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週に一度、定期検診を受ける。灰色の本部棟で、最新の医療設備を以て身体の隅々まで調べ上げられる。
検査をしたところで、回復の兆しが見つかるというわけではない。現状維持か、悪化しているか。その二択しか結果はあり得ない。そして前者だとしても、全く前回から病気の進行が止まっているというわけではなく、その度合いが少ないという意味でしかない。死は着実に、私の方へ近付いてきているのだ。
二時間近い検査をこなし、医師の所見を聞いて診察室を出る。エントランスへ下りていくと、丁度三つの人影が、出入り口から出て行くのが見えた。
男二人に女が一人。いずれも私の親ぐらいの年代だ。男の一人はもっと上かもしれない、と思ってよく見ると、その人物はいつもカガミさんを訪ねてくる〈じいや〉であった。私は口の中で「あっ」と声を上げ、何故か咄嗟に柱の陰に隠れた。
じいやは男女を案内している風である。男女は夫婦だろう。妻は背中を丸めている。その肩を夫が抱き、慰めているように見える。
彼らが誰なのか、何があってそのような姿を晒しているのか。誰に教えられずとも、私にはわかった。三人が車に乗って立ち去るまでたっぷり時間を取って、柱の陰で過ごした。気付けば自分の足で立っていることが出来ず、柱に寄り掛かっていた。
部屋には戻らず、山の上の四阿へ向かった。部屋にいればカガミさんが訪ねてくる可能性があった。四阿にいる可能性だって充分あり得る。だが、それならそれで仕方がない。要は、私はカガミさんと会いたいのか会いたくないのか、自分自身でも気持ちの置き所を決めかねているのだった。
四阿にカガミさんの姿はなかった。だが、ホッとしたのも束の間、鼻歌と足音が石段を上がってきた。
「やあ、奇遇」カガミさんはいつもと変わらぬ、おどけた調子で言った。それから後ろ手に持っていたものを掲げて見せた。ワインの瓶だ。「良い酒が手に入ったんだ。君もどうだい?」
プラスチックのコップも二つ、用意されていた。
注がれた赤ワインは擬似酒ではなく本物だった。どこで手に入れたのかと問えば、やはりじいやが持ってきたとのことだった。実家のワインセラー(!)で眠っていたらしい。
「あたしが生まれた年の酒だよ。三十年物。っていうと歳がバレるか」アハハと彼女は笑う。
私は、注がれた半分も飲まないうちに顔が火照り、視界が霞んでいる。自分の奥の方にある感情の箍も緩んでいる。気を付けろ、と自分に言い聞かせるが、一方でハナから諦めている自分もいる。
「飲まないの?」
「飲んでますよ」
「減ってないじゃん」
「減ってますって」私はコップに口を付ける。
カガミさんはワインをスイスイと飲み干していく。それでいて顔色は変わらない。そうしたことが余計に、彼女が普段とは違う状態にあることを物語っているようだった。
「ねえ」やがてカガミさんが言った。「何か面白い話してよ」
「何です、藪から棒に」
「黙って飲んでてもつまんないでしょ。何かないの、面白い話?」
「私は普通のお茶屋の娘ですからね」
「バンド組んでたんでしょ? その時の話してよ」
おや、と思う。
「そのこと、カガミさんに言いましたっけ?」
「言ったよ。酔った勢いでポロッと。もっと詳しく聞かせてほしいな」
「特に大したことはありませんよ」
「こう、メンバー同士であんたを取り合って喧嘩したりとか、ステージでギター燃やしたりとかさ」
「ないですねー。普通ですよ。普通の音楽仲間」
「その普通が普通じゃないから知りたいんだって。あたしはそういう経験してないし」それから彼女は声を落として「もう出来ないだろうし」
風が吹く。木々の揺れる音が、辺りを包む。
私は息を吐く。
「ずるいですよ、それ」カガミさんを睨む。「〈死〉をちらつかせるのは反則です」
カガミさんは舌を出し、片目を瞑り、自分の頭をコツンとやる。本当にやっている人間を初めて見た。
「だが、この武器を有効に使わぬ手はない」
「その成果がこのワインですか」
「いかにも。次はチーズと生ハムも付けてもらおう」
「長生きするわけにはいきませんね」
「その辺は抜かりない」
「抜かっていいのに」私は言った。
言葉は風に乗り、いつまでも四阿の中を漂っているようだった。私はそれを掴んで口の中へ戻したいという衝動に駆られた。そんなことが無理だとわかる程度の常識は持っているので、代わりにワインを飲み下した。それから手酌で次のワインを注いだ。
「君はさ」
私はプラコップの縁を囓りながら、カガミさんの声を聞く。
「死ぬのは怖くないかね?」
どこかで鳥が鳴く。長く、甲高い鳴き声だ。
私は咥えていたコップを離す。
「自分でもよくわかりません。わからないんです。色々考えてみたけど」言葉を飾るのを諦め、流れに身を任せる思いで喋る。「怖いようでもあるし、それほど大事だとは思ってないようでもある。今の私が消えることは嫌だけど、もし消えたとしても、そうなった後のことなんか知るかって気持ちも同じぐらい強いんですよ」
「ふむ」
そう言ったきり、カガミさんは黙り込む。次に口を開くまでには、何時間も掛かったように感じられた。彼女はこめかみの端末をいじりながら、
「コイツがあたしたちをコンピュータの中へ連れて行ってくれるお陰で、四十九日間あたしたちは死んだことにはならない。そうすると、君の気持ちの半分を占める懸念は解消される」
「そうだといいんですけど」
「そうじゃないもんなあ」カガミさんは笑っている。「コイツは結局、あたしのためには何もしてくれなかった。むしろ、あたしから〈死〉を取り上げて、細かく切り分け、みんなに配ったんだ。お節介通り越して横暴だよ」
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