5

 それから聖は、一向に衝立の向こうから出てこない。

 内側から鍵も掛けられた。


 こうなってしまっては、今日、人がいる内には出てこない。


 いい加減に空も暗くなり、正門も閉まる時間に差し迫っている。


 勇次達は「先に帰るね」と、気を聞かせて退散した。

 重い足取りで、この日も帰路についた。


 正門を出て少し先のコンビニに立ち寄ると、会いたくもない人物に遭遇してしまった。

 姿が見えなければ入らなかったのだろうが、あいにく、彼はトイレから出てきて具合良く勇次と鉢合わせた。


「お、勇次。今帰りか?」


「……うん」


「途中まで帰るか?」


「……うん」


 明白に嫌そうな顔をしたのだが、劉生は気にも留めなかった。


 飲み物とチキンを買い、食欲も進まないが、それを食べている人になりたくてゆっくり口に含みながら歩いた。


「聖は、どうだった?」


「……最悪」


「最悪か。とは言っても、こっちも最悪だったよ。叫びまわって目に付く物に全部当たってく。いい加減、聖を説得できないか? 毎日毎日、押さえつけるのが大変なんだよ」


 耳が熱くなる。


 まるで、美紀を自分の物のように言う。これっぽっちも制御なんか出来ていないくせに……。


 憤りが一寸体を過ったが、お茶を濯いで冷却した。


 言い返してみたところで、聖を持て余しているのは、勇次も同じだった。


「こっちだって、大変なんだよ」


「大変じゃないだろ? 部屋に籠って出てこなくなるだけだ。こっちのアレは、爪を立てて引っ掻いてくるんだぞ。落ち着かせようにも、全然止まらねぇ」


 彼の話は、常々自慢話に聞こえた。


 昔からそうだった。

 野儀と出会ったのは、中学に入学してすぐだった。

 親がどちらも警察官であり、互いに警察官になる夢を持っていた。


 ただ、彼はバリバリの体育会系で、剣道部と柔道部を掛け持ちで行っていた。


 一方勇次はがり勉であり、同じ名門校とは言え幼稚舎からこの学校に所属している。その中で、学年一位も何度か取ったことがあった。


 また、親の階級も違っていた。


 彼の父は現場の人間、勇次の父は官僚だった。

 野儀は現場に出る事に拘ったし、勇次も組織を内部から変える! 

 と息巻き、当時流行っていたドラマの真似も度々やっていた。勿論、勇次がキャリア官僚の悪役だった。


 そう、あれは、悪役だった。


 当時は不自然に思わなかったものの、後にあれはそう仕向けられていたと悟った。

 ドラマの真似が始まると、必ず野儀の周囲に諸葛警官が溢れ、彼を主人公にする。

 有名な台詞も全て彼のものであり、最も賑わうのも、彼の出番だった。

 勇次など「キャリア官僚の息子」というだけで当てがわれたカカシに過ぎなかった。


 そんな事に、五年間も気づかなかった。


 高校二年の夏、勇次は彼の野心に気が付いた。


「劉生は、キャリアになるんだってさ」


 姉、正子からのリークだった。

 たまたま彼の家に遊びに行ったところ、海外留学から一時帰国していた正子が、そう教えてくれた。そういえば、あれが正子との初対面だった。


 丁度その頃、劉生の成績は目を見張る勢いで伸びていた。それまでの彼は、名門校という事もあり、一般的に見れば好成績ではあったが、この大学に志望するような生徒では無かった。

 

 この大学の判定はBだっただろうし、滑り止めの有名私立に入る程度だ。


 しかし一年も経った頃には、全国模試を総なめするほど学力を伸ばし、剣道、柔道共に全国大会に出場するようなモンスターとなっていた。

 

 最早、この学校で彼を無視できる生徒など存在せず、名実共に生徒の顔となった。


 そして入試の日の朝、彼は勇次に告げた。


「俺も、官僚になる。一緒に、日本を変えようぜ」


 野心にまみれた獣。


 高々成績が良いくらいで粋がる小童。


 品格が無い。


 そんな人間が、日本を変えられるはずがない。清く正しくがモットーだ。

 誠実さと謙虚さを失った人間に、日本国民の上に立つ資格はない。そんな態度では、必ず国民に見限られる。


 所詮は、ノンキャリアの息子だ。


 それ以来、勇次は劉生との距離を置くようになった。


 目の留まる場所に居座られるのが、無償に腹立たしかった。


 彼もこの大学に入学してしまった以上、奴が来そうにない場所へ行きたかった。無論、新生活の場での伝手などなく、仕方なく、野儀家、姉の正子のいるサークルに入部した。


 そう、これは、仕方く……だった。


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