かつては医師だった。

2018年11月22日に練習で書いたショートショート。

長編の冒頭のようなものなので、SSとは言えないかも。




 政府が用意してくれた部屋は随分と贅沢なもので、僕がまだ正式に医者をやっていたときと比べても、もしや今の方がリッチなのではと思えるほど、無駄が多い――豪華だった。


 ただその代わり、この部屋は地下にあるため景色は眺められないし、地上からここへ来るには自分の高度を下げなければならないことから、感覚的には裕福人とは程遠いものと言えた。けれどそんなものも、今の僕にとっては心底どうでもいい。むしろ地下という環境は、社会に胸を張って出られない今の現状を考慮して考えてみると、とても親切のように思えてくる。


 一人で使うには広すぎるこの部屋は、地下であるという暗さをカバーするためのなのか、やたらと派手な家具ばかりが揃えられている。例えば色が明るすぎたり、装飾が邪魔だったり、ライトが色々なものを照らしすぎたりしている。


 とはいえ、もうここに住み始めてから一週間ほど経っており、そろそろ慣れがきはじめていた。


 僕は部屋に入る前、外の廊下のポスト(のようなもの)の中に入っていた新聞を取って、一直線に書斎へ引き篭もった。つやつやのデスクに新聞を放り投げると、ふかふかのチェアに腰掛け、背もたれに体重を預けた。それだけで、疲労が少し飛んでいった。


 ちょうど、政府の人間から仕事内容の説明を受けに行っていたのだ。聞いた限りでは、メールでも十分に伝わる内容だったと思う。なぜ召集したのかと文句が出そうだった。


 日本には、政府が秘匿にしている島があり、それを「朧島」という。島自体を濃い霧が覆っており、島だということが認知されないらしく、加えて、衛生写真で見たとしてもぼんやりとモヤが掛かっており、誰にも認識されないのだという。


 その島が秘匿とされている理由は、「勝手に人が消える」という、神隠しのような現象が確認されているからしい。馬鹿らしくて説明中に思わず口をぽかんと開けてしまったが、資料を見るとすぐに真実だと分かる。


 日本では対象者以外の親族が承諾することで、その人物を死んだことにできる制度が存在する。前々からとんでもないとは思っていたが、どうやら追放された人物はこの島に飛ばされていたらしく、この現象を解明するためのいわばモルモットという扱いになるらしい。けれどもあくまで観察なので、追放者同士で普通に生活をしているとのこと。


 僕は、その島に定期的に派遣される医師として、政府からスカウトされたのだ。


 その島に入っている間は、いつ消えてもおかしくない。


 言ってみれば死を承知で、僕は仕事を請け負ったのだ。


 あてがわれた部屋がやたらと豪華なのも、死に目が近いという理由が大きいのだろうと推測する。けれどこんな部屋に税金を使うぐらいなら、もっと医療に金を回せと軽い憤りを感じるのが僕という人間だった。医師界には二度と戻れないというのに、なんと傲慢なことだろうかと自分で思う。


 色々と考えていたら何だかやけに疲れてしまったので、高級なベッドに一度横になろうとしたのだが、突然部屋の天井にあるスピーカーからシンプルな警告音が流れ、僕は動きを止めることになった。


 この音は政府から指令が下るときに入るアナウンスだ。流石にもう覚えた。


 さっき説明会を終えたばかりだというのに、今度は一体なんなのだろう。


『白井英徳、起きているか』


 スピーカーから男性の声が響く。


 この部屋のどこかにマイクが設置されているらしく、こちらの声も届く。通話である。


「起きている」


『突然で申し訳ないが、至急飛んでもらうことになった。朧島に急患が現れたのだ。離陸は十五分後になる。初の仕事だとは思うが、急げよ』


 一方的な内容の通話でも、不思議と腹は立たなかった。最近、感情がどんどん削ぎ落とされていっているような気がする。何に、だろう。政府だろうか。よくわからない。


 椅子からしぶしぶ立ち上がり、部屋を出て、玄関の扉を開けると、そのまま足早にヘリポートへ向かった。


 僕は白井英徳。医者だった人間だ。今はもう、医師ではない。誇りも捨てた。


 数週間前に医療ミスを起こし、表社会から逃げるように姿を消した、罪深い男なのだ。


 この分析は自分でも、なかなかに正確だ、と素直に思った。


 素直な部分なんて、もうそれくらいしか残っていないのだ。


 ふと、そんな人間に治療される朧島の人々は、なんと不幸なことなのだろうと思った。


 自虐的に笑おうとしたが、表情が動かなかった。感情が無くなっていけば、顔も動かなくなっていく。当たり前のことだ。


 気付けばヘリポートに繋がる扉の前に立っていた。プロペラとエンジンの音がここでも非常に喧しい。アイドリングで待機しているのだ。


 もう二度と帰ってこられない覚悟をさらっと済ませて、僕は躊躇い無くドアノブを捻った。


 音が一層大きくなり、開けたドアの隙間から強風が流れ込んできた。


 それは、とても生温かいものだった。

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