84話 少し気分が良くないんだ

「マルローネ様、少しは外に出られ気散じでもなさいませ。体に毒でございます」

「うん、でも少し気分が良くないんだ」


 古くよりマリーに使える侍従長は小さくため息をついた。

 誤報騒動が終息してより、マリーの様子は明らかにおかしい。


 執務のたぐいをサボることはないが、各種の式典や会談など表舞台には一切顔を出していないのだ。


 事実、マリーの顔色は悪く、仮病ではないだろう。


(無理もない。初めて恋をして、初めて失恋されたんですもの)


 侍従長はマリーの心中を思い、大きくため息をついた。


 マリーは子供っぽい性格で、感情に素直。

 それが領民に愛されてきたのだが、それは侍従長から見れば不幸な生い立ちゆえであった。


 母を早くから亡くし、病弱であった先王(噂では夫婦ともに毒を盛られていたとも)を支えるためマリーは特別な教育を受けていたのだ。


 先王から共同統治者に指名されたのはわずか9才の時である。

 スクールにも行けず、友人も、もちろん恋人も作れず、大人にまじって帝王学を叩き込まれていた。

 年相応の経験と言うものをまるでしていないのだ。


『スクールってどんなとこなんだろう。楽しいのかな?』


 まだ十代だったマリーがドラマを見ながらこぼした一言を侍従長にはいまだに忘れることができない。


 そして19才になる直前、マリーは王位を継いで国難に立ち向かう。

 その結果として統治者としての振る舞いや、行い……そして幼いままのいびつな情緒を抱えたままで年齢を重ねてしまった。

 今でもマリーは数名の老臣と妹くらいにしか心を開いてはいないのを侍従長は知っている。


 そんな少女が自らを守り続ける武人に甘え、ほのかな思いを寄せるのはある意味で自然なことだったのだろう。

 そして、今回の報道で『もしかしたら』と期待を膨らませてしまったのは想像に難くない。


(本当に、ホモグラフト閣下も憎らしい人)


 あの査問会で心中を訊ね『思いもよらぬことです』と答えたあの男……あの時、侍従長も期待していたのだ。

 ホモグラフトも独身、ひょっとしたらマリーに特別な感情があるかもしれないと。


(……それが、よりにもよってリリアンヌ様だなんて!)


 悔しさのあまり、侍従長の両目から涙がこぼれた。


 マリーはいつも、自分の妹に尽くしてきたのだ。


『私はいいから、リリーにはスクールに行ってほしいんだ』


 ワガママを言わないマリーは唯一、妹のリリーのことだけは守り続けていた。

 スクールやカレッジに通わせ、公社への就職を認めさせ、転職まで助けたのだ。


 自分ができなかったことを妹に託し、魔王という重責の慰めとしていたのであろう。


 リリーがマリーよりも社会常識を身に着けているならば、それはマリーの献身ゆえ。

 これがなければ、リリーマリーのスペアとして教育され、日陰の道を歩んだだろう。


 それが分かるから姉妹は互いに争う心はなく、睦まじく暮らしていたのだ。


(本当にこの方は何も欲しがらない……想い人まで妹君に譲ってしまわれるなんて)


 皆が幸せになるように。

 皆の期待に応えるように。


 そう教育をし続けたのは他ならぬ自分なのだ。


 しかし、それはマリー本人を幸せにしたのだろうか。

 本人が幸せをつかめるように教育すべきでなかったのか。


 そう自問をすると後悔の涙はさらに流れ、嗚咽が漏れる。


「ばあや、どうしたのだ? 泣かないでおくれ、ばあやが泣くと私も悲しいぞ」

「申しわけございません。本来なら私がお慰めせねば……」


 そう、侍従長は内務卿から『徐々に式典などにも復帰できるように』と要請を受け、マリーを励ましにきたのだ。

 だが、結果はまるで逆。


 マリーは泣いている人に寄り添い、慰めることができる優しい心根の女性になった。

 しかし、その優しさゆえに自らの幸せを放棄しているように侍従長には感じるのだ。


「そんなに泣かないでおくれ。私も人前に出なければいけないとは思ってるんだ……でも、この姿じゃ――」

「マルローネ様、なんとおいたわしい」


 そこに美容と健康に気をつけていた美しい魔王はいない。

 失恋からくるストレスで過食ぎみに生活習慣が崩れ、極端な運動不足。


 そう、マリーは確実に太っていた。

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