第22話 城下へと下りる
夕食の席でも、ソーンはどこか上の空と言った感じだった。
「……ソーン、どうした。考え事か?」
ナイフとフォークを動かす手が止まっていたソーンに、父が話しかける。
「あ、いえ、すみません。ちょっと……」
「なんだよ、辛気臭ぇな。ただでさえイマイチな飯が余計まずくなるぜ」
リカルドが悪態をつく。
「やめてあげなさい、リック。ソーンも色々と悩みごとがあるのよ」
妙に上機嫌に母が言った。
その発言に、ソーンがピクッと反応する。
「……母上」
「なにかしら?」
「今朝、母上の執事ヨテフが町に下りていたようですが……何か頼まれたんですか?」
「答えなくてはいけないのかしら?」
しばし無言のまま、二人の視線がぶつかり合う。
「いえ……。何となく気になっただけですので」
「そう。……行商のところへ行ってもらったのよ。王都から
「そうですか。失礼致しました」
ソーンはそれきり沈黙すると、黙々と食事をとり始めた。
食事を終えた俺は、何となく気になって、俺の直前に退席したソーンの後を追った。
廊下の先に彼の背中が見える。どうやら自室には向かわないらしい。
向かう先は──
「母の部屋……?」
屋敷奥の、俺が以前盗み聞きをした部屋だ。
ソーンはノックをすると、部屋に入っていった。
「……むう……」
俺は扉の前で黙考した。
出来ればこのやり取りは確認しておきたいが、ソーン相手では扉を開けて盗み聞きも出来ないだろうし……。
「よし」
俺は思い立つと、母の部屋の隣室へと忍び込んだ。
この部屋は今はあまり使わない応接室だ。半分物置になっている。
保管用に麻布の掛けられたソファや、すっかりくすんでしまった銀の甲冑が静かに佇む薄暗い部屋だ。
俺は大型のキャビネットによじ登ると、天井の一部の板をグッとずらすように押し上げた。
ここの板だけ外れやすくなっていて、一階と二階の間の空間に入り込めるようになっているのだ。その空間は、母の部屋の上までつながっている。
屋敷内をこっそり探索していた時に見つけて覚えておいたのだが、こんな時に役に立とうとは……。
埃っぽい天井裏に忍び込む。
入る時はネズミやら虫だらけではないかと戦々恐々としたが、案外こざっぱりとして生き物の気配もなかった。
四つん這いのまま音を立てないように隣室方面へと移動する。
「この辺りでいいか」
聞き耳を立てるとソーンと母の会話が薄っすらと聴こえてきた。
指先に水流を展開。極小のウォーターカッターにして射出し、天井に小さな穴をあける。
覗き込むと、ソファに座る母と直立不動でそれを見下ろすソーンの二人の姿が見えた。
「──フィリスをどこにやったんですか」
低く押さえた声でソーンが問い詰めている。
「だから、何で私がそんな事を知っていると?」
「執事のヨテフが、水車小屋の周りをうろついているのを目撃してる人がいるんですよ」
「たかが執事の寄り道なんて、それこそ私の知ったことではないわ。そもそも、領主の子息ともあろう立場で、あんな下賤な水車小屋の娘なんかに熱を上げてる事がありえないわ。恥ずかしい。噂されるこちらの身にもなってちょうだい」
「それは今は関係ないでしょう……!」
ソーンが僅かに声を荒げると、母は不意に立ち上がりソーンをゆるく抱きしめた。
ソーンの身体がこわばる。
「心配いらないわ、ソーン。きっとただの家出。すぐ戻るわ」
なだめすかすように囁く。
「これは噂で聞いたのだけれど、あの娘、あなたが王都に行くことに反対だったとか……。あなたが〈王都の大宴〉の出席を辞退すれば……きっとあの子も安心してあなたの元に戻るんじゃないかしら?」
ソーンが目を見開いて母から離れる。
「母上……! あなたって人は……!」
「そんな怖い顔しないでちょうだい。それにしても、最近はこの辺りにも冒険者崩れの野盗連中が現れるっていうから、何にも無いといいけど……」
「……! 失礼します……!」
ソーンが吐き捨てるように言って部屋を出ていく。
母は、満足げな表情でそれを眺めていた。
屋根裏から脱出した俺は、そのままソーンの部屋に向かった。
「兄上……!」
「エナリオ。どうした?」
ソーンは外出の支度を整えているところだった。
「……お出かけですか?」
「ああ、ちょっと急ぎの用でな。話だったら後で聞くよ」
言いながら革のブーツの紐を手早く結ぶと、ソーンは足早に部屋を出ていった。
そのまま城下に出てフィリスさんを探すつもりなんだろう。
「リアナ」
「ここに」
カーテンの裏から現れる。
「何で、んなとこに……。人探しは得意か?」
「申し訳ありません。人探しと物探しは、神の苦手とする分野です」
「だよなぁ」
「お言葉ですが、捜査は足が基本かと」
俺はしばし考えてから、決心した。
「俺も行くか。町に」
町に降りるのは初めてのことだ。無人の集落を通過したことはあるが……。
この身体に転生してからも、ゆっくり町を見て回るなんていう余裕はなかったし。
「では、こちらを」
リアナがどこからか外出用の着替えを出してくる。
革のブーツに厚手の外套。そしてベレー帽。
中々お洒落じゃないか。
俺は真新しい外出着に袖を通すと、屋敷を出て城下へと向かった。
町と言っても、この田舎だ。雑多な人のひしめき合う大通りに、レンガ造りの美しい街並み──などと言った風景は無い。
領館を頂く丘の緩やかな斜面。見下ろす南面には木造の素朴な町並みが広がっている。
人口は千人に満たないくらいだったと思う。
丘を下った麓の平野には農家や畑、畜舎がまばらに散らばっていて、短く刈り取られた麦畑が冬の日差しを受けている光景が非常に牧歌的だ。
この世界で生まれたわけではないし、元の世界でも田舎育ちだった訳でもないのに、何だかとても懐かしい気持ちになる。
俺は商店の一つを覗くと、暇そうにしている店主に声をかけた。
「あの……。粉挽き屋の場所を聞きたいんだけど」
大きな桶に積まれた塩漬けの魚を見るに、食料品店のようだ。
店主は無言で俺を見上げると、
「……ん」
と、平野の先を指差した。
「あ……ありがとうございます」
ぺこぺこと頭を下げて引き下がる。
おかしいな。まるで不審者扱いだぞ。
俺、一応領主の息子なんだけど……?
