第4話 迷いの森 弍

「は......はい!私です!」


訳もわからず私は答えていた。


「そうか。なら下がってろ」


「そんな!あなた1人であの化け物をどうにかするつもりなの?」


幾ら何でもあの化け物に1人で勝つなんて無理だろう。自分が助けを呼んだせいでこの人が死んでしまうのはダメだ。


「勿論」


私よりも20センチ以上は高いだろう男がこちらを横目で見ながら言い放った。


「無茶だわ!それよりも今のうちに逃げた方が......」


「逃げて、どうにかなるのか?」


「それは......」


確かに逃げた所でいずれ大猪は立ち上がる。殴り飛ばされた事で更に怒気が増し、いつまででも私達を追って来るだろう。


「そら、奴がもう起き上がるぞ」


ズシンズシンと大猪が態勢を立て直す音が聞こえる。


「まぁ安心しろ」


「どうやって安心しろっていうの!?」


「見ただろ?俺はそこそこ強い。慣れてるしな」


「な、なら私も一緒に!」


「その子鹿みたいな足でか?」


私の足は未だにガクガクと震えていた。まだ動く事も出来なさそうだ。


「悪いが足手纏いだ。そこで見てな」


そう言うと、大木を背後に左手を開いて前に出し、右手を拳に握って頬に付くくらいにして構えた。


そう言えば何故この人は腰の物を使わないのだろうか。恐らく剣の鞘だと思うんだけど......


『ブルァァァァァァァァォォォォォォォォン!!!』


森全体に響き渡る様な咆哮にまた私の足は竦む。見れば頭についた巨大な角に凄まじい魔力が滾っている。


来る......ッ!!


突進して来た大猪はその角で彼を串刺しにしようとする。


その角が彼に当たる直前


「ーーー」


彼の体がフッと消える。


猪突猛進。大猪は勿論止まることは出来ず、大木にその角を突き刺した。


「ーーーーーーーー!!!」


深々と突き刺さった角は抜く事が不可能なんじゃないかと言うレベルで刺さっている。


もがいている隙に男が腹に右拳をアッパーカットの様にねじ込む。先程消えた彼はいつのまにか大猪の横に出現していたのだ。


拳を受けた猪の顔が歪んだかと思えば、その口から大量の血が零れだす。


彼は左手も拳に変え、執拗に腹への攻撃を続ける。拳が突き刺さる度に動けず避ける事も出来ない哀れな大猪は口から血を零し、声にならない唸り声を上げて暴れる。


数度殴りつけたかと思えば男は右手の親指を内側に折り畳み、残る4本の指を真っ直ぐに揃えて伸ばし手刀を作る。


「ハァッ!!!」


裂帛の気合いと共に先程まで殴っていた箇所に手を突き入れる。肘程まで刺さった腕を次はゆっくりと引き抜く。


ズチュリと気味の悪い音を立てながらゆっくり引き抜いたその手には血に塗れた太いロープの様なもの......恐らく大猪の腸が握られていた。


そのまま引き抜いた腸を両手で持つ。


「な、何をする気だろう......」


思わず口からそんな言葉が出てしまうくらい訳がわからなかった。


男は此方の声が聞こえたのか横目で私を見るとニヤリと笑った。


両手で持った腸を肩に掛け、背負い投げの要領で引っ張る。


体内から引き抜いた時とは違い凄まじい勢いで大猪の腹から腸が引っ張り出され、一瞬拮抗したかと思えばブチッと音を立てて腸が宙を舞う。


地面に叩きつけられた長い腸は切れ目が強引に引き裂かれたかの様にズタズタだった。多分他の臓器に繋がってる場所を引き千切ったのだろう。


大猪は引き抜かれている間暴れる事はせず、ただ体を硬直させて細かくビクビクと震えていた。その様はまるで川で釣った魚を締めた時を思い出す。


地面を踏んでいた4本の足からは力が抜け、木に角を突き刺したまま大きな音と振動と共に体は腹から崩れ落ちた。腸を引き抜かれている最中から既に事切れていたのだろう。


「ふぃー、終わった終わった」


男は血だらけの両手を組んで大きく伸びをする。


その後此方に向き直り、


「もう大丈夫だ」


とか抜かした。


いや......何というかその......


「や、やり方が残酷すぎる......」


残酷と言うか残忍と言うか......


