第9話 殺意の母


 ある一室の前を通ると話し声が聞こえた。

 確かに自分の名前を呼んでいた気がする。

 俺は後ろのトリアイナと目配せすると、音を立てないように扉を僅かに開けた。

 中には、執事の格好をした老人と、もう一人、ソファに座っているのは……母、ローズだ。

 息子が重体から目覚めたというのに、初めてお目にかかるのが覗き見とは……。

 白い肌に見事なブロンド。角度的に顔は見えない。

 髪の色だけ見ても、この一家の構成が一筋縄でないことが分かる。

 父バロルと俺エナリオは同じアッシュグレイ。

 下の兄リカルドは母親と同じ金髪。

 ソーンは養子なので、そのどちらとも違う黒だ。


「──まさか意識が戻るなんて! あの医者・・・・にはちゃんとお金を渡してあったんでしょうね!?」

「はい、奥様。当の医者は『実家に急用が出来たから帰る』と。口封じも、すでに手配しております」

「ふん。悪運の強いガキね……! もう王都の大宴まで時間がない。あの薬・・・は用意してあるでしょうね?」

「は。ぬかりなく」

「ふふ……。本当の母親と同じ死に方が出来るんだから、エナリオも本望ね」


 母は低く笑うと、ドレスの裾から伸びたつま先で老人の脚をなぞった。


「ほら。ご褒美が欲しいんでしょう」

「お……奥様……! 奥様!」


 老人がソファの母に覆いかぶさる。

 俺は猛烈な吐き気を催しつつ、ゆっくりとドアを閉めた。

 俺の──エナリオの本当の母は、たぶん父のめかけか何かだろう。

 そして多分……あいつに殺されている。

 俺はいい。ただ……エナリオの身体・・・・・・・にこんなクソッタレな話を聞かせたくなかった。


 自室に戻った俺は「一人にしてくれ」とトリアイナに出ていってもらったあと、窓際の椅子に座ってただ半日呆然としていた。

 ──エナリオは、見殺しにされたなんて生易しいものではない。わざと治療をさせなかったのだ。

 しかし、それも失敗に終わった。

 いや、実際は成功しているのだが、死んだエナリオの代わりに俺が転生してしまったのだから、彼女からしたら失敗と見分けはつかない。

 その次は毒殺だ。

 昼にグランナが持って来た昼食も、当然口にすることなど出来なかった。

 毒が入っているかも知れないのに。


「なんとかしないと……。マジで殺される」


 しかし、理由が分からない。

 〈無能の恥晒し〉を隠しておきたいだけなら、こうして死ぬまで屋敷に軟禁していればいいだけだ。


「王都の大宴……」


 そこに理由があるのだろうか。

 黙って殺されるわけにはいかない。リアナも、今のところ何を考えてるかよく分からないし、とにかく自分で動かねば……!

 すると、もう日も沈もうかと言う頃、窓の外に父や兄たちが帰還するのが見えた。

 俺は慌ててエントランスホールに迎えに行った。


「父上! 兄上! ご無事でしたか……!」


 俺の声に、脱いだ兜を従者に手渡していた父が驚く。


「エナリオ……。こんなところで何をしている」

「お出迎えに上がろうと……」

「ふむ……。どういう風の吹き回しだ?」


 父は一度従者に渡した兜を手に取ると、俺に抱えさせた。

 相変わらずの無表情だが、口元に欠片ほどの喜びが滲んでいるのが見て取れた。

 これでも人の顔色を伺うのは得意でね。

 父が俺の肩に手をおいて奥に消えていく。

 その瞬間──


「ぐはっ……!」


 リカルドの拳が俺の腹にめり込んだ。


「おいコラ。なにこんなとこまで出てきてんだよ。人目につくだろうが」

「リカルド! やめないか!」


 ソーンが肩を掴んで制止する。


「ああ?」


 二人が一瞬睨み合う。

 一触即発かと思ったが、リカルドは大きく舌打ちをすると俺の抱えていた兜を奪い取って奥に消えていった。


「大丈夫か? エナリオ」

「はい……ごほっ」


 はぁ。元大海の覇者リンドヴルムの名が泣くぜ……。

 ソーンに背中をさすられながら思う。


「それにしても珍しいな、出迎えなんて」

「僕、このままじゃいけないなと思って……」


 俺の言葉にソーンが目を丸くする。


「驚いた。あのエナリオからそんな言葉が聞けるなんて」


 言うと、俺の頭をぐしぐしと撫でてから、


「お前も、色々思うところがあるんだな。でも、あんまり無理するなよ」


 そう言って自室の方へ向かって行った。


「……無理もするさ。殺されたくないしな」


 兄の消えていった方を見ながら呟く。



 しばらくすると、邸内に晩餐の支度の香ばしい匂いが漂い始めた。

 昨日の夜からまともに食ってない俺は、引き寄せられるようにダイニングホールへと向かっていった。


「いい匂いだなぁ~。ローストビーフかな?」


 すでに大きなテーブルには幾つかの料理が並べられて、忙しそうにメイドたちが行き交っている。


「あら、坊っちゃん」


 料理に気を取られてふらついている俺に気づいたグランナが声をかけてきた。


「こんなところで……。何かお探しですか? 私にお申し付けくださいまし」

「あ、いや。料理、美味しそうだなって」


 俺が言うと、グランナがニッコリと笑う。


「ふふ。お腹がお空きですね? エナリオ様の分は、後ほどお部屋の方にお持ちしますよ」

「いや……今日は僕もここで食べるよ」

「あらま! 本当ですか!?」

「うん」

「これは大変……! すぐに準備しますわ! 料理長~!」


 嬉しそうに小走りで厨房に引き返していくグランナ。

 やっぱり、エナリオはずっと食事も一人だったんだな。

 ダイニングホールの傍らで、俺はメイドたちが準備を進めるのをぼんやりと眺めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る