「……でもまぁ、そうか。誰も俺の顔なんて知りようが無かったもんな」
もしかしたら、領主に俺という三男がいることすら知らないかも知れない。
たまにすれ違う住民も、挨拶を交わすでもなく「何だこの身なりの良いよそ者は」と言うような視線を投げかけてくるばかりだ。
町は貧しくもなければ豊かでもない、しかしどこか閑散とした、言葉にし難いが『いかにも父バロルの領地』と言った雰囲気だと思う。
食料品店の主人が指し示したのは農地の先。
平野を囲うように簡素な木造の市壁が張り巡らされ、それに並走するようにタステア川の支流が流れている。
その先は街道の走る鬱蒼とした森になっていた。
市壁の外、川のほとりにぽつりと、二機の水車を備えた粉挽き場があるのが見えた。
「あれか」
市壁に到着すると、両開きの木造門は開け放たれていた。
傍らのベンチで老兵がうたた寝をしているのが見える。
「のんきなもんだなぁ」
門をくぐり、粉挽き所まで向かった。
遠くから川のせせらぎと、水車が軋む音が聴こえてくる。
「ごめんください」
古いレンガ造りの粉挽き所の小さな木戸を叩いたが、返事はない。
「……失礼します」
そっと木戸を開ける。鍵はかかっていなかった。
中は暗く、外の明るさとの差に目を細める。
埃っぽい空気が漂う内部では、動き続ける水車が木槌をゴトゴトと上下させ続けていた。
「誰もいませんかー……?」
そっと中に踏み込んで様子を伺う。
入り口の近くに、小さな肖像画が掛けてあった。
長い髪の美しい女性だ。儚げだが、優しそうな表情をしている。
「これがフィリスさん……? キレイな人だな」
近くのテーブルにはカップが置いてあり、中では冷めた茶の表面にホコリが浮いている。
作業棚の籠には綿の手ぬぐいが掛けたままだ。
まるでさっきまで人がいたような──
「誰だ!?」
入口の方から怒鳴られ、俺は驚いて振り返った。
「あ、いえ……! すいません、僕は──!」
出入り口に立つ男は警戒もあらわに剣を抜いている。
逆光に目が慣れると、その人物の姿がよく見えた。
「兄さん……!」
「エナリオ? なんでこんなところに」
剣をしまい怪訝そうに尋ねてくる。
「すみません、何だか心配で……。フィリスさんとは、お会いできたんですか?」
「グランナに聞いたのか? まったく、おしゃべりなんだから……」
「すみません……」
俺とソーンは連れ立って粉挽き所を出ると、川沿いに並んで座った。
「……フィリスは、いなかった。俺が朝来た時からあのままの状態だったんだ」
「じゃあ、どこに……?」
「分からない……」
そう言うソーンの横顔は明らかにげっそりと疲れ切っていた。
「兄上……。大宴まであと五日。大丈夫ですか?」
「もし見つからなければ……俺はこちらに残って捜索を続けるよ」
空虚な瞳で川を眺めながら言う。
それはすなわち、大宴の出席を辞退し、母の謀略に屈するということだ。
何の罪もない人を害し、あの女はまんまと自らの願望を達成させる。
俺は、ふつふつと
「兄上。僕も捜索を手伝います……!」
「エナリオ……。大丈夫だ。これは俺の問題だよ」
ソーンはそう言って俺の頭をぐしぐしと撫でる。
「それより、お前自身が気をつけろよ。何か異変があったら、すぐ俺か父上に言え。父上も、いざという時は必ずお前を守ってくれる」
「兄上……」
ソーンが足元の小石を川に投げ入れる。
石は水を二回ほど切って、流れの中に消えていった。
「さ、もう行こう。身体が冷えるぞ」
立ち上がって歩き出したソーンの後を追って、俺も市門へと向かった。
兄は市門まで来ると、
「俺は引き続き探してみる」
と言って街道を森の方へ歩いていく。
後を追うわけにも行かないので、俺は町の方へ引き返すことにした。
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