4
「私の台本、いつできるの!」
勇次、部員達は瞬間的に感じた。
まずい。
聖の視線が、今にも殴り掛からんとする息吹を宿していた。
聖が椅子から立ち上がると、誰も彼もが静止の言葉をかけようと準備した。
だが、
「聖! 待て!」
怒号のような大きな声は、勇次の背後、鉄扉から入室してきた。
勇次の良く知る、知りすぎている声。
勇次は、振り返りもせずに言った。
「劉生……、来る前にどうにかしてくれよ」
「悪い、勇次」
勇次の横を通り過ぎた男は、頭一つ背が高く、長袖のシャツからも見て取れるほど筋肉質であった。短髪をワックスで仕立て上げ、健康的に肌も焼けている。
一見すれば格闘家のようにも見え、実質、ボクシング部の期待のエースである。
かつ、法学部の学年首席。学生中央委員会という学校組織にも属しており、また近年では動画投稿サイトでも人気を博している。文科系と思われがちなこの学校において、貴重すぎる体育会系イケメン。
野儀
部員達など無視して、劉生も部屋の真ん中に歩む。美紀の隣へ行くと、手を前に出して静止した。
「行くなら、アポは取れ。礼儀だろ」
美紀は眉根を上げて叫んだ。
「うるさい! なんでアポなんか必要なの? 私は、同じ学生として会いに来てるのよ! どこかの雑誌社の回し者じゃない! 同級生として、ここに来たの。友達として!」
聖が睨みつつ即答した。
「貴女の友達の定義は知らないけど、私の定義では、貴女は他人。営利目的ではないにしろ、他人なら、礼儀としてアポくらい取るべき。そもそも『私の為に演劇の脚本を書け』という強要は、営利目的と捉えられる。それなりの金くらい持参してから来い。馬鹿野郎」
美紀は息巻く。
「金? あぁ、そう。金が欲しかったの? そんなものでいいなら、幾らでも上げるわよ。幾ら欲しいのよ!」
「一兆円」
「はいはい。分かったわ。じゃあ、私が演じた舞台で一兆円稼ぐわ。だから、一兆円稼げる脚本を書いて。それでいいね」
「いいわけない。着手金について言っている。全額前払い」
「あっそ。分かった。じゃあ、一兆円入金できる口座を教えてくれない? そんな口座を、貴女が個人で持っていればの話だけど」
聖は似顔絵を書いていた紙の端を破り、口座番号を書いた。
「ここ。次来る時には、入金してからにして。じゃあ、宜しく」
紙を受け取った瞬間、美紀は携帯電話を操作し、即座に嘆息した。
「はい、無理でした。振込限度額は三百万円でした。あんたこそ、スイス銀行にでも口座開設してから出直しなさい」
聖はむっと顔を顰め、拳の握りが強くなった。
頃合いだ。
勇次は美紀の背後に近づき、
「もう、止めなよ」
と、携帯電話を握る手を取った。
美紀は勇次を睨めつけた。
「何? あなたが、一兆円を肩代わりしてくれるの? それとも、それに見合う働きをしてくれるの? どちらでも無いなら、この手を離して」
美紀と聖。どちらも知能指数は極めて高いのだが、方向性が異なっている。
聖の頭脳は博識と言ってよい。知識を集積し、編纂し、巨大な論理構築を作るタイプ。
引き換え、美紀は単純に頭の回転が速い。このような化かし合いでは百戦錬磨であり、言葉のチョイスも、論理転換も異常に速い。
じっくり考え作り上げる作家と、即興を生業とする演者の違いが顕著に見て取れる。
口論では、聖が美紀に勝てる見込みは無い。
それに……。
後援会の部員達は、誰もが美紀に視線を合わせないようにしている。
幾ら聖が著名人とは言え、校内では分が悪い。
夏目美紀は、学内随一のトップスター。ここでの反逆は、ここ以外の場での反感に直結する。
故に勇次もまた、美紀から手を離すしかなかった。
「あのさ、依頼してから半年も経ってるのよ。
貴女の言った『私に釣り合う著名人になれ』って項目も、『私が書くに値する舞台を用意しろ』だって、今の私は容易にできるの。そうなれるように、必死で努力したの。簡単な事じゃなかったよ。
……で、さ……その解答が『一兆円よこせ』って……。なんか、ダサイんじゃない?
そんな解答しか無いのなら、別に、それでいいけど」
美紀は踵を返し、「じゃ、また明日ね」と部屋を出て行った。
劉生は静かにため息を吐き、
「言い分は、美紀もあるんだよ……。ごめんな」
と言って、美紀の後を追った。
二人が退散しても、誰一人顔を上げれず、沈黙が続いた。
パン!
と手を打って「はい、終わり!」と空気を換えたのは、聖だった。
「あんな扇動者に惑わされない。私が言ったから有名人になった。私が言ったから舞台を作った。私が言ったから金を出した。たったの半年足らずで、そんな都合の良い結果が出続けるはずがない。
結果と原因は、いつだって一方通行。
結果から、原因にしかベクトルは流れない。つまり、原因なんか、いくらでも創造できる。
それでも私が負けていると思うのなら、それは、権力に屈したという事」
聖もまた机に背を向け、パーテーションに戻っていった。
長々と台詞を連ねたが、勝ち負けをつけるのならば、きっと負けていた。
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