第26話 荒城の月


 俺は早々に朝食を済ませ、兄の部屋の前で兄を待った。


「エナリオ。どうしたんだ? こんなところで」


 自室に戻ってきた兄が俺の顔を見て驚く。


「いえ、ちょっと」


 ジェスチャーで部屋の中を示すと、何かを察した兄は辺りを伺ってから部屋の中に俺を招き入れた。


「……フィリスさんは?」


 俺の問いに、兄が小さく首を横に振る。


「どこかに捕われているはずなんだ。しかし、その場所が……」

「兄さん、これを」


 俺は懐から地図を出して、兄に手渡した。


「これは……?」

「恐らく、その印の場所にフィリスさんは監禁されています」

「……! なんでそんな事が──」

「独自に調べました。確実かは分かりませんが、ほぼ間違いないでしょう。今夜、僕が敵の規模や装備を調査してきます。救出は明日の夜……。どうでしょう?」

「エナリオ……。お前、一体……」

「兄さんには、いつも助けてもらってばかりでした。だから、今度は僕が兄さんを助ける番です」


 俺はそう言い残すと、言葉を失った兄を背に部屋を辞した。

 正直、俺一人で救出に向かうか迷ったところではある。

 しかし、その名誉の為にも、今回は兄に先頭に立ってもらうしかないのだ。

 もはや隠すべくもない。俺は、俺の母親を殺したあの女……ローズに屈することはしないと心に決めた。

 日が暮れるまで、俺はまだ見ぬ妹の事を考えて過ごした。


   ◆


 またしても、晩餐に兄は姿を表さなかった。

 その時に感じた嫌な予感は、自室に現れたリアナの言葉で確信に変わった。


「ソーン殿が屋敷を出ました」

「……兄さん……」


 小さく息をつく。

 兄の性格を考えるとそうするだろう。誰かの手を借りようなどと思わないはずだ。

 俺は手早く皮の胸当てを身に着け、準備を済ませた。


「リアナ、お前はローズを監視しておいてくれ」

「また御留守番ですか」

「必要になったら呼ぶよ」


 無表情でふてくされるリアナに苦笑しつつ、俺は窓枠に足をかけて一気に夜空へと飛び出した。

 大きな月が見下ろしている。

 屋敷から廃棄砦まで馬の足で小一時間といったところか。

 兄が屋敷を出たのがどれほど前か分からないが、すぐに追いつくだろう。

 大きく跳躍して、水流のジェットを展開。

 夜空を貫いて飛翔した俺は、ものの十分ほどで月明かりに浮かび上がる小砦を発見した。

 所々に焚かれた篝火が何者かの存在を示している。

 俺は蔦に覆われた砦の、崩れかけた尖塔の上に降り立った。


「……! 兄上!」


 眼下に、馬から降りて中の様子を探るソーンの姿を発見した。

 砦の周囲に気配は無い。

 ソーンは剣を抜くと、砦の中に影のように走り込んでいった。


「まずいな。中にどれくらいの戦力があるか……」


 普段だったらソーンも入念に調べ、きちんとした作戦を立てて行動するだろう。

 しかし、今捕らえられているのは自分の恋人だ、正常な判断力を失っていてもおかしくない。

 俺は小さく舌打ちすると、尖塔から砦内部に侵入した。


「何だテメ──ぐおっ!?」


 鉢合わせた野盗をボディブロウで昏倒させる。

 野盗は抜きかけた剣を取り落して倒れ込んだ。


「……一人か。ん? 妙だな」


 野盗の身なりを見て、俺は眉をひそめた。

 野盗にしては妙に良い剣と胸当てを装備している。


「あの女、そこまでやるか」


 ローズから、金か装備の支給を受けているのだろう。

 だとすると、人数も生半可なものでは無さそうだ。

 俺は城壁から、草の生い茂る中庭へ飛びおりた。

 その時──


「来やがったぞ! 囲め! 囲め!!」


 男たちの怒声が騒然と響いた。

 一瞬、見つかったかと思ったが、声は砦内部からだ。

 金属のぶつかり合う音も聞こえてくる。


「フィリス! フィリスをどこに隠した!?」


 焦燥の滲む兄の声が聞こえてきた。


「早まったか……!」


 俺は腐った裏口の木戸を蹴破って内部に突入、音の聞こえてくる中央のフロアへ走った。

 石造りの砦内部は複雑な構造になっていて、俺は音に導かれるまま角を曲がり、階段を登った。

 細い通路はジメジメと暗く、兄と野盗たちの戦う音がめちゃくちゃに反響してくる。

 前方に見えた木戸の隙間から光が漏れていた。

 速やかに蹴り壊して突入した先は、中央の広いフロアを見下ろす回廊だった。

 眼下は、まさに阿鼻叫喚のるつぼと化している。


「怯むんじゃねぇ! 相手は一人だ!」


 野盗たちの総数は30以上。完全にソーンを取り囲んでいた。

 しかし、ソーンの実力も並ではない。

 〈戦士〉の〈アーツ〉を駆使し、一刀の元に野盗たちを切り捨てていく。

 と、その時、俺は回廊上からソーンを狙う弓兵の存在に気がついた。

 ぎりぎりと引き絞られた矢が、今にも放たれようとしている。


「間に合えッ……!」


 意識を集中。発生させた雷撃が弓兵を撃つ。


「がっ……!?」


