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 窓辺に飾った人工花は、まだ形を変えずに咲いている。変わったのは窓から射し込む陽射しの強さで、今は春の気配を含んでいる。

 内線電話が鳴り、来訪者の到着を告げる。私はバンガローまで通すよう電話の相手に頼む。十分もしないうちに、今度はインターホンが鳴る。ベッドサイドの画面には係員の女性が映っている。タッチパネルを操作し、解錠。戸口に画面の人物が現れる。

 続いて入ってきたのは、三人の男たち。係員は彼らを見、私へ問うような眼差しを向けてくる。「大丈夫ですよ」と答え、彼女を帰す。それから、所在なさそうに立っている男たちを床に座らせる。

「思ったよりも元気そうだな」真ん中の男が言った。

「そう見える?」

「死にかけにしては元気そう」左の優男が言った。

「おい、禁煙」私は煙草を咥え火を点けようとした右の大男に言った。彼は不承不承、煙草をしまう。

 ベッドの上から見下ろす彼らからは草臥れた印象を受ける。時間の流れに漂白されたようである。リーダーの頭頂部が薄くなっているのが嫌でも目に付いた。優男は昔ほど肌にハリがなく、大男は背筋が曲がっている。必要以上に老化している感じだ。

「あんたらの活躍は常々チェックしていたよ」

「嘘つけ」リーダーは口を曲げる。「お茶問屋の娘の方が露出高かっただろうが」

 何年か前、〈老舗お茶問屋を新しい発想で支える六代目〉として経済番組の取材を受けたことがあった。二十分程度の映像に纏められていたが、ネットに転がる三人のライブ映像の総時間と比べたら確かに私の方が多いかもしれない。

「〈美人若女将〉って」と、笑い混じりに優男。「あれ、自分で言わせたの?」

 彼へ手近にあったクッションを投げつけ、私は咳払いする。

「今日、あんたらに集まってもらったのは他でもない」

 私は彼らに伝えた。

 死ぬまでに成し遂げたい野望を。

 最後の日へ向け全力で生き抜く決意を。

 私が喋り終えると、一切の物音が消えた。途中で再生の停まった映画のようだ。

 沈黙を破ったのは、やはりというべきか、リーダーだった。

「正気か?」

「正気でいられると思う?」

 彼は口角を吊り上げる。

「いいじゃん、やろう」優男が言う。「あの格好で人前に出ることなんて、もう滅多にないし」

 大男の手には電子煙草が握られている。

「それも駄目」私は釘を刺す。それから、布団の中からウイスキーのボトルを取り出す。じいやから送られてきた〈本物の〉ウイスキーだ。「これなら許す」


 酒は見る間に減っていく。だが、生のまま飲んで酔うには充分な量だった。歳も歳だし、元々アルコールに強い四人でもない。

「だがお前、ここから出られるのか?」顔を真っ赤にしたリーダーが言う。「練習するにしても、どこかのスタジオ借りてだろ」

「外出許可を取るから大丈夫」言いはしたものの、そんなつもりは毛ほどもない。今の私の状態で下りるわけがない。尤も、そんなことは些末な問題だ。

 こめかみの端末を摘まむ。剥がしはしない。むしろ、サーバに完コピしろと発破を掛けたいぐらいだ。

 所詮は偽物だというのなら。

 せめてデータの全てを〈本当の私〉で埋めてやる。


 敷地内にいる大半が死にかけの人間なせいか、脱走するのは簡単だった。私は週に一度、施設を囲う雑木林を抜け、山の上まで迎えに来た仲間たちの車に乗って街のスタジオへ赴いた。

 久しぶりに握るギターのネックは太く、弦は指が切れるほど固かった。運指も上手くいかない。それでも身体は覚えているもので、何時間か弾くうちに昔の勘が徐々にだが蘇ってきた。辿々しくはあるものの、簡単なリフなら鳴らせるようになった。

 音を出せたら、次は歌だ。

 自分で歌詞を書いておきながら、サビ以外のフレーズが覚束ない。はっきり言って忘れている。弦を押さえることを考えながらだと、すぐハミングになってしまう。

「魂から歌ってないから忘れるんだ」

 冗談交じりに言ったのだろうが、優男の言葉には一理ある。十代の終わりに書いた歌は、当時の私の言葉であって今の私のものではない。他人のものと言っても良いぐらいだ。今の私の心には寄り添わず、結果的に暗記のようなことをする必要さえ生じてくる。日に日に衰えていく頭では、歌詞を一から覚え直すことは殆ど修行に近い。

「適当でも良いからとにかく言葉を繋げ」頭の薄くなったリーダーが言った。「どうせ俺たちの歌で歌詞なんか聴き取れやしない」

「それじゃ歌う意味がない」私は往生際悪く抵抗する。

「だったら覚えろ」

「それが出来ないから苦労してんだろー」頭を掻きむしる。

「あ」電子煙草を咥えていた大男が不意に言う。

「おい、ここ禁煙――」

「血」彼は私の言葉を遮り、更にこちらを指す。「鼻血出てる」

 言われるまま鼻の下を指で撫でると、果たして指紋が赤黒く染まっている。

 男たちが色めき立つ。

「ヤバい、ティッシュ」

「救急車呼ぶ?」

「鼻血は逆さ吊りにすると止まる」

「それ逆効果じゃねえか?」

「いや、病人を吊すな」私は鼻の付け根を押さえながら仰向けになる。

 そんな風にして練習が止まることはままあった。だが三人は何も言わず、私の回復を待った。時にはそのまま終わることもあったが、誰も文句は言わなかった。彼らはどこまでも〈音楽仲間〉だった。


「何か良いことでもあった?」

 彼に問われ、己の頬に手を充てる。

「何だか嬉しそうだよ」

「そうかな」指で両の頬を引っ張り上げる。「特に何もないけど」

 彼の顔色が変わる。

「その指、どうしたの?」

 右手の人差し指から小指まで絆創膏が巻いてある。久しぶりにギターを弾いた代償だ。迂闊だった。私は急いで手を引っ込める。

「ちょっと挟んじゃって」

「どこに? 先生には言った?」

「そんな大したことじゃないから」

「駄目だよ」彼は声を荒げる。彼のこんな大声を聞くのは初めてに等しい。発した当人も驚いたらしく、すぐにトーンを抑え「な、何がきっかけで悪くなるかわからないんだよ?」

 悪くなる、という言葉が胸に引っ掛かった。悪くなる。

 彼がどんな意図でそう言ったのか、他意なく純粋な意味のつもりだったのか、定かではない。だが私の心は、この些細な言い回しに固執した。

 悪くなる。

 病状の悪化。

〈死ぬ〉ではなく〈悪くなる〉。

 まるで、私がまだ死なないような言い草。

 私が死んだ後も、私が続いていくような。

 絆創膏だらけの手で、シーツを掴む。唇を開き、息を吸い込む。

 言葉を、自分の内側で渦巻いている粘度の高い感情を吐き出そうと試みる。

「……ごめん」

 無理だった。


 指先の出血と歌詞の健忘と短くはない休憩を繰り返しながら、私たちはかつての演奏を取り戻していった。もちろん、全盛期のそれには遠く及ばないだろう。過去の自分を過大評価するわけではないが。

 どうどうと流れる時間の流れに逆らっている気分だった。立っているのも覚束ない水流の中を、私は上流目指して歩いている。

 何がそうさせるのか。そうまでする意味がどこにあるのか。

 そう問い掛けてくる自分の声に、歯を食いしばって耐えた。そして、心の中で答える。

 私は、私の〈死〉を取り戻したいのだ、と。

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