第12話 迫る絶命の足音

「そうか、話が見えてきたぞ! だが残念だな、もう終わりだ!」


 オーディンの妻フリッグなど存在しない。その事象の肯定により、この世界にかけられたセイズがひとつ解除された。フリッグという存在自体が、セイズにより創り出された幻想だったのだ。そして、解除されたセイズは魔法の力の源に還元され、フレイアのもとへ戻る――


「自分が無能だと理解できないなんて、よほど知能に異常があるのですね」


 いつの間にか、フレイアの前にオーロラのような七色のベールが現れていた。フレイアを貫いているはずの神なる槍は、どこにも見当たらなかった。


「神なる槍と神なる盾は争いあってはならない」

「は……?」

「オーディンは常に、自身が生み出した魔術が奪われることを警戒していました。だからこそ、対処法を用意していたのです。つまり――」


 『最後のルーン魔術』は二つある。フレイアはそれを知っていた。ロキはそれを知らなかった。


「そしてもうひとつ。先ほど『オーディンにできることは俺にもできる』と言っていましたね。では、そのオーディンに魔術の知識を与えたのは、誰でしょう」


 その『答え』が今、ロキの目の前で両腕を広げ、天を仰ぐ。セイズにより世界を構築する要素に干渉し、新たな存在を『記述』する。そして顕在化したものが――


「生れ落ちよ、神なる大槌。王に仇なす敵を討て」


 一つ、二つ、三つ。人間が三人は収まるほどの巨大な頭部を持つ大槌が、連続して上空より落下しロキを襲う。


「この汚物を粉砕しなさい」

「はっ」


 等間隔で地面を沈ませる大槌を避けきり、ロキは微かに安堵の表情を見せた。しかしそれも束の間。背後からの、四つ目の大槌による薙ぎ払うような一撃に、ロキの体は大きく歪む。


「ぐ――」

「死せる者の命よ、その刹那の煌めきよ。今集いて神なる剣となれ」


 フレイアの呼びかけに答えるように、無数の光が剣のように発生し、ロキに向かって飛び掛かる。


「があっ!」


 それらの斬撃に切り裂かれ、全身から噴水のように血を吹き出すロキ。神なる大槌と神なる剣は役目を終えると、粒子状の光となって速やかに消えた。


「さあ、思い出してごらんなさい。お前の犯した罪のひとつひとつを」


 拘束のルーンを破壊したフレイアはゆっくりとロキに近づく。


「そして、その身に刻みなさい。お前の罪に対する罰を!」

「く、くふっ……お前こそ、思い出してみろよ――その胸に刺さっているものを!」


 次の瞬間、めまいのような重力が生じる。世界を構築する要素が組み替えられ、時の流れに影響を与えているのだ。


「うっ! ロ、ロキ……」


 フレイアの胸が、神なる槍に貫かれている。と同時に、ロキの傷が見る見るうちに塞がってゆく。


「セイズを馬鹿にしているこの俺が、セイズを使う訳がないとでも思ったか? あの時だって使っただろ? お前の『神なる盾』とやらは発動してなかったんだよ!」


 確かにあらゆる魔法には『秘密』、すなわち弱点がある。だが、セイズで惑わしてしまえば、その魔法の秘密は知っていなくても問題ない。むしろ、秘密を知るチャンスが得られることになる。ロキはそれを狙っていたのだ。


「ふっ、ふふっ、ふはぁ! お前の負け! 負け! 汚い命に負けたゴミ!」


 ロキは白目を剥くような顔をしてフレイアを嘲笑する。そして、剣に戻したレーヴァテインを手に、一歩ずつ、死を秒読みするかのようにフレイアに近づく。


「お前は所詮、下女なんだよ! 雑魚以下の雑魚!」


 滝のように血を吐くフレイア。もはや立っていられる状態ではないはずだが、その体は拘束のルーンの力か、張り付けられたかのように固まっている。


「今さら命乞いをしても無駄だぞ。お前は俺を怒らせた。肉欲にまみれたメス豚が――死ねっ!」


 ロキの叫びと同時に、フレイアの頭に、『破滅』が振り下ろされる――


「はあ、本当に、お前の知能の低さは異常ですね」


 フレイアが右手でロキの首を絞める。


「なっ」

「何の才能もないのに、無駄に汚い子供を生産し、この世の役に立っているかのような顔で生きている。気持ちの悪い命、不快な害虫!」


 よく見ると、フレイアの胸を貫く神なる槍などどこにもなく、ロキの傷も開いたままだ。ロキは何かで切りつけるかのように右腕を振るが、その手には何も握られていない。ロキの持つ武器など、


