第5話 海の女と死の予兆

「きゃああ、なにこれ!」


 次の瞬間、二人の体は遥か上空にあった。


「え、待って! 私の腕、無いんだけど?」

「羽衣の力で鷹に姿を変えているからです。そのままイメージの中で羽衣を掴み続けてください」

「ああ、こんな感じね! 分かった!」


 リーヴは無いはずの腕の感覚が、確かに存在することに気付いた。そのまま空を飛び続ける二人。あれほど小さかった船はみるみるうちに大きくなる。


「念のため、少し離れたところに着地しましょう」

「うん!」


 ばさっ。ほどなくして、二人は近くの岩陰に着地した。


「誰かが居るようですね」

「バイキング……かな? 一人みたいだけど」

「確かに、船にもこの島にも、他の人間は居ないようですね」


 フレイアが目を閉じながら言う。バイキングと思われる女は浜辺に座り、じっと水平線の向こうを眺めている。


「客人とは珍しいねえ。隠れてないで、出ておいでよ」


 ふいに、女が声を発する。それがリーヴたちに向けられたものであることは明らかだった。


「きゃああ、ばれてる! 死ぬ!」

「敵意は感じません。大丈夫ですよ」


 悲鳴を上げるリーヴと、それをなだめるフレイア。


「あんたねえ。あたしがそんな血なまぐさい人間に見えるかい?」

「え、ま、まあ、変な魔物たちと比べたら安全そうだけど……」

「だろう? あたしもこの終わり切った世界に残された、哀れな子猫さ。それで? あんた達は何者だい?」


 岩陰から出てきた二人を見て、女は言った。


「私はリーヴ・スラシル。自分の過去のことが知りたくて旅をしてるの。それでこっちは――」

「そのお手伝いをしています。フレイアです」

「ほお、リーヴとフレイアか。あたしはアルビダ。見てのとおり、ただの海の女だよ」


 女――アルビダはわざとらしく眉を上げると、そのまま頭の後ろで手を組み、砂浜に寝転がった。


「ここには魔物も出なければ嵐も来ない。いいところだと思わないかい?」

「い、いいところ……? こんなに暑いのに……」

「おやおや、そっちのお嬢さんは暑さに弱いみたいだねえ。まあいいさ。あんたらの目的は、ここの外へ行くことなんだろう?」


 それなら向こうだよ、と、アルビダは水平線を指さした。


「え、どこ?」

「どうやら、海の上に存在するようですね」


 フレイアは望遠の魔法を使いながら言った。


「そう、ここのゲートは海の上にあるのさ。もし必要ならあたしの船で連れて行ってやるけど、どうする?」

「え、いいの? どうする?」

「そうですね。力は温存したいところですし、乗せてもらいましょうか」


 こうして、一同はアルビダの船に乗ることとなった。


「うわぁ、改めて見るとずいぶん大きい船だね」

「この船はね、ある神の棺だったんだよ。そしてその神の存在を誰も忘れないように、大きく、目立つように造られたのさ。遠い昔はこの船に大勢の神々が乗って、その神との別れを惜しんだらしいよ」


 船がゆっくりと動き出す。船を押し出すように吹く風が、蒸し暑さをほんの少しだけ忘れさせてくれた。


「ところで、ゲートまではどのくらいあるの?」

「この様子だと、明日には着きそうですね」

「そうだねえ。ミュードでも飲んでゆっくりしてなよ。あと、干からびたパンもあるよ」


 フレイアは時々、望遠の魔法で周囲を見渡している。アルビダはその辺に転がっていたパンをリーヴに投げ渡した。


「え、これ、パンなの?」

「大丈夫さ、食べても死にはしないよ。ここはそういう場所だからね」

「そ、そうなんだ……じゃあ……」


 まだ疑いを解いたわけではない様子だが、腹を空かせていたリーヴは、その干からびたものをしぶしぶ口に運んだ。


               *   *   *                


「そういえば、アルビダはこの時空の外へは行かないの?」


 船に乗ってからだいぶ時間が経った。すでに日は水平線に触れ、その周囲を赤く色づかせていた。日中に比べて暑さも落ち着き、海も静かだ。


「ああ、行かないよ。あたしは海に捕らわれているからね、行けないのさ」

「えっ?」


 リーヴは声を上げる。が、彼女は驚いただけで、その言葉の意味を理解しているわけではなかった。


「それって、どういうこと?」

「今は分からなくていいよ。どうせそのうち分かるだろうからさ」

「ふーん……」


 リーヴは、それ以上聞くことはなかった。それからまたしばらく経ち、今度はフレイアが口を開いた。


「アルビダさんの言う通り、特に敵は見当たりませんね」

「そうだろう? あたしは長くここに居るけど、敵なんて一度も見たことないよ。リーヴ、あんたももう休んだらどうだい?」

「うん、そうしようかな。じゃあ、おやすみ!」


 リーヴが寝床に入って、しばらくした後、アルビダは星を見上げて言った。


「ああ、やっぱり今日も月は出ないね……それで? あんた、何を企んでるんだい? ヴァン神族のフレイア」


 フレイアは沈黙した。その沈黙は、アルビダに続きを促すことで、何かを確かめようとしているようだった。


「ラグナロクの前に姿を消したって聞いてたけど、生きてたんだね。それがあんたにとって良かったのか、悪かったのか――は、聞かないでおくよ。ただ、あの子、何か持ってるんだろう? だからわざわざ一緒に旅をしてるんじゃないのかい?」

「ええ、その通りです」

「それは何なんだい?」


 フレイアは再び黙る。しかしすぐに答えた。


「……私の、幸せに関わるもの。そして同時に、私の命に関わるものです」

「へぇ……」


 アルビダの声には感情がない。正確に言えば、感情を隠している。


「フレイア……あんたの願いは大体見当がつく。そしてそれを止める気もない。でも、一体何をどうするって言うんだい?」

「ひとつ、頼みたいことがあります」


 フレイアはゆっくりと、口を開いた。


「アルビダさん――死んでください」

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