第4話 気配
~6年後~
「おかえりなさい紅蓮。今日も勝ったみたいでほっとしたわ。って、手! どうしたの!?」
屋敷に戻り、温かく迎え入れてくれたミーシアが紅蓮の右手を見て青ざめる。
紅蓮は血だらけの包帯で雑に治療された手を持ち上げて、他人事のように「ああこれか」と掲げて見せた。
「魔法を殴ったらこうなった。まだまだ修行が足りないな」
「魔法を殴った!? 馬鹿じゃないの!?」
毎度のことながらこの男は何でこう、自分の怪我に無頓着なのだろう。
ミーシアは「ああもう!」と耳を逆立てる。
「おやおや、私にはお帰りの挨拶はないのかい?」
「あ! 失礼いたしました。バーラット様」
楽しそうに後から入ってきたバーラットに気づき、慌ててお辞儀をする。
「いいよいいよ。ミーシアは紅蓮のこととなるといつも怒ってばかりだからね」
「紅蓮が非常識だからです。もう6年もこっちにいるんだから、いい加減慣れてほしいのですが」
ジト目で紅蓮を見るが、紅蓮の表情は変わらない。長く一緒に住んできて分かったことだが、紅蓮はとにかく表情に乏しい。とはいえ、何も考えていないわけではなく、単に顔に出にくいだけだとミーシアは理解していた。
「彼の場合は往来の性格だから無理だろうね」
「すまない」
「謝るんだったらもうちょっと大人しくしていてほしいわね。ほら、手を見せて」
そう言って、ミーシアは紅蓮の手を取る。
両手で包むように紅蓮の右手を握ると、ミーシアは紅蓮には聞き取れないほど小声で詠唱を唱える。すると、包んでいた手が詠唱に合わせてほんのりと白く光りだした。
ミーシアはこの5年間で回復魔法を習得していた。あまりに過酷な練習をしてボロボロになって帰ってくる紅蓮を見かねて、というのが本人の談である。
「……中指の基節骨の不全骨折。筋肉は問題ないみたいだけど、裂傷が酷いわね。貴方じゃなかったら右手がなくなってたんじゃないかしら」
「治るだろ?」
「私がいなかった大変だったわね」
まったく疑った様子もなく尋ねる紅蓮に、おどけて答えてみせるミーシア。
「すっかりこの光景も見慣れたものになったね」
そんな光景を、バーラットが踊り場の階段に腰掛けながら肘をついて、生暖かい眼で見つめていた。
「最初のころは、こんなやつ置いておけないってギャーギャー騒いでいたというのに」
「当たり前です。バーラット様には警戒心というものが欠如しています」
はははと笑って誤魔化すバーラット。自覚はあるらしい。
「まあともあれ、これで紅蓮君は20勝。しかも無敗。実に素晴らしい戦績だ。私もオーナーとして鼻が高いよ」
紅蓮は静かに頷きながら、「ありがとうございます」と答える。
魔闘士にとって、20勝とは一つの登竜門となる数字である。
上位3位である
あの日、スパルティアの戦いに、魔闘士の戦いに魅せられてから早6年。これまで、紅蓮はかつての世界ですら経験しなかったほどの過酷な練習を重ねてきた。魔法の才能はなかったが、むしろそれでよかったと紅蓮は考えている。おかげで自分は、寄り道せずに全力で持ち味を磨くことができた。
魔法を卑怯だとは思わない。この世界では魔法を使えるのが普通なのだ。ならばそれに目くじらを立てるのはあまりに不毛である。使えない。それを認めたうえで、なお挑む。ちなみに武器を使わないのは、使わない方が強いからという理由である。使った方が強くなれるのなら使う。ルールに違反していないのなら問題のない形で最強を目指す。それが紅蓮の考え方だった。
「次の試合は1か月後になるだろうね」
「む、そうか。だいぶ時間が空くのだな」
「ちょうどいいじゃない。久しぶりにゆっくり休んだらどう? このところずっと連戦だったし、疲れもたまってるんじゃない?」
治療が終わり、ミーシアが手を放す。血も止まり、折れていた中指の骨もしっかりとくっついている。何度か握ったり開いたりを繰り返してみるが、特に痛みもなかった。