 びくん、と身体を痙攣させ、矢が明後日の方向に飛んでいった。

 同時に、俺は弾丸のように飛び出し、弓兵の横っ面に飛び回し蹴りをかます。


「ぐえ!?」


 紙細工のように吹き飛んだ弓兵が、下のフロアへと落ちていく。

 ぐしゃ、という嫌な音。この高さは、恐らく助からないだろう。


「な、なんだあのガキは……!?」


 野盗の首領らしき大男が俺を見上げて叫ぶ。


「エナリオ!? うあっ──!」


 ソーンが驚いて俺を見上げ、その隙に剣を弾き飛ばされた。

 一瞬のうちに羽交い締めにされ、床に押し付けられる。


「兄さん……!」


 俺が叫ぶと同時に、回廊の左右から武装した野盗たちが俺を挟み込んだ。


「お前、弟か。クク……。こりゃ、手間がはぶけたぜ」


 首領は言いながら奥の部屋に消えると、縄で縛られたフィリスを連れて戻ってきた。

 野盗たちが口笛を鳴らして歓声を上げる。


「フィリ──ス!!」


 ソーンが悲痛な叫び声を上げる。


「ソーン様! ごめんなさい……! 私のせいでこんなことに……!」


 フィリスの瞳から大粒の涙が次々と溢れた。


「何を言うんだフィリス! 君のせいでは──ぐっ!」


 床に押し付けられ苦悶の声を上げるソーン。


「そんなお涙頂戴ゴッコやってる場合じゃないんだよ、坊っちゃん。え?」


 野盗の一人が剣の腹でソーンの頬を叩きながら言う。

 ソーンは、たちまち縄でがんじがらめにされて床に転がされてしまった。


「おい、そっちのガキを捕まえとけ。まだ殺すんじゃねぇぞ」


 首領の指令で、俺は野盗に両腕を抱えられた。


「暴れたらへし折るぜ」


 武器も持っていない十歳の子供だ。完全に舐めている。


「さて、その坊っちゃんをる前に、お楽しみタイムと行こうか」


 首領がそう言って下卑た笑いを上げた。野盗たちが一際興奮した様子で手を叩く。

 首領はおもむろにフィリスの衣服に手を掛けると、力任せに引きちぎった。

 フィリスの甲高い悲鳴が響き、白い肌があらわになる。


「やめろ……! やめろぉぉぉ!!」

「うるせぇ、雑魚が!」


 ソーンが顔面を蹴りつけられてのたうち回る。

 フィリスはキッと首領を睨みつけ、


「この卑怯者! あなたたちには必ず神の裁きが下ります……! 犬畜生にも劣る卑怯者だわ──きゃあっ!」


 気丈に言い放つやいなや、首領の平手に頬を打たれ床に転がった。


「ごちゃごちゃうるせぇんだよ」


 首領がベルト代わりの革紐を解きながら言う。野党たちが口笛を鳴らした。

 俺は怒りに顔面から血の気が引いていくのを感じていた。


「おい」


 ゆっくりと立ち上がる。屈強な野党二人がかりで俺を拘束しているが、その膂力など微塵も感じない。


「て、てめ──なんだこの力ぁ!?」


 一歩、二歩、と歩き出すたびに野党がずるずると引きずられていく。


「何やってやがる。足を切っちまえ足を」


 首領が呆れたような声で部下に指図する。

 誰かが振った半月刀が、俺の膝めがけて迫った。


「エナリオ……!」


 ソーンの声。


 ──どつっ。


 鈍い音が響く。しかし、錆びかかった半月刀の刃は俺の皮膚に触れることすらなく、俺の全身を薄く覆う強固な水の被膜に阻まれていた。

 聖白銀の鎧よりも強固な水の防壁だ。


「どけよ」

「はぁ? ──ぎゃっ!?」


 俺が身体から発したスパークに、周囲の野党数人が弾き飛ばされる。


「超えちゃいけねぇラインを超えてるぜ、お前ら……」


 身体は冷たく、しかし体内を流れる血は燃えるように熱い。

 俺は拘束されたままのソーンとフィリスに目をやると、二人に雷電の結界を展開した。

 生み出された無数のエメラルド色のコアが、多角形の障壁を作り出す。


「あっ──ぎゃぁあああああ!?」


 フィリスを抱きすくめていた首領が悲鳴と共にフィリスを放してのたうち回る。

 その半身は電撃に焼かれ、皮膚が消失していた。

 それを見下ろしながら歩み寄ると、首領は肉が半分むき出しになった顔を引きつらせながら情けなく後ずさった。


「神槍〈トリアイナ〉!」

『ここに』


 リアナの声が脳内に響くと同時に、突き出した手の中に長大な槍が現れる。


「おま……なん……まっへくえ! ほんなつもりら……!」


 焼けただれた唇から命乞いを漏らす。


「……? ごめん、何言ってるか分かんないわ」


 神槍を床に勢いよく突き立てる。

 すると、突然大地が揺れ始め、地鳴りにも似た低い音が近づいてきた。


「エナ……リオ……」

「大丈夫です、兄上」


 倒れたまま朦朧と俺を見上げるソーンと、状況が呑み込めず呆然とするフィリスを一瞥する。

 直後、天地をひっくり返したような濁流が、俺と障壁に守られた二人以外の全て──城塞からなにからを砂城のように砕き押し流した。

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