「問題は無い」
「私の感情?」
「自覚したかい?」
真楓佑は久しぶりに感じたであろう自分の感情に戸惑いつつ、噛み締めるように胸に手を当てている。
「君が自覚をしたのなら、次に進ませてもらおう」
「次ってなに?」
「君の匣を開ける。準備は整った」
「整った?」
そう口にすると、何も無い空間に、パチンという指を鳴らす音が再度響いた。すると、黒い空間に蜘蛛の巣のようにヒビが広がり、崩れ落ち、白い空間へと切り替わる。
カクリもいなくなり、真楓佑はいきなり崩れ落ちた空間に驚き、額から1粒の汗を流しながら忙しなく周りを見回す。
「え、ちょっと。これってなに?」
不安げに表情を曇らせていると、後ろに半透明の男性が白い空間から浮かび上がり、手を彼女の背中に当てた。
驚いた真楓佑は咄嗟に後ろを向くが、そこには何も無かった。
「えっと、なに?」
『お前は怒り、悲しみと言った感情を思い出した。なら、次はどうするか。どうすればいいか。お前の頭で考えてみるがいい。お前なら、問題は無い』
優しそうな男性の声が響いた瞬間、真楓佑の目から1粒の涙がこぼれた──
「次にやること、それは──」
「…………ん。あ、ここは」
真楓佑はソファーの上で目を覚まし、周りを見回す。
「お目覚めですね。お疲れ様です」
「あ、貴方……」
小さな椅子に微笑みながら座っている明人に、彼女は目を向けじっと見ている。
頭が働いていないらしく、少しの間固まっていた。
「…………どうなったんですか?」
「貴方の匣は開けさせていただきました。ですが、そこまで黒くなっていなかったため、今までとの変化はさほどありません」
真楓佑はその言葉を聞き、胸に手を当てる。
何か変化がないか考えているらしく、その体勢で固まっている。だが、何も分からなかったらしく首を傾げてしまった。
「本当に何かしたんですか?」
「どうでしょうね。ところで、今ここでこのような話をしている暇はないかと。早く家に帰られた方がよろしいかと思いますよ。今でしたらまだ、
その言葉に引っかかりつつも、真楓佑はその場から立ち上がり、頭を下げ小屋を出た。その背中を2人は見届け、安心したように肩を落とし、息を吐く。
「終わったな」
「…………はあああああぁぁぁぁぁぁぁ。今回はつまらんかったな。それに、開けにくいしそこまで黒くねぇし。今回はハズレだな。最悪だ」
明人の言葉に、カクリは苦笑いを浮かべ、顔を引き攣らせる。
「今まで大変だったのだからいいだろう」
息を吐き、カクリはソファーに座ろうと目を向けたが、それより先に明人が移動し寝っ転がってしまった。
「…………子供か」
「お前からしたら俺はまだまだ子供だろう。年齢的に」
「このような時だけそのように言うな!」
カクリの言葉を無視し、明人は寝息を立て始めてしまう。近付くと目をつぶっているのを確認でき、本当に寝ようとしているのが分かる。
「ふざけておるな」
握りこぶしを作ったカクリは、そのままなんとか怒りを抑え、椅子に座り、いつも通り本を読み始めた。
真楓佑が家に帰る途中、あともう少しでたどり着くと言った所でいきなり携帯を取り出し、操作し始める。だが、直ぐにポケットに戻し歩く速度を早める。その目はぎらぎらと光っており、何かを狙っているような瞳だった。
彼女の家がある手前には曲がり角があり死角となっている。何を思ったのか、彼女は曲がり角の塀に背中をつけ、耳を澄ませるように目を閉じる。すると、奥の方から楽しそうな女性2人の声が聞こえた。
「やっば。このドキドキ感堪んないわ。でも、良いのかな、こんなことして……」
「いいのいいの。どうせあいつの家だし、何やっても何も感じないって。あいつはどうせ人形なんだからさ」
「あ、確かに〜」
その声は、学校でいつも真楓佑をいじめていた2人の声だった。彼女は、2人に気付かれないようにこっそりと覗き込む。
ドアの前には綾寧と静紅が立っており、何かをドアに貼っていた。
「間に合うかも──か。あの人、不思議な人だな」
冷静に彼女は、コートに手を入れながら2人に近づいた。
「ん? あれぇ〜? もう帰ってきたの? まぁ、もう終わったからいっか」
「そうだね、帰ろっかぁ〜」
2人は見つかったことに対しても焦りすら見せず、楽しげな雰囲気はそのままに去って行こうとする。だが、今の彼女が2人を逃がす訳もなく、綾寧の腕を掴み引き止めた。
「ちょっと、触らないでくれる? 汚いんですけど、うっざ」
掴まれた綾寧は眉間に皺を寄せ、腕を振りほどこうとするが、真楓佑の掴む力は強いらしく、上手く振り解けていない。
グッと力を込め逃がさないようにする彼女を、綾寧はいらだちと痛みで顔を歪ませ、無理やり引き離そうと腕をぶん回す。
「ちょっと、痛いんだけど!! 離せやこの底辺くそ人形!!」
「あんたなにしてんの! もっと学校でいじめられたいわけ!?」
そう脅すが、真楓佑は無表情のまま掴む手を緩めない。
「私をいじめていたことを認めたね。それと、家への嫌がらせ。これは未成年じゃなければ犯罪。未成年だとしても、これが学校に知らされたらどうなると思う?」
「は? 何言ってるわけ? 脅してるつもり? 笑えるんですけど。それに、あんたの言葉なんて誰も信じないっつーの」
真楓佑をバカにする言葉に、静紅も一緒に笑う。
「そう。なら、この証拠を学校に提出する。そうすれば今までみたいにできないかもね。良くて停学。悪かったら退学かもそれないよ」
そう言うと、真楓佑はポケットに突っ込んでいた手を出した。その手には、ボイスレコーダーのアプリが映された携帯が握られている。その画面を見た瞬間、2人顔を青ざめ、彼女を見返す。
「ドアに貼られている紙。『さっさと消えろ』って。この暴言も学校に提出する。直接校長先生に。そうすればどうなるかな」
追い打ちをかけるような言葉を放つ彼女に、2人は顔を見合せ肩を震わせる。
もし、この紙とボイスレコーダーアプリに保存されている会話が学校に知られれば、2人は周りから距離が置かれるだろう。それだけではなく、停学の可能性もある。
「分かったら、もう私達には関わらないで」
そう言うとそっと手を離す。それと同時に、2人は真楓佑を睨み、そのまま走り去って行った。
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