第25話 本当の家族

 農地の片隅にある納屋の影で、レインはすでに俺のことを待っていた。


「遅いわよ」

「すみません、ちょっと毒殺されかかってたもので」

「はあ……? まぁ良いわ。それより、本題よ」


 俺たちは先日と同じベンチに腰掛けた。

 見渡す限り、辺りにひと気はない。


「分かりましたか?」


 俺が尋ねると、レインは得意げに人差し指を振った。


「わたしを誰だと思ってるのよ?」


 言いながら羊皮紙の切れ端を取り出す。


「……!」


 そこには簡単なこの辺りの地形が描かれており、その中、山中の一点に墨で×印が付けられていた。


「廃棄された昔の小砦よ。そこが連中のアジトってわけ」

「廃棄された砦……」

「拐った人間を監禁するなら、恐らくそこでしょうね」


 大まかな場所の情報が手に入ればラッキーだと思っていた程度だったが、まさか一晩で地図まで作成してくれるとは。

 予想以上にレインが有能なのか、あるいは……レインもその野盗連中の一味か。

 つまり、罠の可能性もある、ということだ。

 まぁ罠であろうと無かろうと、連中と接触できることに変わりはない。


「ありがとうございます」


 俺は地図を懐にしまうと、レインに頭を下げた。


「言っとくけど、わたしの役目はここまでよ? 地元のヤメ険連中と揉めたところでデメリットしか無いわ」

「大丈夫です。あとはこちらで何とかしますから……」

「なら良いけど……。アンタはまだ子供なんだから、自分でどうにかしようとしちゃだめよ?」


 心配そうに言う辺り、意外と優しいところもあるらしい。

 その後、二言三言交わしてから、俺は人目を忍びつつ屋敷への帰路についた。



 町を迂回して通れば、きっと母の手の者の目に付きづらいはずだ。

 農地を越え、西側にぐるりと回り込む。そこは背の高いブナの木が連なる林になっていた。

 人が往来した形跡もない。町の者もこの辺りにはあまり足を踏み入れる事が無いのだろう。

 葉のすっかり落ちた木々の間から差し込む日光が、落ち葉の絨毯を柔らかく照らしている。

 さくさくと落ち葉を踏みながら歩くと、清らかな空気が肺に満ちていく。なんとも清々しい場所だった。


「こんなところがあったんだな」


 少し歩くと小川に突き当たった。

 さらさらと流れる小川の流れを目で追う。するとその先には──


「……家?」


 木造の古い屋根が、木々の間から覗いていた。

 林の中に、まるで何かから隠れるようにひっそりと佇む家。

 俺は何かに引き寄せられるように、その家の方へと向かった。


「あのー。すいません」


 玄関口で声をかける。

 古い家だが、前庭も綺麗に掃き清められていて、無人の廃屋という感じでは無さそうだ。


「…………」


 しかし、中から返答は無い。

 何となくドアノブを捻ると、ドアは何の抵抗もなく開いた。


「……誰かいますか~?」


 俺は周囲をきょろきょろと見渡してから、おずおずと中に一歩踏み出した。

 中は思っていたよりも広い。

 広間の真ん中に切られた炉の火は消えており、家の中の空気は冷たかった。

 家具調度類は最低限の質素なものだが、丁寧に整えられている。


「あれは……」


 俺は奥の壁に掛けてあった一枚の肖像画に目を奪われ、無意識のうちに家の奥へと入っていた。

 微笑みを浮かべる四人家族が描かれた絵。

 中心には小さな赤子を抱いた女性が座り、その横には一、二歳ほどの男の子を抱いた立派な身なりの男性が描かれている。


「父上……?」


 その男性の顔は、今からは随分若いが、あまりにも見慣れた顔だった。

 間違いなく俺の父、バロルだ。

 ということは、この座っている女性は──!


