「私の名前は」

「んで、起きたらここにいた。死んでねぇな俺。はぁ……。疲れた」

「まったくだ。二度とこのようなことはやめて頂きたい」

「今回だけは同感してやるわ」


 カクリと男性は大きな溜息をつき、起こした体をまた横にした。


「相当疲れたらしいな。だが、これで試験はクリアした。力を分けられるぞ」


 レーツェルがカクリと男性に笑いかける。


「当たり前だわ。こんなことさせといて嘘でしたとか。ふざけている以外のなにものでもねぇわ」


 ゲンナリした表情をレーツェルに向け、男性は必要以上の言葉をぶつけた。口調が鋭利な刃物のように鋭い。


「ふっ。そうだな。では、早速始めよう」


 その言葉に、男性とカクリはゆっくり体を起こし立ち上がる。


「俺は1度力を解放させる。一瞬で終わるから安心するが良い」


 そう口にするレーツェルの雰囲気は、先程とは異なり不穏に感じる。鋭く尖っている牙を見せ笑みを浮かべ、顔に付けていた狐の面を手にした。そして──


「動くなよ人間、カクリ」


 狐の面を頭から外した。すると、レーツェルからどす黒いオーラが放たれ、男性とカクリは息を止め、体を動かすことが出来なくなった。

 少しでも動けば殺られてしまう──そのような圧が2人を押しつぶそうとしている。


 そんな2人に対し、レーツェルは右手をカクリの方へと伸ばした。そして、男性の方へと手をスライドさせる。


「────はい。終わり」

「は?」

「えっ?」


 レーツェルから放たれていた黒いオーラは身を潜め、いつもの笑顔で軽々と終わりを告げた。狐の面はしっかりと右斜め上につけ直しながら。

 その言葉を聞き、2人は開いた口が塞がらないと言ったような表情で固まってしまう。


「何をしておる。ほら、終わったぞ?」


 動かない2人に対し、レーツェルは再度呼びかけた。


「────はっ? いや、終わったって。なんも変化ねぇけど……」

「私も同じく……」

「ん? そうか。まぁ、そういうものだ」


 男性とカクリの言葉を軽くあしらい、レーツェルは2人の間を通って洞窟を出ようとする。


「………………なっ、ざっ!!! ざけてんじゃねぇぇえええ!!!」

「レーツェル様!? 本当に力は分けられたのですか?! 私達の先程までの時間はなんだったのですか!?!?」


 男性とカクリの困惑しているような叫び声は、洞窟内全体に響き渡るほどの声量があり、これをレーツェルは楽しげに聞きながら洞窟を後にした。


「あの、くそ化け狐が……」

「レーツェルさまぁ………」


 男性は体をわなわなと震えさせ、口角は上がっているが、あからさまに怒りを表現したような表情を浮かべている。


 カクリは涙目になり、レーツェルの去って行った方に右手を伸ばし、弱々しい声で名前を呼んでいた。

 そのあと2人は急いで洞窟を出ていこうとするが、途中で男性は後ろを振り向き口を開いた。


「あの空間はどうなったんだ……?」

『お主には関係の無い事。今すぐに行け。もう、ここに来ることもないだろう』


 水晶玉の言葉を聞き、男性は舌打ちをしたあと、光のない闇の中へと姿を消した。





『想いは消えぬ。特に、負の感情を忘れられる人間などこの世に存在しない。あの闇の空間を浄化できる者など──存在しない』


 悲しげな声が洞窟内に響き渡る。それから数分後、洞窟の中は雫の落ちる音と風の音しか聞こえなくなった──








「さて、人間に力を渡すことに成功した。あとは……、家が欲しいだろう。それと、お主を守るための物もな。まぁ、そこら辺は俺が何とかしよう」

「おい、勝手に話を進めてんじゃねぇわ。本当に力を分けたんだろうな。あんなことやそんなことさせといて責任取らないとかふざけんなよ」


 洞窟を出ると、もう辺りは暗くなっており月明かりが照らしている。

 空を見上げると、空一面に星が広がっており、キラキラと輝いていた。


「そのような言葉を口にできる時点で、まだ余裕がありそうだな。まぁ、安心せい。お主はしっかりと力を授かっている。これからの方が大変だ。……人間よ」

「なんだよ」

「これから、カクリをよろしく頼む。あと、呪いや記憶について──分からなかったら来るが良い」


 レーツェルは煙管を片手に男性に近づいた。そして、頭に手を乗せる。


「来ることが出来れば──だがな」

「なに……を……」


 男性はレーツェルに頭を乗せられると、何故か急に瞼が重くなったらしく、瞳を閉じて彼の方に倒れ込んでしまう。

 倒れてしまった男性を受止め、地面に寝かせる。


「レーツェル様。何を──」

「カクリ、今日の出来事は忘れた方が良い」

「えっ……? ……レーツェ……さ……」


 先程と同じく、レーツェルがカクリに手を伸ばした時、またしても意識を失ってしまったらしく、その場に倒れ込んでしまった。


「さて、準備でもしよう。人間の住処と結界。カクリでも張れるようなものにしなければならぬな。俺の力を媒体にするか」


 レーツェルはそう呟き、その場から立ち上がった。


「今日の出来事、俺という存在。それはこれからの人間の記憶には必要のないもの……。いや、俺の都合で消させてもらった。すまぬな。だが、想いだけは消さないでおく。また、出会える事を楽しみに待っておるぞ。クックッ」


 そう零し、レーツェルはその場から姿を消した──





 それから数ヶ月の月日が経った。

 レーツェルが住んでいる森から離れた林。その奥には、古い小屋が存在する。

 そこには、藍色の髪で片目を隠した美男子が、銀髪の美少年と一緒に人間が来るのを待っていた。

 それも、普通の人間ではなく『黒い匣』を持った人間を。




「あの、すいません……。ここ、噂の……」


 小屋の中に1人の女性が入ってきた。セーラー服を着て、少し控えめにドアを開く。


「はい、はじめまして。こちらへ」


 人当たりが良さそうな笑みを貼り付けた、片目を隠した男性。その隣には銀髪の、小学生くらいの少年が不機嫌そうな表情で立っていた。


「では、貴方のご依頼をお聞かせいただく前に、自己紹介させていただきますね」


 男性は依頼人がソファーに座ったことを確認し、自身も小さな木製の椅子に座った。そして、口を開く。


「私の名前は筺鍵明人きょうがいあきとと言います。貴方の心にある匣を開けさせていただきます」


 明人と名乗った美男子は、口元に笑みを浮かべながら、妖しい雰囲気で話を続けた────

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