3-3

 抹香のにおい。

 黒い服の人々。

 読経と啜り泣き。

 こういう場は初めてではないが、何度体験しても居心地の悪さを感じる。

 葬儀の場で初めて、私はカガミさんの両親と顔を合わせた。向こうでも私の顔は知らなかったが、存在だけは認知していたようだった。

「娘が大変お世話になったようで」綺麗な銀髪の、カガミさんの父親は言った。

「お世話しました」と思ったが、言わないでおいた。私は会釈をし、前の参列者に続いて焼香へと進んだ。

 手を合わせ終えた人々は、遺影に向かって何か話している。列が短くになるにつれ、交わされる言葉が鮮明になる。色とりどりの花の只中に飾られた遺影がただの写真ではなく、動画を映しているパネルだとわかる。カガミさんの声も聞こえてくる。

 やがて私は、彼女と正面から向き合う。

「久しぶり」縦長のパネルに映るカガミさんは肩を竦めた。「来てくれてありがとう」

「どうも」とだけ言って、焼香を済ませる。手まで合わせてから、改めてパネルを見上げる。「そちらはどうですか?」

「思ってたよりも快適。痛くも苦しくもないからね」

「酒も飲めないんでしょう?」

「酒……?」彼女は小首を傾げる。

 私は続ける。

「イヤらしいことばかり考えちゃ駄目ですよ。電気代の無駄ですから」

 カガミさんは何とも言わず、ただ笑みを浮かべている。私は小さく唇を噛む。

 次の参列者が進んできて、その場を離れる。後ろから、定型文のような挨拶を交わす声が聞こえてくる。俄に頭痛がして、こめかみに手をやった。指先が転送端末の、柔らかい有機プラスチックに触れた。


 雨が降る度、山は冬へと近付いていく。赤や黄色に色づいていた山は、いつの間にか味気ない焦げ茶に変わっている。

 酒を持って私を訪ねてくる人間がいなくなった。私は部屋からほとんど出なくなった。

 変わらないのは、窓辺で咲く人工花だけだ。白い花弁は、この部屋に来た時と変わらず艶やかでハリがある。不気味なぐらい、何も変わらない。

 その花びらが輝き出す。陽射しが照らしたのだと、私は遅れて気付く。窓辺に立つと、空を覆っていた雨雲は切れ切れになって流れていた。柱となった光が、枯れ木ばかりの山肌に突き刺さっていた。

「雨、上がったね」

 振り向くと、入口にカガミさんが立っていた。彼女は手にしたスキットルを掲げる。

「折角だし、山、登らない?」

「まだぬかるんでますよ」

 自分の声が、異様に低く大きく聞こえた。具体的な空気の振動は私をハッとさせる。それから、自分が一人なのだと思い知らせる。

 窓の外で、名前を知らない鳥が鳴いた。


 改めて相対してみると、じいやは思っていたよりも〈じいや〉だった。渋い色合いの私服のせいか、或いはカガミさんがいなくなってから急激に老け込んだのかもしれないが。いずれにせよ、ああだこうだとワガママを言うのは偲ばれるぐらいの老人である。