「だ、誰ですか……!?」


 不意に後ろから叫び声が上がり、慌てて振り返る。

 絵に意識を奪われていて、まるで気が付かなかった。

 そこには、初老の男性が農具を武器のようにこちらに向けて、警戒心丸出しで立っていた。


「あ、すいません! 呼んでも返事がなかったので……!」


 俺は慌てて謝罪すると、両手を上げてゆっくりと男性の方に近づいた。

 すると、男性の顔が徐々に驚きに変わっていく。


「その灰色の髪……。もしや……エナリオ様……?」

「何で僕のことを!?」


 今度はこちらが驚く番だった。

 あの絵の父が抱く灰色の髪の子供は、やはり俺だったんだ。


「ああ、エナリオ様……! ご立派になられて……!!」


 俺の足元にすがりつくように、男性が咽び泣く。


「一体この場所は……?」


 振り返って絵を見つめる。

 肖像の女性は、ただ穏やかな微笑で俺を見ていた。



 〈トマシ〉と名乗った男性は、沸かした湯で俺の分の茶を淹れてくれた。


「こんなものしかありませんが……」


 森で摘んだ野草を乾燥させたものだと言ったが、思いのほか味は悪くない。


「ああ、お懐かしゅうございますなぁ……」


 俺の顔を見ながら、しきりに涙を流す。


「あの……ここは?」


 俺が問うと、トマシは姿勢を正してゆっくりと頷いた。


「ここは、アナスターシャ様のお宅……だった・・・ところです」

「アナスターシャ……。あの肖像画の?」

「はい。エナリオ様。あなたの母上です」


 そうだろうと、確信に近いものを感じてはいた。

 しかし、はっきりと言われた瞬間、おかしな運命の流れに押し流されるように、俺の視界はぐわんぐわんと揺れた。


「母上が……ここに」


 トマシが大きく頷く。


「あなた様も、三歳になる直前まではここにいらっしゃったのですよ。覚えてはいらっしゃらないでしょうが……」


 美しい記憶を辿るように、トマシが部屋を見渡す。


「アナスターシャ様と、エナリオ様。そして、あなた様の妹にあたる、ミランディア様……。とても穏やかで、幸せな一時でした」

「妹……!? 僕に、妹がいるんですか!?」


 俺が思わず腰を浮かせて詰め寄ると、トマシは僅かに悲しげな表情をした。


「覚えていらっしゃらないのですね……。まだ小さかったし、それに……あまりにも辛い記憶です。無理もないかも知れません」


 エナリオの記憶からは、実の母親の事すらぽっかりと抜け落ちている。

 可怪しいとは思ったが、きっとエナリオが自分の心を守るために無意識に記憶をまるごと消去していたのかも知れない。


「何が……あったんですか?」


 恐る恐る聞くと、トマシは悲しげな表情のまま訥々とつとつと語りだした。


「嫡男であるリカルド様が七つになった頃……。バロル様とアナスターシャ様の間に、エナリオ様がお生まれになりました。バロル様とローズ様はもとより政略結婚。側室とは言え本当にアナスターシャ様を愛しておられたバロル様は、エナリオ様の誕生を心より喜んでおられました」


 遠い目をして話を続けていたトマシの眉間にシワが寄った。


「その頃からです。ローズ様からアナスターシャ様への圧力が強くなり始めたのは……。そのあまりに陰湿なやり口に、アナスターシャ様の精神は次第にぼろぼろになっていきました」


 あの女のことだ。相当な事をやっていじめ抜いただろうことは想像にかたくない。

 俺はふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら、トマシに先を促した。


「ローズ様の行動を真っ向から咎める事も出来ないバロル様は、アナスターシャ様をローズ様の目からかくまいました。それが、この家です。エナリオ様とアナスターシャ様。そしてアナスターシャ様に忠誠を誓ったこの私が、共にこの〈ブナ林の家〉に……。やがて、長女ミランディア様がお生まれになり、三人と私で静かに暮らしておりました」


 きっと、あの屋敷から離れた母は、慎ましくも幸せな時間をここで送ったのだろう。

 家に残った雰囲気が、それを物語っている。


「しかし、それすらもローズは……ローズ様は許さなかった……!」


 トマシが顔を両手で覆う。


「あの時、私が小川の水の異変にもっと早く気付いていれば……!」

「毒……ですね」


 赤い目でトマシが頷く。


「異変に気付いた私が慌てて止め、あなた様とミランディア様は水を口にすることはありませんでしたが、アナスターシャ様は……」


 今でも生々しく蘇るのだろう。トマシは、まるで昨日のことのように話した。


「その後、ずいぶん悩まれておられましたが、最終的にバロル様はエナリオ様を庶子として屋敷に戻しました。そして、まだ幼いミランディア様と私は、どこか遠くの街に身を移すようにと……」

「それじゃ、ここは……?」


 俺が問うと、トマシは頷いた。


「数年は無人でした。しかし、私と二人、北部の小村で貧しい暮らしをしていたミランディア様が五歳になる頃、自分が生まれた場所で暮らしたいと……。真剣に問いただされたとは言え、おつらい生い立ちの話をミランディア様にしてしまった私が悪うございました」


 それはどうだろうか。俺──エナリオのように、母親が死んだことすら知らず、事実からひたすら目を背け続けて生きていたよりも正しいのでは無いだろうか。


「荒れ果てた〈ブナ林の家〉を整備し、二人でひっそりと生活を始めました。バロル様すらご存知でないでしょう。自分の娘が、ここに戻ってきていた事を……。幸い、ローズ様も我々から関心を失っていたようでした」

「じゃあ、今も妹がここに……!?」


 何故か、心が沸き立つような気分だった。

 父以外では、最後の肉親だ。

 会いたい。シンプルに、そう強く思った。

 しかし、トマシは小さく首を横に振った。


「ミランディア様は……ここにはおりません」

「いない……? まさか──!」

「いえ、生きておられます」

「じゃあ、どこにいるんだよ!」


 思わず掴みかかりそうになる俺を、トマシはまっすぐ見つめた。


「ミランディア様は今……〈冒険者〉として、〈外地〉におられます」


 俺は床と天井が入れ替わったように平衡感覚を失って、よろめくように膝をついた。

 生き別れた妹。それが、今は冒険者に……。

 思考はぐるぐると廻って、一向にまとまりがつかなかった。

 それから、トマシと何を話したのか殆ど覚えていない。

 俺は、気がつけば屋敷で自室のベッドに横たわっていた。


   ◆


「やぁ、今日のご飯も美味しそうだ」


 その日の夜。食堂に現れた俺の爽やかな笑顔に、母は驚愕の表情を浮かべた。


「なんで……!」


 思わず背後のヨテフを振り返るが、ヨテフは『わかりません』とばかりに首を横に振るだけだった。


「いやぁ。あのお菓子、非常に美味しかったのでまたお願いします。あ、今度は物騒なもの・・・・・が入ってないといいなぁ」


 俺の凄絶な微笑に母の顔が青ざめる。

 横にいたリカルドがポカンとしたアホ面で俺と母を交互に見る。

 やはりというか、食堂に兄の姿は無かった。

 すでに〈王都の大宴〉は四日後。早めに動かなければ。

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