第3話


『メ・ンデラ』。

 確かにこの街一番の良宿だ。

 俺も門の前を歩いた事しかない、当たり前だけど。

 …なのに、俺は今…その『メ・ンデラ』で一番高い部屋の…風呂場にいる…!


「ほれほれ! しっかり隅々まで洗うんだぜ!」

「うわ、うわ!」

「わははははははは」

「うにゃあーーー!」


 …とりあえず、俺は一つ勘違いをしていた。

 大柄な男、名前はジョナサン様。

 この男はご主人様の護衛ではない!

 ご主人様より先に俺と風呂に入るという、この暴挙!

 普通風呂に入る順番はご主人様が一番最初だろ⁉︎

 俺がそう言ってあたふたしているのをまるで気にせず、服(という布)を破き捨て俺の一張羅をゴミ箱に投げ捨てやがった。

 更には乱暴に頭や体を隅々まで泡で蹂躙する…!

 ひいぃ…!

 一体なんだこの人〜〜⁉︎


「ただいま!」

「ああ、うん、お帰り。…うん、随分スッキリしたね」

「…………………」


 泣きたい。

 なんというか、心が折れたぜ…。

 風呂がこんなに恐ろしい所だったなんて、世の中知らない方がいいこともあったんだな…。

 ゆ、湯船は…すごく気持ちよかったけど…。


「さぁてと、おら、これ着ろ」

「え!」

「食事に行くのにあんな布切れ一枚ではとても連れ歩けないよ。みっともなくて」

「! …は、はい、わかり、ました」


 ジョナサン様から投げつけられたのは、さっき服屋で買ったシャツとズボン。

 それに下着や靴まで…一式だ。

 奴隷もそれなりの身支度をしないといけないなんて…や、やっぱりこの人たち、とんでもなくすごい人…なんじゃないか?

 俺、とんでもない人たちに買われちまったのか…?


 ……………………。



「どうしたの?」

「…まさか着方がわからねぇわけじゃああるめぇな?」

「う…」


 だ、だって布一枚だったんだぜ⁉︎

 服なんか着たことねぇ、わかるわけないだろ〜!


「…仕方ないね…」

「!」


 しゃがんで、目線を合わせてくれる。

 それから丁寧に、綺麗な指先が俺の肌に服を着せていく。

 それが、まるで魔法みたいで…。


 魔法………。


 そうだ、魔法!

 この人は、この人たちはーーー魔法使い!

 なんで今まで忘れてたんだ!

 昨日の夜確かに俺は見た。

 この二人が、川を歩いていたところを…!


「……………………」


 ご主人様に許可もなく話しかけるのはマナー違反だ。

 口を酸っぱくして何度も教え込まれた。

 …でも、でも…!


「あ、あの、聞いて、もいいですか…」

「なんですか?」

「…二人は魔法使いなの⁉︎ ですか⁉︎」


 我慢ができなかった。

 もしも、本当に、本物の魔法使いだったらーーー。


「ふぐっ⁉︎」


 襟を正してくれた、その綺麗な手が首を掴む。

 立ち上がるついでとばかりに俺の体もそのまま宙吊りになった。

 指の、腹が…の、喉の奥に……食い込む…!


「……そうだよ」

「…………っ!」

「まさか見られていたとは思わなかった。…姿を消す魔法も使っていたのに、君にはなんで見えたのかな?」

「おい、フレディ、もうバラすのか? 情報を引き出してからって言ってたじゃあねぇか?」

「もちろんそのつもりだよ」

「!」


 片手で軽々と吹き飛ばされる。

 背中が壁にぶち当たって、ずるりと床に落ちた。

 喉の苦しさからは解放されたけど…うまく息が吸えない…!

 く、苦しい…!


「げほ、げほ!」

「…うーん…やはりただの人間にしか見えないな。…外界の人間は魔法が使えないようだし…この子だけ特別なの、か?」

「…アバロンの民は魔法ではなく科学を進歩させたみてぇだが、その過程で魔力の強い者を排斥していったのかもしれねぇな。だから未だに奴隷なんて制度がある…とか、どうだ?」

「うん、まぁ、お前にしてはなかなかの考察じゃあないか? 今までで一番それっぽいよ」

「だっろーー?」

「(だとしたら、この子を殺すのは少し勿体無いか…?)…で、君は僕たちが魔法使いだったらどうだって言うのかな?」


 …魔法使い、なんだ…。

 この人たちは、本当に、本物の…魔法使いなんだ…⁉︎

 魔法使いだったらどうだって?


「は…はぁ…はぁ…そ、そら…」

「?」

「…俺も、俺は…そら、空が、…飛びたい…世界中、自由に…旅を、したい! 世界を見たい! だ、だから死にたくない!」

「………………………………」


 …魔法使いなら自由に空も飛べるし、何処へだって行けるんじゃないのか?

