
イ…!
イメージ…………‼︎
(…け、結局イメージなのか…)
拳まで握って高らかに叫ばれたのは…イメージという言葉。
やる事は変わらないようである。
(…しかし、まさかアバロン大陸に殿下がお認めになるほどの容量保有者がいたなんて…少し驚きましたね)
イメージ。
とにかくイメージを。
四人はまたもうんうん唸りながらイメージし続けた。
そして……。
「これはいけません。昼の鐘が鳴ってしまいました。今日はここまでに致しましょう」
「え、終わりですか⁉︎」
「時間が押しております。昼食をとりに街に参りましょう。衛騎士隊の隊長に皆さんをご紹介しておかねばなりませんし。通信端末はお持ちになったままで構いません。というか、持ち歩くよう心がけてください。もし迷われた場合、私の方で端末の場所がわかるようになっております。万が一の場合迎えに行くことができますから」
「…わかりました」
確かにあの広さの街で迷ったら…考えただけでゾッとする。
街の人は親切だし、騎士もいたけれど、それでもだ。
エルメールにいきなり差し出された魔石に戸惑う。
これはまさか?
「手をお触れ下さい。城下街へ飛びます」
なんて、便利な。
しかし部屋はこのままでいいのか?
困惑していると、エルメールにお早く、と怒られる。
怖いのでいう通りにすると、またも景色は瞬きの間に変わった。
最初に見た、あの巨大な転移陣の上だ。
「まずは衛騎士隊隊長にご挨拶致しましょう。恐らく皆様が一番関わるのが衛騎士隊となると思われます」
「門を守ってる人たちですよね」
「はい。衛騎士隊は、他の四隊とは仕事の内容がまるで異なる騎士隊です。他の騎士隊が魔獣討伐や国家の安全、救助活動等、主に戦闘が中心であるのに対し彼らの職務は街と国民の安全と信頼を守り、犯罪者を捕らえ、防犯に勤め、困っている方々にお力添えをしたり、とにかく民との交流が中心となっております。騎士隊の中では一番地味とも言われますが、隊員数は最多であり衛騎士隊隊長は必ず騎士団の団長か副団長を務めなければならないと定まっている程、指揮系統も統率体制も他の騎士隊と異なる隊なのです」
「…警備隊、みたいな感じか?」
「馬鹿、警備隊は金持ちしか守らねーよ」
「そうですね、あまり警護などはしていないと思います。そういうのは衛騎士ではなく、勇士や傭兵を雇う方が多いですね」
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