ハルシオンとギュペシルク
駐輪場で待っていると、正門を出てこちらに歩いてくる哲子さんが見えた。
哲子さんはいつも通りのふわふわしたロリータ服。
「お待たせ」と哲子さん。
「すいません、わざわざ駐輪場まで来ていただいて」
「私が来なかったらどのくらい待つつもりだったの? ……断るにしても、ちゃんと会って断るわよ」と、ちょっと呆れ顔だ。
「それで、このあともし良かったら一緒にカフェにでもって思ってたんですが……」いつも通りの哲子さんの洋服が、すでに断るつもりだと伝えてくる。
「この後、会社に戻らないとだから……」
「あの、無理言ってすいませんでした。本当はいつも通りの哲子さんの恰好を見て、哲子さんが断るつもりだったのはわかってたんです」
「……君の悪い癖だね、一方的に話しかけるの。元気があるときは長所だけど」
そう言いながらスカートの裾を少しずつめくりはじめる哲子さん。
「わわ」と思わず声が漏れたけど、目を逸らす僕。「ちょっと、田村君」という哲子さんの声で、ゆっくりと顔を向ける。少しだけめくられたスカートの中は膝丈のズボンのようなものが見える。
「ドロワーズっていってね一応下着なんだけど。普段はスカート丈より長いのは履かないのよ私、って違いわからないよね。後ろに乗るぐらいならできるから、カフェは無理だけど駅まで送ってくれる?」と哲子さん。
「あ、けど哲子さんヘルメット?」哲子さんの頭は、部室から借りてきたジェットヘルメットを被れるような髪型じゃない。
「もう一回、向こう向いてて」と言われてまた向こうを向く。「いいわよ」と言われて振り返ると、黒髪のショートボブカットを手櫛で直している哲子さん。
「カ、カツラ?」と驚いている僕に「ウィッグ!」という哲子さん。
「こんな見た目で幻滅した?」という哲子さんに、気持ちを伝えるなら今しかないと思った。TWとTT-Wが後押ししてくれる。
「あ、あのっ! 哲子さんに聞いて欲しいお話があって。僕、バイクを親から降りろとか落ち着いたらやめろとかずっと言われてて。その度にいつも笑って誤魔化してたんです。自分の好きなことなのに。でもそんな時、大学に入ってすぐの頃、テラスで哲子さんを見かけたんです。堂々としててすごくかっこよかったのを覚えています、それからずっと目で哲子さんのことを追うようになってて……」
「哲子さんが自分の着たい服を自由に着ている強さに、美しさと憧れを感じたんです、だから最初はかわいい人だなって気になってたけど、見た目で惹かれたんじゃないんです。好きです、哲子さん。また会って欲しいです、僕と付き合ってください」
「ありがとう、けどごめんね。君とは付き合えない」即答をする哲子さん。ある程度、僕の今までの態度で気持ちに気付いていたのかもしれない。
「洋子やユキから聞いているんでしょ? 私がバイクを毛嫌いしている理由」
「あ、えと、はい。僕が頼んで教えてもらいました」
「いいのよ、気を使わなくて。私が洋子やユキに怒ってるのは、いつも本当の気持ちを私に隠してることについてだから。だけど、それも元はといえば私の所為だってのはわかってるつもりよ」
「バイクが嫌いなのは、きっとまだ前の彼に未練があるから。田村君はいい線言ってるけど、そんな気持ちで真っすぐな年下の男の子とは付き合えないよ」
「それに自分のスタイルを曲げてまでバイクに乗りたいとは思わないから」
「今日だけよ、田村君。君のバイクに乗るのは。今日ぐらいは君のバイクに乗ってもいいかなって思った。そのくらいはイケてたよ田村君」
そういってヘルメットを被る哲子さんをTWの後ろに乗せて茅ヶ崎駅に向かった。
「これって洋子のデザイン?」スカジャンに縫い付けたばかりのバイクサークルのロゴを細い指先でつつきながら質問する哲子さん。急につつかれた背中に起爆装置のスイッチがあったみたいに心臓がドキドキとカウントを刻む。「そうです!」と後ろに聞こえるよう大声で答える。
「やっとできたのね」と哲子さん。
今は12月だというのに僕のグローブの中は、汗でぐっしょりと濡れていた。
僕の腰に回された哲子さんの手はすごく自然で、緊張も何もしていないその手に、年下の僕は悔しさを感じた。
せっかくの夢みたいな時間なのに、道はガラガラで、バイクに乗り始めて初めて渋滞が恋しいと思った。茅ヶ崎駅が近づくにつれて、ゴーグルの中の景色が歪んで見えた。
駅について、哲子さんからヘルメットを受け取る。態度が悪いかもだけど、僕はゴーグルを外せなかった。
「じゃあね、田村君」そう言って駅に向かって歩いていく哲子さんの背中を呼び止めたかった。「……の、哲」僕が勇気を振り絞る瞬間に振り替える哲子さんの姿。
こちらに歩いてきて僕の前に立ち止まり、顔を近づけて口を開く。甘いバニラの香水がふわっと遅れて匂ってくる。
「ユキに、あの時はごめんねって伝えておいて。あと、洋子にバイク似合ってるわよって」と、そういって哲子さんは帰っていった。
きっとこの先、僕はバニラの香りを嗅ぐたびに、大好きな人とのタンダムを思い出す。
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