第10話 アルトとトッド
「トッドさん。もう引き返しましょうよ」
「なぁに言ってんだぁ、アルトぉ。まだ1匹も捕まえれてねぇじゃねえか」
「大丈夫ですって。きっと他のチームが捕まえてますって」
「テメェはそれで良いのかよ。妹ちゃんがくたばりそうなんだろ?」
そう言われると、僕は何も言い返すことができなかった。
もう暗い森の中、先ほどまで煌々と燃え盛っていた炎は、突如として降り出した大雨によって鎮火し、今となっては燻る炭すら見当たらなかった。
森はよく燃えた。トッドが持ってきた火炎放射器機が燃料切れになるほどに火を撒いたのだ。森の全てが焼け野原になってもおかしくないほどには、十分な炎がこの森を覆い尽くすはずだった。
妖精たちが、炎に巻かれて死ぬかもしれないという不安はあった。しかしトッド達はしきりに言うのだ。「やつらは炎なんかじゃ簡単には死なないが、火に巻かれりゃ逃げてはくるだろう」と。
その言葉を全て信じていた訳ではないし、それ以外の方法があるのなら僕だってそうしたかった。
眠らない国を見つけ出し、そこから1匹だけ連れてこればいい。
それさえすれば僕は、ある程度の金を持って妹の元に戻ることができる。そうすれば、妹を治癒師様に診てもらう事だって出来るはずなのだ。
そのためなら、今はこの方法しかないのだと自分に言い聞かせた。湿った土を踏みしめて、ぽたりぽたりと木からしたたる滴を受けながら、妖精を探し、松明をかざす。
「ったく、なんだってんだよ!あれだけ燃えてたんだぞ!?1匹2匹くらいは逃げ出して、捕まってもいいだろうが!」
トッドが近くにあった木を怒りに任せて蹴ると、葉が揺れて、小さく雨が降った。数枚の葉も落ちてくる。
僕は何気なく、トッドが蹴った木の上を眺めた。ああ、そんなに怒ったってどうにもならないのにな。なんて思いながら、半ば諦めまじりにぼんやりと、落ちてくる滴の元を探すように、見上げた。
ぽわり。
と、光る玉が浮いていた。
それはとても小さく、僕の拳と同じくらいの大きさで、妖精ではない事はすぐにわかった。
「ト、トッドさん!これ!」
僕は指を刺し、彼の方を見る事なく声を荒げた。この光の玉から目を離したら、消えてしまいそうなほどにぼんやりとした、柔らかい光だったからだ。
しかし、少したってもトッドの汚いダミ声は聞こえてこない。
不意に不安になり、ふと前を見ると、トッドは確かに先ほどと同じ位置に立っていた。ズボンのベルトの上に乗った無様な腹の肉、薄くなり始めた髪のせいで、頭皮が後ろからでも良くわかる。
「な、なんだぁ、ありゃぁ」
不愉快な音が聞こえた。
それが押し殺すように声を漏らす、トッドの声だと気づくのにそう時間はかからなかった。
トッドは上を見ていた。
木の上、と言うよりもそれは、森の上の、空といった方が良いかもしれない。
彼は、空を見上げていた。
僕は先ほどの光の玉の事を一瞬忘れて、トッドの目線の先に顔を向ける。
そこに、いたのだ。
北の空の、光景だった。
空を覆わんとするほど大きな、光だ。
妖精の形をした発光体が、北の空に浮かんでいた。
その周囲には、無数の光の玉が漂っている。
「こりゃ、やべえぞ。嘘だろっ!」
トッドはそう言うと、その体からは想像もできない俊敏さで振り返り、一目散に逃げだした。
僕の隣を勢いよく通り過ぎ、僕には一つの声もかけることなく走っていく。
「ありえねえ、女神なんて、降りてくるわけねえだろ。やべえ、やべえ!」
遠ざかっていくトッドは、焦りを隠せない様子で言葉を繰り返し、そうしてすぐに生い茂る草と木々に紛れて見えなくなった。
僕はと言うと、茫然とその美しい光景に見惚れていた。
巨大な妖精が、雨に濡れた夜の森を照らしているのだ。
空を泳ぐ光の玉が、いささか星々のようで、突然に星空が降ってきたのかと思ったほど、異様な美しさを醸し出してた。
しばらく立ち尽くし、持っていた松明が消えかかるころ。
頭上で広がる光景が、大きく変化した。
妖精の形をしていた発行体が、蒸発するかのように天へと昇っていくのだ。
それはまさしく、下界に降りてきた神が、天に帰っていく姿、そのもののように思えた。
光が瞬きながら、妖精の姿を崩して少しずつ消えていく。それを最後まで、しっかりと見届けた。
◆◆◆◆◆
「ルカ様、もう消えてしまってますよ。大丈夫ですか?」
「さすがにもう無理、これ以上はわたしが天に召されちゃう!」
しばらく放心状態で、もう何もなくなった空を眺めていると、どこからかそんな声が聞こえてきた。
松明はもう消えていて、夜の森では何も見えない。
目を凝らし、あたりを見渡す。
ぽわり、と明かりがついた。
――そして、目が合ったのだ。
雨に濡れた木々の合間、その奥に、水色の長い髪に魔女帽を被った少女と、銀のショートヘアーに黒いカチューシャを付けた女性が、こちらを見ている。
そして、2人の声が同時に聞こえてきた。
「「これはまずい事になりました(なっちゃった)」」
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