第8話 屋敷の書庫

 小鳥の囀りと、窓から差し込む朝日で目が覚めた。

 上等なベッドは、相変わらず柔らかく俺の身体を沈めてくれている。

 しばし、ベッドの天蓋を眺めながら考えたが、やはり俺は〈エナリオ〉として生きていく他に道はないようだ。

 そうなれば、まずは情報収集が大事だろう。


「書庫にでも行ってみるか」


 俺は綺麗に畳んで置かれた服に着替えると、なんとなく廊下に誰もいないことを確認してからこっそりと部屋を出た。

 書庫は屋敷の奥の一角にある。

 忙しそうに歩き回るメイドを泥棒のような足取りでやり過ごして、俺は書庫の重い扉を開けた。


「……誰もいないよな」


 埃っぽく薄暗い空間に人の気配は無い。

 と、思った瞬間。


「……っ」


 軽い頭痛が走った。

 と同時に、書庫の奥に座り込んで本を読む人影に気がつく。

 さっきまでいなかったはずの、その姿は──


「俺……いや、エナリオ……?」


 今の俺の姿と同じ少年が、黙々と本を読んでいる。

 そして、その風景はどこからか吹き込んだ風にさらわれるように不意に消えた。

 俺には無いはずの懐かしさと寂しさが胸にこみ上げる。


「……この場所、好きだったんだな」


 胸の辺りをキュッと握りしめた。

 まだ、いるんだ。ここに。

 俺は静かに歩を進めると、背の低めな棚に父が王都へ送っている日報が保管されていることに気づいた。

 適当な巻を手にとってページを捲る。一ヶ月ほど前の物だ。


『──当地方に於いても若干数の〈モンスター〉の目撃が報告されております。民や作物、集落への被害は確認されておりませんが、兵力の増強が当面の──』

「モンスター……?」

「そうです」

「うわっ!?」


 俺がぽつりと漏らすと、突然真後ろからそれに答える声がした。

 驚きのあまり日報を取り落とす。


「トリアイナさん……! いつの間に!?」


 耳に唇が触れるような至近距離に、白衣のトリアイナが立っていた。


「今後は、リアナとお呼び下さい」

「え? あ、はい……」


 トリアイナ──もといリアナは日報を拾って俺に手渡してくれた。


「〈モンスター〉とは、この十数年で突然出現し始めた生命体です。〈異界〉の影響により生み出された、この自然界のことわりから外れた邪悪な存在……」

「なんとなくは分かるけど」

「我々神族が〈異界の神〉との戦に実質の敗北をしてからというもの、その増加にもはや歯止めは効かないでしょう」


 ──『神々の時代は終わった。やがて……暗黒の時代がやってくる。邪悪な異形の支配する、闇の時代が』


 ポセイドンが言っていた言葉をふと思い出した。


「暗黒の時代……」


 俺のつぶやきにリアナが頷く。


「しかし、人間たちは思った以上によく戦っています」


 リアナは近くの書棚から一冊のファイルを取り出して俺に手渡した。


「〈王立聖騎士団 ケラステス地下迷宮攻略戦〉……?」


 数ページに渡る報告書だ。


『──我々聖騎士団は多数の冒険者たちの協力を得ながら、迷宮遺跡ケラステスの攻略を進めていた。無数に現れるモンスターを撃破しながら、この日、万全の体制を持って最下層へ進軍を開始。とうとう最下層に蔓延る〈エンシェント・オーガロード〉を打ち倒すことに成功した』


 〈聖騎士団〉、それに〈冒険者〉と来たもんだ。


「軍としての〈聖騎士団〉。そして、各地に散らばる〈冒険者〉。両者によって、モンスターに対抗しているようですね」


 そうだ。兄上は二人とも、やがては聖騎士団の候補生として王都に行く予定なのだ。

 〈無能〉の自分とは違って……。

 ふいに湧いてきたエナリオの哀しみが胸に広がる。

 俺はいたたまれない気持ちになって書庫を出た。

 すると、廊下の向こうから兄二人がバタバタと駆けてくるのが見えた。


「あ、兄様……」

「エナリオ! 歩いて大丈夫なのか? おや、先生も」


 俺の後ろにいるリアナに小さく一礼する。


「ソーン! ボサッとしてんなよ! 俺は先に行ってるぜ!」

「ああ。すまないリカルド」


 あぁ、そうだ、リカルド兄だ。

 ソーンの言葉でようやく下の兄の名前を思い出す。

 どうやらよっぽど思い出したくなかったらしい。

 慌ただしく走り去っていくリカルドの背中を見送って、俺はソーンに話しかけた。


「なにかあったんですか?」

「近隣でモンスターの出現情報があったんだ。こんな市街の近くで発見されるなんて……」

「モンスター……!」


 ソーンは驚く俺の頭をぽんぽんと叩き、安心させるように微笑んだ。


「俺たちや領地の騎士団で撃退に向かうから大丈夫。トリアイナ先生、弟を頼みます」


 ソーンはそう言い残すと、足早に駆け出していった。


「あ……」


 思わず手をのばすが、俺に出来ることなど何も無い。

 俺は大人しく自室に戻ることにした。

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