9 卒業式後②

***




 乱れていた息が段々と整っていく。そうなるまでの時間、私たちは向き合ったままただ突っ立っていた。


「佐倉さん、いつも図書室にいましたよね」


 落ち着いた調子で先生が口を開く。先ほどまでの必死な様子はもう見えない。


「あの時間、あの場所にいて、いつも本を読んでいた。時間が時間だし、なるべく気にしないようにはしていたんですが、つい目がいってしまって。目が合う度に見ていたことが分かってしまったと気まずい思いを笑ってごまかしていました」


 先生は動かない。私は今、こんなにもその頬に触れたいと思っているのに。


「佐倉さんは目を逸らさなかった。いつも笑い返してくれました。だから勘違いしたんです」


 私からの言葉を待つように、沈黙。でも私は何も言いたくない。口を開けば溢れてしまう。


「浅田先生、数学でしょう。教務室で二人の時に聞いたんです。図書室に入り浸る女子生徒の名前を。ホームルームの時間にいつも来ている生徒がいます。髪が長くて、本を読むときに自分の頬に触れる癖があるのですがと。浅田先生にはすぐわかったようでした。佐倉琴音、うちのクラスの生徒だ。あいつこんなところでサボリかよ、真面目だか不真面目だかわかんねぇなって笑っていました」


 ーー名前、聞いてもいいですか。


「本当は知っていたんです。もう随分前から。君の笑い顔や、癖。それから名前も、学年も、クラスも、どんな生徒かも。ただ、僕がそれで満足できなかっただけです」


 声を聞いてみたかった。言葉を交わしたときに、どんな風に答えるのか知りたかった。どんなものが好きで、どんなものが嫌いで。どんな本を読んでいるのか。どうして毎日あの時間にいたのか。何もかもを知りたかった。


 それは熱烈な愛の告白のようだった。ただ、今更遅すぎる、それだけの言葉の羅列。


「浅野先生のおっしゃっていたこと、私も同じ意見です」


 先生は答えなかった。当然だ。答えようがない。きっと先生だって痛いほどに分かっている。理解している。私が卒業したところで、変化は訪れないということ。


 あの日、初めて言葉を交わしたあの時、それが私たちの最初で最後の瞬間だった。その一瞬が切り取られ、噂になり、釘を刺される羽目になったのは、それ以上進んではいけないという警告に違いない。


「在学中は大変お世話になりました。お元気で」


 丁寧に頭を下げた私に、先生は何も言わなかった。横を通り過ぎ、足早に歩を進める私を引き留めるような言葉すら何も。


 私に泣く資格はない。

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