125話 上 傷を、負われたか

 離宮へ続く一本の橋。


 それは優美な魔道金属で造られた美しい橋だ。

 だが、同時に手すりや飾り彫刻の類はなく、見上げる形の離宮から身を隠すことはできない防衛のための施設である。


 先に見える離宮のバルコニーには意図的にいくつも段差がつけられており、高さによって射線が交差する必殺の罠だ。


 それを証明するかのように、美しい橋にいくつもの黒ずみが広がっている。

 血と炎の、戦いの跡だ。


 そこへ、俺から流れる赤が色を添えていく。

 少しばかり無理をしたようだが、ここで無様を晒してはいけない。


 敵勢は俺を手強しと見たから退いたのだ。

 弱り目を見せて勢いに乗せるわけにはいかない。


 俺はわざとゆっくりと、余裕を見せつけるように歩く。

 今の武装は新ホモグラフトモデルの伸縮警棒のみ、背後から襲われたらキツい。

 その場合は走って離宮に駆け込むしかないだろう。


(離宮からモリ・サキ武官長が俺に呼応して出撃すればドワルゲスを討ち取れただろうか)


 可能性は十分だが、難しいところではある。

 近衛武官の任務は敵を打ち倒すことではなく、陛下の身辺を守ることなのだから。

 良くやったと評価されるべきだろう。


『こちらはエステバン。遮断されたシステムは復旧した。エネルギーが足りないが、徐々に転移できるだろう』

「ホモグラフト了解、さすがだな。転移された味方は城壁に向かいローガイン軍を引き入れてくれ。こちら包囲網を突破した。これより魔王様と合流し、離宮を護衛する。ゴルンたちはできるだけ敵を引きつけてくれ。シェイラさんはステュムパリデスと離脱してくれ」


 俺の指示に『了解』と次々に連絡が入る。


(勝ったか)


