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 彼の他にも見舞客というものは訪れる。尤も、それらは全て彼を通じて知り合った〈友人〉か、職場の関係者だが。

 彼・彼女らはまず施設を褒め、それから私の顔を見ると、口を揃えて「思っていたより元気そう」と言う。私が味気ない病室のベッドの上で身体中に管を繋がれたまま干からびているとでも考えているようだった。

 端末を付けるようになってからはそこへDepartureの話題が加わるようになった。もちろん否定的な反応ではない。誰もが一言目には肯定的な言葉を口にする。そして二言目には「どんな感じ?」と訊いてくる。

「どうもこうも、何も変わらないよ。付けてることすら時々忘れる」

 この答えでは彼らを満足させることは出来ない。

「頭の中を読み取られるって不思議な感じ。でも安心感がある。この身体が滅んだ後も生き続けられるのはやっぱり嬉しい」

 七十点。

「正直言って怖い。私が死んだ後に皆と接する自分が、本当に今の私なのか自信がないの。今こうしてる私は、心臓が止まったら、やっぱり死んじゃうのかなって思う」

 はい百点。唇を震わせながらシクシク泣いてシーツを掴めば尚よし。見舞客たちは私以上に眉を寄せ、「大丈夫だよ」と背中を擦ってくれる。

 この台詞を教えてくれたのもカガミさんだ。「百パーセント慰められるから」と言っていたので試してみたら、本当にその通りになった。後日結果を報せると、彼女はフンと鼻を鳴らして言った。

「他人の見舞いに来る暇人なんてのは、自分より可哀想な人間を眺めたいだけだからね」

 私は彼女ほど世間を斜めに見ているつもりはなかったが、転送端末を付けるようになってからはその姿勢も揺らいできた。少なくとも〈死〉というものの捉え方の、周囲との差は感じるようになった。

 先に挙げた満点の回答は、なにも同情を引きたいばかりの言葉ではない。私の本音も少なからず混じっている。私もカガミさん同様、サーバに移された意識というものを〈この私〉と同じものだとは考えていない。だが、恐らく見舞客たちは、コンピュータの画面に映し出される私を〈この私〉だと認識するのだろう。私の考えでは〈この私〉は肉体が死ねば消える。機械に遺された私は飽くまで電気信号でしかなく、〈この私〉とは全くの別物だ。だから生き延びられるわけじゃない。

 と、初めのうちこそ、このカガミさんの理論を説明しようと試みたが、すぐに徒労と悟ってやめた。結局のところ、見舞いに来るような人々にとっては実態などどうでも良いのだ。私自身がそうであったように。いざ自分に影響が降りかからないと、システムの問題点など深く考えもしなかったように。

 私が死んでも彼らの前には私がいる。その事実だけが重要なのだ。私が死んで悲しいのは私だけだ。


 肉体的な死はまだこれからだが、精神的な死は既に一度味わったことがある。今から五年ほど前のことだ。

 私がバンドを抜けた日。その日、私の中では確かに一人の私が死んだ。

 一時はデビューにまで手を掛けた。だが、レーベルから提示された私たちの売り出し方とこちらのやりたい音楽が乖離していたため話は流れた。あの話があと数年遅かったら、その後の未来は変わっていたのかもしれない。

 以来、私たちは私たちの道を突き進んだ。半分は意地だった。自分たちの選んだ道が正しかったのだと、どうにか証明しようと足掻いていたのだと思う。

 しかし、答えを示す前に私が力尽きた。

 きっかけは一つではない。様々な要因が重なって、それ以上音楽を続ける気持ちが折れてしまったのだ。

 行き場を失った煙草の煙が立ちこめる喫茶店で、私は三人の仲間に脱退を告げた。彼らは責めも引き留めもしなかった。一人は腕組みをし、一人はストローをスポイトにして袋にコーヒーを垂らし、一人はひたすら煙草を吹かしていた。

「そうか」腕組みしていた男が言った。彼が一応リーダーだった。「残念だが仕方がない」

「あんまり驚かない感じ?」私は言った。

「なんとなくそんな気がしてたからな。お前見てればわかる」

「ごめん」

「謝ることじゃない」

「いや、何と言うか、全体的に。ごめん」

「それも謝ることじゃない」

「次は?」ストローの袋にコーヒーを垂らしていた男が言った。童顔の彼は、すっぴんの私よりも女らしい。「何するかもう決めたの?」

「とりあえず実家を手伝う」

「実家って、お茶屋さんだっけ? 静岡の」

「そう」

「お茶摘むの?」

「うちは問屋だから。やるのは事務仕事」

「事務って。似合わねー」

 普段だったらケラケラ笑う彼に肘打ちの一つも入れるところだが、そんな空気でもないし元気もなかった。

 煙草を吹かしていたもう一人は短くなった吸い殻を灰皿に押し付け、次の一本を抜き出して火を点けた。口を窄めて絶滅寸前の紙巻き煙草から煙を吸い取った彼は、天井に向けて紫煙を吐き出すと、意を決したといわんばかりに言った。

「決意は固いのか」

 固さを鑑みたことはなかった。ただ〈諦める〉という行為だけが、事実として私の前に横たわるだけだった。私は曖昧に頷いた。

 リーダーが言った。

「お前が自分で決めた以上、その選択に口出しする気はない。このまま音楽続けたって、成功する保証はどこにもないからな。特に俺たちみたいなのは」

「出来るよ、みんななら」私は言った。「きっと成功出来る」

「どっちの方が過酷なんだろうねえ」童顔が言った。

「どこだって、必死で生きようとする者にとっては戦場だ」煙草が言った。

 音楽とは無縁の場所。必死で目を逸らしてきたその場所に、私は自ら足を踏み入れようとしていた。かつての私は、そこを〈地獄〉と呼んでいた。

「地獄で待ってる」

 そう言った自分の顔が微笑んでいたのか醜く歪んでいたのかは、私にはわからない。確かなのは、この時、私の精神は或る意味で死を迎えたということだけだ。


 私は実家が老舗ということもあり、まずまずの安泰の元、そこそこ不自由ない暮らしを送ることが出来た。事務だけでなく、広報のような仕事も任されるようになり、少し前の自分なら思いもしなかった〈家業へのやりがい〉なんかを見出した。出会いにも恵まれ、地元で飲食チェーンを経営する家の三代目である今の彼とも仕事を通じて知り合った。踏み出す前は地獄に見えていた場所は、実際に身を置いてみると、それほど居心地の悪い所ではなかった。

 一方、バンドは私が抜けた後も続いた。代わりのメンバーを募ることもなく、相変わらず自分たちの音楽を貫いていた。その名前はお茶の間でテレビを眺めている限り目にすることはなく、ネットで能動的に検索し、辛うじて誰かがライブを盗撮した手ブレだらけの動画が見つかるぐらいだった。

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