6 きっかけ

***




 たまたまといえばそれまでのこと。


 その日私は退屈なホームルームをサボって図書室にいた。


 初めてのエスケープ。理由は他愛もないこと。どうしても今日持ち帰らなければならなかった部活の資料を図書室に忘れていた。用事があってホームルームが終わったらすぐに帰宅しなければ間に合わなかったからサボっただけ。


 けれども肝心の資料が見あたらない。もしかしたら顧問が置き忘れに気づいて片づけたのかもしれない。


 準備室の扉を開く。いつも通り遮光カーテンが引いてあり暗かった。電気をつけようか迷い、けれども図書室からの光で間に合うだろうとそのまま室内に入る。


 同時にカタカタと小さく固いものが触れあう音が聞こえた。耳を澄ませ気をつけてよく見るとカーテンの裾がわずかに揺れていることに気づく。誰かが換気して、窓をきちんと閉めないままにしたのだろう。


 普段ほとんど開けることのないカーテンに手をかけて外を見たのは本当にたまたまだった。私のいる図書室がある東棟の校舎から、中庭を挟み主に教員事務室や準備室などがある西棟が見える。


 図書準備室からそちら側を眺めたのは初めてだった。


 東棟の一番北側に面した部屋からは同じように西棟の一番北にある数学科教務室がまっすぐに、そして思ったより近くに見えた。その中にいる人も。


 わずかに見覚えのある少し茶が強い髪の色。年輩の教師が多く、生徒への指導も行き届いている校内でそれは目に付く。教科を受け持たれていない、他学年担当の新任教師であっても記憶に残る程度には。


 教務室の窓際に置かれている大きな本棚。その一番上の棚は成人男性であっても少し高いらしい。まだ着こなせていないスーツの肩をいっぱいに上げて手を伸ばしても空を切るだけ。


「残念」


 悔しそうにしているのが分かって、そう呟いてしまった。顔には笑みも浮かんでいたかもしれない。


 もちろん聞こえるはずはない。それどころかこちらから見られているのだって気づいてはいないはず。脚立でも使わないと無理だろうと思いながら、どうするのか大した興味も持たないまま眺めていた。


 先生がしゃがみ込む。窓枠の下に隠れて姿が見えなくなった。踏み台でも見つけたのかと思ったら、次の瞬間伸びやかな肢体が宙を舞った。


 枠の中に切り取られて全身は見えなかった。けれどもふわりと浮かぶように軽やかな跳躍に思わず見とれた。


 結果、目当ての棚に指は届いたものの、バランスを失って上から落ちてきた書類のファイルと共に、別棟にまで響く大きな音を立てながら落ちていったところまでも。


 予想外の珍事に自分がサボリだということも忘れて思わず窓から身を乗り出した。あの落ち方はかなり痛かったに違いない。窓枠が邪魔して見えないのに、それでも必死に教務室をのぞき込もうとさらに前に体重をかける。


 どうしよう。誰か呼んだ方がいいのかな。それとも保健室に連れていった方が。半ばパニックに陥っていて、それでも凝視していた窓枠に腕が掛かったのに気がつく。


 頭に手を添えながらしかめっ面をして、ゆっくりと体を起こした先生はそのまま顔を上げた。怪我は特になさそう。目の前で起きたトラブルに動揺していた私は、無事だった姿に安心して満面の笑みを浮かべていた。そこで目があった。


 一瞬驚いたような顔をした先生は、ばつが悪そうに笑って見せた。それはそうだ。おそらく先ほどの行動は、誰も見ていないことを前提に行われていたのだから。


 ホームルームの終了を知らせるチャイムの音が響く。先生は何かに気づいたような顔をした。私もそのとき気づいた。慌てて窓を閉め、カーテンを引く。


 サボっていたの、ばれちゃった。


 目当てのものは見つからないままだったけれど、急いで戸締まりをすると図書室を後にした。 

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