第24話 母の愛はスリップダメージ
晩餐の食卓に、ソーンの姿は無かった。
まだフィリスの事を探しているのだろうか。
「兄貴はどうしたんだよ?」
リカルドが父に尋ねると、父は首を横に振った。
「急用で出かけて行った。詳しくは分からんが……」
言いながらちらりと母を見る。恐らく、何かが起こっていることは薄々感づいているのだろう。
面と向かって言えない辺りが父らしいが。
母は、父と目を合わせることもなくナイフとフォークを動かしている。
と、不意に口を開いた。
「そういえば、エナリオ。ソーンと一緒に町に下りたみたいね」
これには、父も驚きの顔を見せる。
「そうなのか?」
「……はい。すみません。ちょっと、興味が湧いてしまって」
「いや、良い事だ。ソーンと一緒なら大丈夫だろうが、一人で出る時は護衛を付けるから言いなさい」
「はい。ありがとうございます」
父に頭を下げる。
「勘弁してくれよ。こんなのが家の関係者だなんてバレたら、恥ずかしくてオモテを歩けねぇよ」
「リック、ソースが付いてるわよ。ほら」
ちぎった黒パンを片手に吐き捨てるリカルドの口元を、母がナプキンで拭った。
見てられんね、この親子は。
「エナリオ。町は危ないから気を付けないとだめよ」
妙に優しい声で母が言う。
「……特に、水車小屋の辺りなんて市門の外だし、何があるか分からないわ」
「……!」
見ていたのか……!
いや、直接ではない。恐らく母の息がかかった人間が、町には多数いるのだろう。
絶句する俺をねっとりと観察しながら、母はさらに言葉を続けた。
「市門でソーンと別れた後は一人だったみたいだけど……どこに行ったのかしら?」
なるほど。路地裏に入ったところからは捕捉出来ていないらしい。
ならば、〈レイン〉の事も恐らく知られていないはず。
これは僥倖だ。
「少し町を散策しまして……。でも、すぐに屋敷に戻りました」
「……そう。そう言えば、通り沿いのパティスリーには行ったかしら? あそこのウーヴリはとても味がいいわ」
「いえ……。そうなんですね。次は行ってみようかな」
確かに通り沿いに菓子店があった気がする。ウーヴリは、この家でもたまに出る円錐形の焼き菓子だ。
しょっぱいし、別に美味かぁ無い。
「後で部屋に届けてあげるわ」
「え……! いや、そんな──」
「いらない? そんな寂しいこと言わないでちょうだい」
悲しげな微笑を浮かべる。
が、その裏に渦巻くどす黒いものを、俺は感じ取っていた。
「……いただきます。ありがとうございます」
俺が小さく頭を下げると、母は満足げに頷いて食事に戻った。
(いよいよ、俺の方にも本格的に動いてきたか……)
脳内で今後の動きを様々にシミュレートする。
咀嚼する料理の味など、まるで分からなかった。
自室に戻った俺は、リアナを前に思案にくれていた。
「マズいなー……。絶対入ってるだろ、毒」
「何を案じているのか分かりかねますね」
リアナがすました顔で言う。
「だって、さすがに直接持ってこられたら断れないだろ? お前に毒味してもらうことも出来ないし」
「でしたら、召しあがればよいかと。それに、食事の毒味などもう随分前からしておりませんよ?」
「ええっ!? オイオイ、安心してむしゃむしゃ食ってたぞ俺!」
俺が唖然とすると、リアナは何かに気がついたように『ぽん』と手を打った。
「あぁ、なるほど。エナリオ様はこの期に及んで、まだ毒殺などという手を警戒していらっしゃる」
「当たり前だろ!」
「今のあなたに、人間用の毒などなんの効果がありましょう。冥界王ハデスの鱗粉でも持ってこない限り、腹痛の一つも起こすことなど出来ません」
得意げに言う。
「ほんとに~……?」
「ですから、お試しになられるのが良いかと」
リアナが言いながら部屋の扉の方へ頭を下げる。
同時に、扉が空いて母付きの老執事ヨテフが入ってきた。
「失礼します」
銀のトレイを持って一礼するヨテフの後ろに付いて、母も姿を現す。
(来た来た。露骨に怪しいぞ、まったく……)
ヨテフが、トレイを覆っていた絹布を取ると、その下にはよく形の整ったウーヴリが乗っていた。
「あなた。お茶を用意してちょうだい」
母はリアナにそう命じると、部屋の真ん中に置いてあるテーブルに付いた。
「はい」
リアナが一礼して部屋を辞する。
扉前で振り返ると、意味深な微笑を浮かべて廊下へと消えていった。
「さ、お召し上がり」
母の指図で、ヨテフがテーブルにトレイを置く。
「…………」
もう逃れる術もない。俺はゴクリとつばを飲み込むと、ウーヴリを一つ手にとった。
母が僅かに頬を紅潮させながら俺を見ている。明らかに興奮している様子だ。
なんつーかアレなんだろう。もう天性のサドなんだろうな。
「どうしたの? 美味しいからお上がりなさい」
目を輝かせて催促してくる。
俺は観念すると、一口で食べるにはやや大きいウーヴリを一気に口に放り込んだ。
む……なかなか美味しい。
前に一度食べた時は甘みもへったくれもない油っぽいお菓子だと思っていたが、このウーヴリはしっとりかつ表面はサクサクと軽く、舌にわずかに感じる塩気とふくよかに広がる甘みが絶妙にマッチしている。
「これは……美味しいですね」
この世界でこんなものが食べれると思っていなかった俺は、つい素直に感想を言ってしまった。
「それは良かったわ」
母が満足げに頷く。
そこにティーセットの乗ったワゴンを押して、リアナが戻ってきた。
「お茶をお持ち致しました」
母と俺の分を手際よく注ぐ。
一口含むと、茶の芳醇な渋みとウーヴリの甘みが混ざり合い、恍惚とするような味わいが広がった。
俺が余韻を楽しんでいると、『事は済んだ』とばかりに母が立ち上がる。
「行くわよ、ヨテフ」
「は。奥様」
そそくさと立ち去っていった。
「なんじゃ、ありゃ……」
「せっかちな方ですね」
閉まった扉をリアナと二人でしばし眺める。
「というか、ほんとに毒なんか入ってたのか? 普通にわりと美味かったぞ」
不思議に思った俺は、窓を開けて、トレイに残ったウーヴリの欠片を窓枠に並べた。
すぐに小鳥がやってきてウーヴリをつつく。
飲み込んだ小鳥が飛び立とうとした時……小鳥は突然全身を痙攣させて、大地へと落下していった。
「うわぁ……」
俺は心底ゾッとしながら窓を閉めた。
毒の効果に、というより、こんな毒を子供に盛ろうとする人間がいることに、だ。
あの女は、本気だ。
こちらも覚悟を決めないといけないだろう。
と、その時、町の方から教会の鐘の音が響いてきた。
「もうそんな時間か」
レインとの待ち合わせの時間が近い。
「リアナ、行ってくる。一応、呼んだらすぐ来れるようにしといてくれ」
「いつも通りという事ですね。行ってらっしゃいませ」
深々と頭を下げるリアナを背に部屋を出る。
俺は極力家人に見つからないよう注意しつつ、屋敷の裏口から廻って町の方へと向かった。
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