「私はセイズの頂点たる者。一体どのような知能をしていれば、お前ごときの無価値なセイズが機能すると思うのです? お前は一体いつから、その命に価値があると錯覚していたのですか」

「ぐ……」


 フレイアはそのまま右腕を伸ばし、ロキを持ち上げる。二人の足元に血溜まりができるが、フレイアは意に介さない。


「お前は選ばれた者などではない。選ばれなかった、いいえ、選択肢にすら入っていない物以下のもの。さあ、もう終わりにしましょう。私はお前の命を使い、特別なセイズを発動する。そしてリーヴ・スラシルを蘇らせるのです」


 フレイアはロキを放り投げると、両手を握りしめ、落下中のロキのみぞおちに振り下ろす。どさっ。鈍い音を立てて床に体を打ち付けるロキ。


「そんな、ことをしても、お前は死ぬん、だぞ……ぐぼぁ!」


 神なる大槌がロキを叩き潰す。わずかに残ったロキの正常な細胞が、何かに擬態して逃げようとしていたのだ。全身の全ての細胞に重大な損傷を負ったロキは、正真正銘、最後の手段を失った。


「それが何か? 私が消えても、あの人――リーヴさんなら全てを元に戻せる。お前以外の全てを」

「う、うっ」


 ロキは少しでもフレイアから距離を取ろうとしているようだが、もはや手も足も動かせる状態ではない。それでも口を利くことができるのは、フレイアがそのように加減しているからだ。


「そういえば、お前はラグナロクの前まで、蛇の毒液が滴る洞穴に縛られていましたね」

「あ、ああ?」

「その蛇、死んだんですよ。そしてその魂は、私が選び取りました」


 フレイアが肘を曲げ、両手のひらを上に向けると、そこにちょうど収まるように大きな器が現れた。さらに、その上に一匹の蛇が現れ、川のようにとめどなく毒液を吐き出す。


「おい、やめろ! それ、それは、一滴でもひどく痛いんだぞ! それを、お前は――」


 ロキはかつて、シギュンが毒液を受け止めていた時のことを思い出した。器がいっぱいになり、シギュンが毒液を捨てに出ている間に一滴だけ体に掛かる、あの毒液の苦痛を。


「おいフレイア! おい! フレイア、フレイア!」

「さあ、苦しみなさい」


 フレイアが飛びのきながら器を放り投げる。器に溜まった毒液は全てロキに掛かった。全身の傷口を焼かれ、ロキは眼球が飛び出しそうなほど大きく、目を見開く。


「ぐ、ぐうっ! ああぁ!」

「うふふ、ふふっ。良かったですね。お前のような汚い、有害な命でも、最後にこの世の役に立てるのだから」


 神経の激しい損傷によって運動機能が失われたはずのロキの手足が、痙攣するように激しく暴れる。フレイアは右手に神なる槍を、左手に神なる大槌を持ち、背後には神なる剣を携え、一歩ずつ、ゆっくりとロキに近づいてゆく。


「フ、フレイア! 俺が、悪かった、よ」

「は?」

「また、いいものを、持ってきてやるし、お前の願いだって、叶える、からっ」


 ロキの声が震えている。フレイアの背後に並ぶ神なる剣が、それを嗤うかのように瞬く。


「お前のためならなんでもやる! だから……」

「そうですか。では――」


 フレイアは暗黒よりも暗い目つきで、切り裂かれたかのように口角を吊り上げ、言った。


「さっさと死ね、薄汚い底辺のゴミ屑」


 ぐしゃ。ロキは死んだ。

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