「大したものだな。俺の世界ではこのレベルの傷は治すのに1か月はかかった」
「もっと感謝しなさい。簡単にやってるように見えるけど実際はすごく難しいんだから」
「そうそう。ミーシアの愛情の賜物だからね」
「あ、愛情とか、別にそういうのではありません!」
ミーシアが顔を真っ赤にしながらバーラットの軽口に反論する。
事実、回復魔法は魔法の中でも最も難しいジャンルだと言われている。その理由は一つ、深い人体理解を必要とするからだ。
人間の構造がどうなっているのか、骨は、筋肉は、神経は、内臓は、どういう構造で、どういう役割をしているのか。元の世界の医者にも引けを足らない知識がなければ、回復魔法というのは成立しない。
ミーシアが紅蓮の鍛錬する姿を見てきたように、紅蓮もまたミーシアがどれだけ苦労してこの魔法を会得したのかを今までずっと見てきた。だからこそ、その努力が、この力がいかに貴重であるかを紅蓮もまた理解していた。
「ありがとう。ミーシア。いつも感謝している」
「う、そ、そう。ならいいけど」
「さあ、いちゃつくのはそこまでだよ若人たち」
「い、いちゃついてなんかいません!」
栗色の尻尾を逆立てて否定するミーシアを無視して、バーラットはパンと手を叩いて立ち上がる。
「せっかくの記念すべき日だ! 屋敷を上げて盛大にお祝いをしようじゃないか! ミーシア、準備はできているかい?」
「はい。バーラット様。つつがなく用意してあります」
ミーシアが恭しく礼をするが、一方で、当の本人である紅蓮は戸惑っていた。
「いいのか? 自分で言うのも難だが、俺は奴隷だ。奴隷を祝うというのは貴族としての面子がたたないのではないか?」
「面子なんか10年以上前に猫に咥えて持ってかれてしまったよ。なに、私はもともと変わり者で通っている。変わり者が変わったことをやっているとしか思われないさ。世間の風評は大いに活用しなければね」
気にした様子もなく、「さあ、行こうじゃないか!」と意気揚々に階段を上がるバーラット。
あまりに普通に扱われているために時々忘れそうになるが、紅蓮もミーシアも立場はバーラットの奴隷である。彼らがまるで普通の人のように扱われているのは、偏にバーラットが変わり者であるが故だった。
「どうしたの?」
その痩せているが、あまりに広い背中を見上げる紅蓮の顔を覗き込み、ミーシアが問う。
「いや、何から何まで世話になりっぱなしだと思ってな」
淡々とした口調で、だがどこか噛み締めるように、紅蓮は答えた。
そんな素直な彼の言葉に、ミーシアは少しだけ目を細めて微笑んだ。
「……そうね。本当にその通りだわ」
「おい、君たち! いつまで乳繰り合っているんだ! 食事が冷めてしまうだろう!」
踊り場からバーラットが杖を振って二人を呼ぶ。
「乳繰り合ってなんかいません!」
「……ああ、すぐに行く」
ミーシアは動揺しながら、紅蓮は笑みを浮かべながら、バーラットの後を追った。
——……なんだ?
階段に足をかけたところで強烈な違和感に気づき、紅蓮は振り返る。
ミーシアも紅蓮の様子がおかしいことに気づいて、不思議そうな顔で訊ねた。
「どうかしたの?」
「玄関の向こうで何かの気配がした」
「気配? どういうこと?」
「わからない。少し見てくる」
そういうと、紅蓮は一人玄関の方へ戻っていき、慎重にドアを開ける。
誰の姿もない。いつも通りの平穏な玄関先が広がっていた。
臨戦態勢をとったまま、注意深く外に出てあたりを見回してみるが、人がいたような気配も痕跡もない。
「紅蓮、大丈夫?」
ミーシアが寄ってきて、不安そうに訊ねる。
「……ああ、大丈夫。気のせいだったみたいだ。闘いの後でまだ気が張っていたらしい」
紅蓮は胸に燻る違和感を拭えないまま、ゆっくりと玄関を締め、屋敷の中へ戻っていった。
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