 俺は自由に世界を旅して見たいんだ。

 足枷のない足で歩いて、手枷のない手で空を見上げてみたい!


(…このガキ……フレディと同じ『英雄の資質』…)

「…………」


 コツ、コツ、と俺に近付いてきたご主人様。

 怯えるのはおかしい。

 相手は俺を買ってくれた人。

 その人が俺の前にしゃがむ。

 手が伸びて…。


「…っ!」


 今度こそ殺され…………っ!



 カシャン。



 手の甲が軽くなる。

 両手に取り付けてあった手枷が床に落ちる音。

 鍵はご主人様が持っているわけで…。


「え…」

「足を出して」


 言われるまま足を手前に、出す。

 もう一つの鍵で足枷も外してくれた。

 頭の中は混乱が続く。

 どうしてーーー?


「…人の人生は有限だ。それを忘れず、残りの人生を歩むといい」


 …その時、俺は初めて目の前の人の顔を真正面から見たと思う。

 綺麗な顔だとは思っていたけれど、本当に綺麗な顔だった。

 どこもかしこも整っているし、右側だけ切りそろえられた髪は肩まで長くてサラサラで。

 眼鏡越しでもわかるほど睫毛も長いし、くっきりと縁取られたような瞳は髪のように艶のある黒で…。

 俺がこの世で見たこともないほど、その人は美しいと思った。


「これで何処へでも好きなところへ行きなよ。アバロンでは結構な値打ち物らしいしね」

「!」


 放り投げられたのは一つのクレア・ルビー。

 俺の手のひらと同じくらいの大きな…。

 これ一つで、割り増しされた値段の俺が買えたんだ。

 つまり、6000プレは軽く超える価値。

 俺の人生を変えた石…。


「……。じゃあなガキんちょ。達者で暮らせよ」

「お腹空いたし、食事できるところを探そうか。ヨナ、何食べたい? 言っておくけどお菓子は食後だよ」

「え〜〜。じゃあ肉かねぇ?」

「肉! いいねぇ。血が滴るやつがいいな♪」

「…俺はこんがり焼いたやつがいいなぁ」



 バタン…。


 広い部屋に取り残される。

 …俺は……もしかして、捨てられた………?


 手枷のない手。

 足枷のない足。

 錘のない体。

 立ち上がって、跳ねてみて、手を広げたり閉じたり。

 じわじわと胸に広がる喜びと感動。


 リゴ…俺を買った人は、本当に本物の魔法使いだったよ。

 そんで、この世で一番…変な人だ!

 奴隷を、解放するなんて!


「…………」


 でも、正直念願叶って手枷や足枷がなくなってもどうしていいのかわからない。

 この宿部屋はあの人たちがお金を払って借りた部屋だし、待っていれば戻ってくるのかもしれないけど…。

 …お腹……。



 グゥゥ…。



 …俺も減ったんだよなぁ…。

 腹を撫でても膨れないのはとっくの昔に学習済みだ。

 そして腹を撫でた時、上質な絹の感触にドキドキした。

 そういえば、俺…服も貰っちまったんだっけ…。

 こんないい服、着られる日が来るなんてな。

 風呂も、洗われる時は大変だったけど湯船はめちゃくちゃ気持ち良かった!


「……………………」


 それに…。

 それに、思い出すと変にドキドキするんだ。

 真正面から見た、あの人。

 この気持ちはなんなんだろう?

 分かんないけど、このまま離れるのは嫌だな。

 俺は買われた奴隷で、あの人は俺を買った主人なんだ。

 俺、奴隷としてまともに仕事してないし…。

 そうだよ、俺、荷物持ちとして買われたんだからちゃんと仕事しねぇと!


 顔を上げて、ドキドキしながら扉を開ける。

 手枷も足枷もしていない奴隷って、どんな目で見られるもんなんだろう?

 だだっ広い、赤い絨毯と金色の屏風が飾られた廊下をビクビクしながら歩く。

 あの人…いや、あの人たち、飯食いに行くって言ってたよな?

 じゃあ、宿の中の飯屋かな?

 それとも宿の外の飯屋か?

 どちらにしてもデッケェ方の人は目立つし、聞き込みすれば居場所は分かる、はず!


「? 何かお探しですか?」

「⁉︎ あ! …あの、ご主人様を探しているんだけど、二メートルくらいありそうな大男と眼鏡をかけた綺麗な男の二人組、見てない? …ですか?」

「ああ! そのお二人にならさっき宿の外の美味しい肉料理屋をご案内したよ! …お二人共整ったお顔立ちだったけれど…あの眼鏡の殿方…素敵な方よねぇ……あなたのご主人様だったの? 羨ましいわぁ〜」


 お、おおう、一発目で早くも…。

 …っていうか、眼鏡の旦那も顔立ちで目立つのか…だよなぁ。



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