第6話 セントエルモの火は消えた

「きゃっ!」


 リーヴは異変を感じ、悲鳴を上げながら飛び起きた。そして、アルビダとフレイアが外に居ることを察知し、慌てて甲板へ飛び出す。


「アルビダ! フレイア!」

「リーヴさん!」


 フレイアがリーヴの方を見て言った。リーヴの視線の先には、フレイアと、空を見上げるアルビダが居る。そして、そのまま視線を上げると――


「なに、あれ……」


 それは、巨大な怪鳥だった。翼を広げた姿は、一同の乗る船に匹敵するほどに大きく、その影は星空の中でもはっきりと捉えられるほどに黒い。


「あんたらは離れてな! この船の上では、ほとんどの魔法が使えないんだ!」


 怪鳥の羽ばたきが大きな波を立たせ、船を揺らす。だが、その巨躯を宙に浮かせているのは、おそらく魔法によるものだろう。


「でも、アルビダだって同じでしょ! どうするの?」

「こうするんだよ!」


 アルビダは風で乱れた髪をかき上げ、ルーン文字の刻まれた短刀――サクスを構える。すると、その湾曲した刃が海のように青く発光した。セントエルモの火だ。本来は悪天候時に生じるものだが、空が荒れている様子はない。


「あたしは海の女。刃にこの雷が宿るとき、海はあたしに味方するのさ」


 アルビダがサクスの先を怪鳥に向ける。


「食らいな!」


 爆発のような音と共に刃先から青い閃光が放たれ、怪鳥に当たる。だが、怪鳥がダメージを受けている様子はない。


「きゃああ、効いてない!」

「ううん、ちょっと遠かったか。ほら、もっと向こうへ行きな! 久しぶりに本気出すからさ」

「リーヴさん、こっちです!」


 フレイアがリーヴの腕をとり、物陰に連れてゆく。同時に、海がゆっくりと波打ち始める。


「空が遠いなら、近づけばいい。そうだろう?」


 怪鳥は相変わらず羽ばたいているが、それとは裏腹に船の揺れは徐々に収まってゆく。船は安定した姿勢のまま、波によって上がっては下がりを繰り返している。


「ギギッ」


 怪鳥がこちらの意図を察したのか、奇妙な鳴き声を発し、目つきを変える。怪鳥は一瞬、翼を畳んだと思うと、こちらに向かって降下してくる。


「キィッ、ヤッ」


 夜の闇よりも黒いその巨躯が船のすぐ上を通過する瞬間、何か光るものが横切る。アルビダはそれを見逃さなかった。


「ギャッ!」

「ふっ、そんな爪であたしとやり合うつもりかい? 無駄だよ!」


 どん。少し遅れて、何かが船上に落ちてくる――怪鳥の足だ。人間よりも大きなそれは、倒木のように横たわった。激しく羽ばたき、空へと戻ってゆく怪鳥。


「やっぱりあんた『生き物』じゃないね。命を感じないよ」


 アルビダは切り落とした足を見て、少しだけ沈黙した。そして再び怪鳥に向かってサクスを構える。


「ほら、来なよ」


 船は激しく上下し、時々海面から浮くほどの波を受けている。怪鳥はアルビダを威嚇するかのように口を開けるが、攻撃を仕掛けてくる様子はない。


「来ないのかい? じゃあこっちから行くよ! ふんっ!」


 アルビダは脚に力を込めると、船の上昇に合わせ、勢いよく飛び立つ。怪鳥の羽ばたきによって生じた風が強く吹き付けるが、アルビダはその風をも切り開くかのように一直線に怪鳥の頭部へと向かってゆく。そして――


「キ――」


 どん。落とされたのはアルビダの方だった。直後、衝撃波が船と一同を襲う。船のあちこちがバリバリと音を立て、破砕される。リーヴへのダメージは、フレイアの盾の魔法が防いだ。フレイアは無傷だ。


「くっ、目の前で食らうと流石にきついね……」

「きゃああ、壊れる! 死ぬ!」

「安心しな、この船は壊れてもすぐに再生するんだ」


 アルビダの言う通り、船はまるで生きているかのように、損傷した部分を創り出した。アルビダが立ち上がる頃には、船はもう元通りになっていた。


「本当だ、どうして?」

「ここに眠っていたのは、そういう神だったからね」


 アルビダは少し小さな声で言う。


「バルドル……」


 フレイアはただ一言、そうつぶやき、沈黙した。


「さあ、さっさとけりをつけようじゃないか」


 アルビダは再び船を飛び立つ。怪鳥は口を開け、再び衝撃波を放とうとするが。


「同じ手が通じるわけないだろう? はっ!」


 アルビダがサクスの先を怪鳥の口に向けると、再び青い閃光が放たれる。その、裁きのような雷撃は、怪鳥の口内に直撃した。怪鳥の首が大きくのけ反る。


「これで――」


 怪鳥がのけ反った首を戻した時には、アルビダのサクスが怪鳥の死を宣告していた。ためらいなく振り下ろされる、銀色の一閃。それを邪魔できるものはもう無い。


「終わりだ!」


 とん。アルビダが静かに着地する。首を切り落とされた怪鳥は、崩れる灰のように闇の中へと消えてゆく。


「ふう、こんなもんかね」

「アルビダ、すごい! かっこよかった!」

「リーヴさん、待って!」


 アルビダのもとへ駆け寄ろうとするリーヴを、フレイアが引き留める。その直後。


「うっ」

「えっ……?」


 アルビダの胸から、怪鳥の足が生えている。今まさしく崩れているその足が、ほんの一瞬、息を吹き返したかのように動き出し、アルビダの胸を貫いたのだ。


「ゆ、油断、した……」

「ア、アルビダ! アルビダ!」


 水のように倒れるアルビダ。怪鳥の足はすでに消え失せ、胸の風穴だけが残っている。リーヴはすぐさまアルビダのもとへ駆け寄り、声をかけるが、返事はない。そんなリーヴの背後に、透き通った緑色の石が降りてくる。


「どうしよう、アルビダが!」


 石は他の石のように光の粒となり、リーヴの背中に降り注ぐ。フレイアはその様子をただ黙って見ていた。


「フレイア! どうしよう、血が止まらないよ!」

「……リーヴさん、落ち着いてください。アルビダさんは、どうなっていますか」

「どうって、胸を貫かれて――む、胸をっ――」


 一瞬、リーヴの眼の色が変わる。リーヴは焦点を失ったような目で、ここではない、どこか一点を見ている。


「わ、私、今、何してた? わた、し、は――誰だ?」


 リーヴの呼吸が荒くなる。止まっていた眼球が、今度は何かを追いかけるかのように、急速に動き回る。続いて、全身が震えを起こし、バランスを保てなくなり、床に仰向けに倒れた。


「はっ、はぁ、アルビダっ」


 どん。突然、高い波が起こる。衝撃音と共に大量の海水が船上に打ち込み、動かなくなったアルビダをさらっていく。アルビダはそのまま、その青黒い海に溶けるように消えていった。


「あ、ああ」


 リーヴがフレイアに向かって手を伸ばす。それを見たフレイアは静かに近づき、リーヴの額に手をかざした。フレイアの眼の色が、波のように揺らめく。


「フレ、イア……」

「リーヴさん。これは『セイズ』。心を落ち着かせる魔法ですよ。ゲートはもうすぐです。後で起こしますから、しばらく眠っていてください」


 フレイアがそう言うと、リーヴの震えや呼吸は即座に治まり、安らかな寝息へと変わった。


「本当に、もうすぐですよ。全てが終わるのは」


 フレイアは無表情でつぶやいた。

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