「ここは良いところですな」急な来訪を詫びた老人は言った。「静かで、雪の降る音まで聞こえそうです」

「余計な自分の声まで聞こえてきますよ」私は言った。

「考え事をするには一番です」

 じいやは頷いて、ほうじ茶を啜る。私も熱いお茶に口を付ける。

 本部棟の喫茶室には私たち以外に誰もいない。平日で、しかも雪に降り込められた後だからかもしれない。時折遠くで、誰かが廊下を歩く。他には音らしい音は聞こえない。

「本日は二つの用件で参りました」

「はあ」私は居住まいを正す。

「まず、お嬢様が正式に逝かれましたので、そのご報告に」

 サーバ上からデータが消されたということだ。私は頷く。

「最後はご両親と私のみが立ち会いまして、お嬢様をお見送りしました」

 四十九日ものあいだ延期されていた〈死〉の到来。仰々しい儀式が行われたのか、それともクリック一つで人格データを消去したのか。私にはわからない。

「最後に」と私は言う。「最後に、カガミさんは何か言っていましたか」

「いいえ、特には」老人は首を振る。「穏やかな笑顔のまま、旅立たれました」

 穏やかな笑顔のまま。

 そのカガミさんは、本当の彼女だったのだろうか。

 老人が口を開く。

「この年寄りには、コンピュータや何だという難しいことはよくわかりません。携帯電話すらまともに使いこなせておりませんから」

 私は彼へ眼を向ける。言葉の行き先が読めず、曖昧な相づちを打つ。

「そんな人間からすると、画面の中とはいえ、お嬢様が前と変わらぬ姿で動き、話しているのを見るのは喜ばしいものでした。お嬢様は生きていると、本気で思うことが出来たのです」

 相手の湯飲みに眼を落とす。湯気は薄くなったものの、まだ辛うじて立ち上っている。

「これが身勝手な思い込みだというのは、今になってようやく気付きました。私たちは所詮、お嬢様から〈死〉というものを取り上げていたのだと。あの方にそっくりな人形を作り、それを眺めて自分たちの心を慰めていたに過ぎないのだと」

 老人は肩を落とす。ただでさえ小さな身体が、一層縮んで見える。そんな相手に、私は言う。

「本当は、もっとずっと前から気付いてたんじゃないですか?」それから、こめかみの端末を指先で叩き、「というか、元々これには反対だった」

 老人は弱々しく微笑む。

「反対も、押し通せなければなかったことと同じです」

「あのカガミさんを、カガミさんだと思えましたか?」詰問調にならないよう気を付けたつもりだが、言葉が険を帯びるのを自分でも感じた。それでも続けずにはいられない。「意識を移すというけれど、実際のところは本人の皮を被せただけの偽物です。中身は全然伴っていない。カガミさんの、カガミさんらしい部分は全部削ぎ落とされてしまっている。そうは感じませんでしたか? ずっとあの人の傍にいたあなたなら尚更――」

 老人は尚も微笑んでいる。ともすると泣いているようにも見える。

「私は頭の悪い人間ですので」

 そう言われ、私は口を噤む。自分の言動を恥じる。

「すみません。つい熱くなって」

「いえ。あなたの中で本当のお嬢様が生きているのだとわかり、大変嬉しく思います」

 言いながら、老人は傍らに置いた紙袋から何かを取り出した。

「二つ目の用件というのは、或る意味でそれに関係してくるものなのですが」

 差し出されたのは、ラッピングされた正方形の板状のものだ。青い包装紙の表面には皺一つ入っていない。

「開けても?」

「もちろんです」

 テープは難なく剥がれた。包装紙も解けるように脱げる。

 現れたのはプラスチックのCDケースだった。それを見た途端、私は言葉を失った。時代遅れの代物に唖然としたわけじゃない。原因は、そのジャケットにあった。

「そちらはお嬢様から」老人の声が、遠くで聞こえる。「生前――最初の死の間際でしたが、あなたにお渡しするよう仰せつかったのです。お嬢様の一番の宝物だそうで」

「カガミさんの……」呟いてはみたものの、言葉が続かない。

「どうか受け取って下さい。あの方の望みですから」

 私は、透明なプラスチックの奥に並ぶ四つの顔へ目を向けた。白粉を塗りたくった下地とは対照的に、目元には真っ黒な星や蝙蝠の羽根のような模様が描かれている。唇は黒もいれば、鮮やかな紅もいる。

 四人の頭上には、稲妻のような角張った書体で英語が浮かんでいる。このアルバムのタイトルだ。

「Waiting for you at hell」私は口の中で読み上げる。変換は反射的に行われる。「――地獄で待ってる」

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