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 最近、よく見る夢がある。

 裏路地の地下にある小さなライブハウス。その、電気の切れかかった小汚い楽屋で、誰かが持ってきた瓶ビールを私は呷っている。

 不安を腹の奥底に流し込むように。

 ビールで押し流した不安は、見通すことの出来ない将来に対するものだ。果たして音楽の道で食べていけるのだろうかという不安。音楽以外のことをして、音楽を愛する今の気持ちを忘れてしまうのではという不安。つまらない大人になることへの不安。そうした一切を追い払うため、必死で瓶を傾ける。

 私はそんな自分の姿を傍から見ている。つまりビールを飲んでいるのは自分じゃない。少なくとも、今の私ではない。

 私は〈彼女〉に声を掛けたくなる。大丈夫、と。その不安は、あと数年で消えてなくなる。どうしてそんな不安に苛まれていたのか、わからなくなる。それは決して怖いことではない。というか、本当に怖いことが目の前にやって来る。

 本当に怖いこと。

 それは――

 気が付くと目が覚めている。仄暗い闇の向こうには、もう見慣れてしまったバンガローの、真っ白な天井が広がっている。

 周囲には、物音一つない。夜が開ける前だから、鳥のさえずりも聞こえない。

 私は枕に顔を埋める。再び眠ろうと試みる。だが、どれだけ集中しても、というか集中すればするほど意識は冴えてくる。一度立ち去った眠りは、戻ってくる気配もない。


 黒い、正方形の小箱。表面はフェルトのような材質。箱の上半分が蓋として開くようだ。そのような箱が何を入れる物なのか、私は知っている。

 差し出された箱を、しかしなかなか受け取ることが出来ない。彼の顔を見る。

 彼は私と目が合うと、深く頷く。噛んで含めるような首肯だ。

「本当に、私でいいの?」我ながら野暮な問いだが、訊かずにはいられない。

「もちろんだよ。むしろ君じゃなきゃ駄目なんだ」

 カガミさんは色々言うが、私は彼のこういうところが嫌いではない。歯の浮く台詞を本気で、しかも真正面からぶつけられるというのは、結構嬉しいものだったりする。まるで自分がドラマの主人公にでもなった気がするのだ。

 私は箱を開ける。

 中には白い光を湛えた指輪が――という流れを想定していただけに、入っているのが何なのか、理解するまで時間を要した。

 少なくとも指輪ではない。小さめの碁石が二つ。白の。そこまで認識して、頭の回路が繋がった。カガミさんの顔が浮かぶ。彼女のこめかみにズームした形で。

「君には苦しんだまま行ってもらいたくないんだ」彼は真っ白な歯を見せて言う。「付けて、くれるよね?」

 指輪を見た時の顔を貼り付けたまま、私は頬の痙りを収めることが出来ない。それを彼は不安の表れと勘違いしたようで、慌てて付け足す。

「別に、君の終わりが差し迫ったとか、そういうわけではないんだ。君の体調は安定している。先生も驚いてたよ。これは、そういったこととは無関係に僕が望んだことなんだ。もし始めるなら、なるべく長い期間、準備を行った方が良いって聞いて……」

 弁解はしかし、私の中を素通りしていく。

「もしかして、嫌?」

「嫌じゃないけど」

「けど?」

 私は答えようとして、口を噤む。続く言葉を言ってはいけない気がする。彼のためではなく、自分自身のために。

 息を吸い、音も立てずに吐く。

「わかった。付ける」

 彼の眉根から、不安の色が消える。

「よかった。断られたらどうしようかと思ってたんだ。君はもしかすると、こういうの嫌いかもしれないから」

 私は弱々しく笑う。横目で入口の方を伺う。今日は彼が入ってくる時に扉を閉めさせた。立ち聞きしようにも聞こえまい。後悔が湧く。今日のこれは聞いていてほしかったと心底思う。後から自分で説明するのは、あまりに忍びない出来事だ。

 どんなに忍びなくとも、額の両端に端末を装着した以上は話さざるを得ない。私はカガミさんに事の顛末を話した。案の定というべきか、カガミさんは腹を抱えて笑い転げた。

「そんなにおかしいですか」私は唇を尖らせる。

「だって、だって――」カガミさんは笑いの間で悶える。「指輪だと思ったら転送端末だったって、がっかり感すごいじゃん」

「別にがっかりはしてません」

「してんじゃん」彼女はまた笑いに埋もれる。

 私はこめかみに貼り付いたクソ忌々しい有機プラスチックの塊に触れる。こうしてわざわざ触らなければ、付けていることなど忘れてしまう。だが、それは確かに存在し、今も確実に脳内の見取り図をどこかに置かれたサーバに送り続けている。蓄えられた情報は少しずつ、私を形作っていく。雑草が根を張るように。

 カガミさんが目尻に泪を溜めたまま言う。

「でもまあ、愛されてるってことなんじゃない?」

「カガミさんだったらそう思えますか?」

「思わないけど」

 私は彼女を睨む。彼女はまた笑う。

「現に思ってないし。こんなの付けさせられてコンピュータ上に頭の中のコピー作られて、そこに意識を移すなんて言われても、結局それは今ここにいるあたしじゃない。少なくともあたしは同じだとは考えられない。周りを満足させるための電気信号だとしか感じられない」

「それを、この機械を付けさせた人たちに言いましたか?」

「言ってない。言っても無駄だよ。あの人たちにはきっとわからない。わかるのは、自分が同じ事態に直面した時なんじゃない? 人間なんてそんなもんだと思うけど」

 端末を摘まむ。付け心地の割に、ちょっとやそっとの力ではビクともしない。

 カガミさんが意地悪く笑う。

「無理矢理取ると、カレが哀しむゾ」

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