第2章 人に光を、神に祈りを、世界に愛を

第1話 少女は運命に導かれ

 七色の光が溢れる祭壇。それは世界を繋ぐ虹の橋、ビフレストの残影か。


「う、うう……」


 祭壇の前に、何かが煙のように現れる。かろうじて人の形を保っている、異形のもの。その異形がうめき声を漏らすと、周囲に黄金の光の粒子が溢れ、インクのように何かを描きだす。


「すまない、リーヴ――君を守れそうにない」


 誰かがリーヴに向かって言う。だがリーヴは、自身を守るように立つその人物が誰なのか、認識することができない。


「嫌だよ! 死なないで!」


 その叫びもむなしく、黄金に輝く槍がリーヴたちに降り注ぐ――


               *   *   *


「はっ!」


 リーヴはベッドの上で目覚める。ここはアルビダの船『バルドルの棺』だ。


「なんか、嫌な夢だった、気がするな……あ、もう明るくなってる」


 リーヴは体を起こし、寝室の小窓から外を覗く。太陽は真上に来ていた。


「アルビダはもう行っちゃったんだ」


 テーブルの上に置かれた小さな紙切れを見て、リーヴはつぶやく。


「まあでも、アルビダは海からは離れられないし……」


 アルビダの性質からして、その気になればすぐに見つけられるであろうと判断したリーヴは、ひとまず自由に行動しようと決め、船を降りた。


「うわぁ」


 上陸用のボートを降りたリーヴは、辺りを見回しながら歩く。海岸からは森しか見えないが、明らかに人間の手が入っている道が何本かあり、その先に町や集落――少なくとも、人の集まりがあることを示唆していた。


「森は何が隠れてるか分からないし、早く抜けられそうな方がいいな。あ、この道が良さそう」


 リーヴは何か感じるものがあったのか、少し離れたところにある最も細い道に、導かれるように入っていった。


「きゃっ……なんだ、カエルか。ということは、近くに飲める水があるってことだね」


 森の中は思ったよりも明るかった。道もしっかりと続いていて、通り抜けるのには困らなさそうだ。だが。


「ていうか、なんか、多くない?」


 森の生き物たちがどうにも騒がしい。カエルやトカゲがリーヴの前を何匹も横切る。近くにいた蛇も、目の前にいる獲物を無視して慌てた様子で木を登ってゆく。


「えっ、怖っ」


 何か異様な空気を察知したリーヴは、早足で道の先に見える光を目指す。この時、リーヴは気づいていなかった。通り過ぎた木々に牙で付けたような傷跡があることに。


「はあぁ」


 森を抜け、深呼吸をするリーヴ。草花の生い茂る丘の上に、石を積み上げて作った質素な家がひとつ。近くには川が流れ、時折、小魚の跳ねる音が聞こえる。


「あ、家だ。人が住んでる感じのじゃないけど……」


 リーヴは今までの経験上、この家には住んでいる者はいないと予想した。こういった場所にある家は、初めのうちは景色が良いと喜ぶが、若者にとっては退屈であるし、老人にとっては不便である。結局、人間は長くは居つかず、家は不用品ごと放棄されるのだ。


「まあ一応、覗いていこうかな」


 ゆっくりと家に近づいていくリーヴ。だが人間が居ることに期待しているわけではない。何か良いものがあり、明らかに誰の物でもなかった場合に『拝領』するためだ。リーヴが少し距離を置き、窓からそっと内部を覗こうとした、その時。


「おい、何してるんだ?」

「きゃああ! なんで!」


 一人の男が、何の気配もなく、リーヴの背後に立っていた。


「なんでって、聞きたいのはこっちなんだが……この島の人間ではなさそうだな。海の向こうから来たのか?」

「え、えっと、私はっ」


 その男の姿をしっかりと認識した瞬間、リーヴの言葉が詰まる。時折黄金に輝いて見える、アッシュブロンドの髪。透き通るように白い肌。海や空の揺らめきを映したような青い瞳。その姿はまるで――


「あ、あっ」

「ん?」


 どん。少し離れたところから妙な音がする。男が音のしたほうを見ると、黄金色の毛を持つ巨大なイノシシがこちらを睨んでいた。


「え、イノシシ? 大きくない?」

「あれは、まさか……」


 通常の三倍の大きさはあるイノシシが、体に枝葉を引っ付けたままこちらに向かってくる。


「よぉし、ここは新しく覚えた技で……」


 リーヴはセイズで身体機能を強化し、応戦しようとするが。


「待て、殺しちゃだめだ!」

「えっ」

「あれはただのイノシシじゃない、正気を失っているだけなんだ。俺が何とかするから――とにかく、まずは動きを止めたい!」

「え、ええと、じゃあこうかな!」


 リーヴがイノシシに右の手のひらをかざすと、イノシシは縛り付けられたかのように動きを止めた。


「君、それは……いや、今はその力でこいつを止めておいてくれ」

「分かった!」


 リーヴは左手で、自身の右手首をしっかりと掴んだ。男はイノシシが動けないことを確認すると、慎重に耳元へ近づき、口を開く。


「ヘルヴァルト、ヒョルヴァルト……」


 それは名前のようだった。男は人間の名前のような言葉を、歌うように唱えている。同時に、イノシシが黄金の光に包まれる。


「フラニ、アンガンティル――さあ、思い出しただろう? 君の本来の姿を」


 男がそう言うと、イノシシは見る見るうちに小さくなり、気づくと人間の形になっていた。白髪交じりの男が、気を失ったように眠っている。


「あれ、人間?」

「やっぱりな。彼はオッタル爺。母上――愛と美の女神フレイアの召使いだ」

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