4 卒業式、前日②

***




 少し先の障害物を照らし切れないほど広い間隔に配されている街灯の意味を疑いつつため息をつけば目の前には先ほどまで私が睨みつけていた顔。


「何でここに……?」


「車で追いかけてきたんです。間に合ってよかった」


 私の自宅は駅から少し離れているのでタイミング次第では車の方が早く着く。最寄りのコインパーキングから五分くらいの距離を全力で走ってきてくれたのかもしれない。少し乱れた髪と熱っぽい息が学校では見せないプライベートを想像させる。そこに小さな喜びを感じてしまう自分に気づき嫌悪感に襲われた。


「何かご用ですか」


 その姿を見つけ、つい留めおいてしまった足は仕方がない。街灯と街灯のちょうど中間、一番暗く、よほど近寄らなければ多少の機微は分かるまいと思える場所だったのはきっとついていた。


「謝りたくて」


 その一言に唇を噛む。予想通りの言葉は、しかし一番欲しい言葉ではなかった。耳たぶを耳で弄びながら私は短く言葉を放つ。


「別に気にしていませんから」


 嘘ばっかり。


 自嘲する私を先生は何を思って見下ろすのだろう。少し緩められたネクタイの隙間から覗く肌を睨みつけ口元をあげた私を。


「佐倉さん」


 ああ、また。


 こちらからは絶対に触れられないと思った骨張った大きな手が私の頬を掠め、再び先生の元に戻り、そして握りしめられた。


「僕が悪かったんです」


 体温を伝えるでもなく、ただ微かに触れるだけ。それだけのことが胸を掻きむしりたくなるような狂おしさを生み出していく。


「抱きしめる勇気もない人に謝られたってどうにもなりません」


 あの日、のばされた指は私の頬を掠めた後、先生の髪を乱暴に踊らせた。


「教師と生徒の距離じゃなかったですね」


 戸惑ったように放たれたその一言の意味に気づかないほどに浅はかではなかった。触れたいのに触れることができない。そんな切なさを私は知っている。


 気づかない振りをしたのは先生のためだった。


「やっぱり分かっていたんですね」


 小さく囁くように紡ぎ出された低音。それに返事はしなかった。


「失礼します」


 先生の顔も見ず足を踏み出す。追いかけてこないことは分かっていた。


「……また明日」


 絞り出すような声を背中に受けながらも後ろは振り返らなかった。

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