 エステバンがやってくれた。

 転移や通信さえ復旧してしまえば外部にも状況が伝わり、反乱軍に同調する者などいなくなるだろう。

 なにしろこちらは外からどんどん援軍を送り込めるのだ。

 もはや大勢は決した。


「開門しろ! ホモグラフト将軍に剣の礼! 捧げーっ!!」


 俺が離宮に近づくと、モリ・サキ武官長の号令のもと、近衛隊が剣帯から鞘ごと剣を外し、両手を伸ばして真横に保持した。


 これは剣の礼といい、魔王軍における最敬礼のひとつだ。

 両手で剣を捧げることで敵意がないことを示す動作が由来らしい。


 戦闘中ゆえ、整列をせず配置についたままなのは当然だ。

 剣を持たない魔法団は敬礼で迎えてくれている。


 モリ・サキ武官長以下、近衛隊および魔法団はできる範囲で最高の敬意を示してくれたのだ。

 俺もすれ違うたびに答礼し、モリ・サキ武官長と対面した。


「この状況での救援、万軍を得た心地です。我ら近衛隊、ならびに魔法団は心より感謝いたします」

「イシ・サキ団長戦死の報に接しました。苦しい状況での奮戦に敬意を表します」


 近衛武官は魔王軍でも魔王直属の特別な位置づけである。

 軍時代の俺と上下関係はなく、戦場を共にしたこともない。


 だが武人同士、戦場で会えば互いに感じ入るものはある。

 日頃のモリ・サキ武官長は『頼りない』『無能ゲートキーパー』などと揶揄やゆされがちではあるが、ここぞという場面で力を発揮するタイプなのだろう。

 全くの無能を人柄だけで出世させるほど軍は甘くないのだ。


「見れば手を負われた様子、衛生兵に治癒ヒールを――」

「なんのこれしき。ここをしのげば援軍が来ます。もうひとふんばりといきましょう」


 やせがまんではあるが、戦には潮目がある。

 ここで『敵は弱いぞ、治療するまでもない』とアピールしたわけだ……まあ、後でコッソリ回復薬ポーションを飲んでおけばいいだろう。


「すでに転移は復旧した! 援軍は来るぞ!」


 俺が『援軍が来る』とハッキリ告げたことで、皆の顔があがった。


「聞いたか!! ホモグラフト将軍が援軍を引き連れてきたぞ!!」


 別に俺が連れてくるわけではないが、わざわざ訂正する必要はない。

 このモリ・サキ武官長の言葉で味方は「ワッ」と歓声をあげ、それは徐々に広がりときの声となる。

 まさに気炎万丈、その士気は天を焦がすほど熱い。


 彼らは先の見えない籠城戦を耐え抜いた猛者だ。

 もはやこの離宮が陥落することはないだろう。


「武官長、ホモグラフト閣下、よろしいでしょうか」


 声をかけてきたのは近衛隊員だ。

 モリ・サキ武官長が「なにか」と尋ねると隊員は「陛下がホモグラフト閣下とお会いになるようです」と短く告げる。


「おお、陛下も将軍の奮戦に感じ入られたのであろう。戦場で褒詞を授けていただくとは名誉なことだ」


 モリ・サキ武官長は我がことのように喜んでくれるが、俺は少し違和感に気がついた。

 魔王様は大変に思慮深い方で、個々の戦は全て軍人に任せ口出しをなさったことはない。


(わざわざ個別に呼び出しとは……?)


 何か、いいようのない不安を感じた。


「承知しました。このまま参上したします」

「ではご案内をいたします」


 近衛隊員に案内され、壮麗に飾られた離宮に入る。

 その間も味方から歓声をあげられたが、俺の不安は高まるばかりだ。


「ここで、お待ちください」


 ロビーのようなところで、隊員は俺に頭を下げて退出した。


 よく分からない彫刻、立派な人物が描かれた肖像画……たぶん高価なモノなのだろう。

 美しい離宮内部にポツンと取り残されると場違い感がすごい。

 不安ばかりが募る。


「お待たせしましたホモグラフト閣下」


 現れたのは侍従長だ。

 声をかけられ、俺は慌てて頭を下げる。


「閣下、戦場のこととは存じますが陛下の御前を血で汚さぬために身を清め、治療をお受けください。そのままでは陛下の心を乱してしまいます」

「失礼をいたしました。しかし、戦陣のことゆえ――」


 俺の返事も聞かず、侍従長がパンパンと手を叩くと、魔王様の世話係である女官たちが現れた。

 いきなり浄化や洗浄の魔法を重ねがけされ、治癒の魔法で傷も癒やされる。


(こいつは……? 服の上から治癒をかけているのか、すごい腕だな)


 服の上から治療をすると傷口に異物を巻き込みやすくなるので脱衣するものなのだが、この治療をする女官はすさまじい技量の持ち主だ。

 もちろん浄化や洗浄の効果もすごく、あっという間に俺は風呂上がりのような清潔さとなった。


「……これはかたじけない」


 俺が女官に頭を下げると女官は小さくはにかみ、侍従長は「コホン」と咳払いをした。

 すると女官たちは音もなく姿を消す……すさまじい練度だ。


「閣下、陛下にお目通りする前に、1つだけおねがいがあるのです」

「なんでしょうか? 私に可能なことならばいいのですが」


 侍従長はしばし瞑目し、俺に頭を下げた。

 その様子に『ただごとではないぞ』と心がざわめく。


「閣下……陛下のお姿を見て、決して驚かぬとお約束くださいませ」

「驚かぬ、とは一体? まさか――」


 俺の心臓がドクンと跳ねる。


(傷を、負われたか)


 魔法団長が戦死するほど激しく戦ったのだ。

 魔王様が負傷してもおかしくはない。


(おかしくはない、が……あの女官の治癒ヒールや蘇生薬でも癒えぬ傷とは)


 しかも、侍従長の口ぶりからすると見える箇所なのだろう。


 かつて、俺の副官を務めていた老リザードマンは顔面にひどい火傷を負い、治療が遅れたために蘇生薬でも煮え爆ぜた眼球は戻らなかった。

 それを思い出し、俺の額から汗が流れ、息が荒くなる。


「閣下、どうかお約束ください。マルローネ様のお姿を見ても驚かぬと」

「承知しました。お約束いたします」


 俺は警棒を軽く伸ばし、わざとカチャンと音を立てて縮めた。

 これは金打きんちょうといい、金属を打ち鳴らして約束をすることだ。

 誓約の魔法のような強制力こそないが、かなり重い約束の作法である。


「武人の金打にて」

「閣下、かたじけのうございます、かたじけのうございます」


 侍従長は俺の手を両手で押しいただき、涙をこぼしながは何度も礼を述べた。

 これはいよいよ並々ならぬ事態のようだ。

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