「んまぁ許してくれ。俺は師匠譲りのエグい体術しか会得してないんだ」


「例えば......?」


「そうだな......対人だと両目を潰して視力を奪って喉仏を掴んで抉り取ったりさっきみたいに臍だの腹だのから手を突っ込んで腸を引っ張り出したりとかそう言うのだな」


「うえぇ......」


「そう言うもんしか知らねえんだ。仕方ない。それよりも手早く済ませよう」


手早く......?何の事だろう。もうどこからどう見ても死んでる様にしか見えないんだけど......


「ん?なんだお前、早く解体しないと匂いで他の魔獣が寄って来るぞ」


「か、解体!?」


「そうだよ。解体だよ解体。さっさとするぞ」


「何ですかそれ聞いてませんよ!」


「まさか嬢ちゃん、これが初めてか?」


「今日初めて魔獣を倒しました」


「......何匹だ?」


「5匹ほど......」


「あっちゃー、勿体ねぇし危ねえ......」


「あ、危ない?」


どう言う事だろう。誰にだって初めての時はあるはずだ。1人で戦った事に対して言っているのだろうか。


「危ねえよ。魔物や魔獣の死体の肉には瘴気が溜まってる。解体して埋めるなり燃やすなり浄化するなりしねえと他の動物が食べてまたその動物が魔物や魔獣になるんだよ」


「そ、そうなんですか!?」


「まぁ今更戻って処理するのもなんだ。まぁ良いだろう」


「勿体ないとも言ってましたよね?」


「ん?あぁ」


「何が勿体ないんですか?食べるんですか?」


「いや肉は浄化しなきゃ食えねえよ。しかも大抵は美味いもんじゃねえしな......ちょっと待ってろ」


彼は太腿に付けられていたナイフ......恐らくは解体用だろうか。それを引き抜くと大猪の死体の解体を始めた。


十数秒すると胸の辺りから何かを取り出した。


「ほれ。これが魔石だ」


その石を此方に放り投げて来る。慌てて両手でキャッチすると、それは拳大よりふた回りほど大きな紫色をした石だった。


「あ、調合で使ってるやつだ......」


調合の際使う石に似ている。確かおばあちゃんも魔石って言ってた様な気がする......


「そうだな。一部の薬品の調合に使えるってんで物によっては高く売れるんだ。こいつは結構でけえから高く売れるぞ」


「へぇ......知りませんでした」


「全く......嬢ちゃんちと無知すぎやしねえか?そんな上等な装備付けてっからてっきり相当な強者だと思っちまったよ。そいつは何だ、パパとママが買ってくれたのか?」


此方を見て呆れる様にそう言い放つ。


パパとママ......お父さんとお母さんか......


「お母さんは死にました。私が産まれてすぐ。お父さんはそもそも家にいた事があるのかもわからないです」


そう告げると彼はギョッとした顔をしたかと思えば直ぐに俯き、「すまん。嫌な事を聞いた」と言う。


「別に良いです。気にしなくて。そもそも私は父と母の顔も声も覚えてないですし。おばあちゃんがいましたし」


「おばあちゃん......?」


「私、この森の奥でおばあちゃんと住んでいたの」


「そうか......そう言えばお前が森から出ようとした理由は何だ?お前のばあちゃんはまだ生きてるんだろ?」


「......おばあちゃんの呪いを解く為よ」


「何?」


「私のおばあちゃん、冒険者時代に受けた呪いが少し前に限界を迎えて発動して黒い石になっちゃったの」


「呪いで黒い石にか......」


「えぇ。家にあった素材で色々な薬を作ったけど治らなくて......おばあちゃんの持ってた文献に載っていた『終焉霊薬ラストエリクサー』の素材と調合方を見つけるために私は旅に出たの」


他人に告げてみて再度実感する。


自分は相当困難で、アホらしい道を辿ろうとしているのだと。


だが一度決めた事だ。誰に何を言われたってやり遂げてみせ


「そうか、『終焉霊薬』か。それは難儀な旅になるだろうな」


る............?


「今、なんて?」


明らかにおかしかった。


「え、だから終焉霊薬だろう?あれは素材もヤバい上に調合法までかなりの段階と期間を必要とするからな......お前1人じゃ厳しいぞ」


は......?


この人もしかして終焉霊薬について何か知ってる?

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