第7話 異世界ライフは、再び最弱から始まる
兄は心配そうに言うと、俺──エナリオに何があったのかを語ってくれた。
一週間前、屋敷を抜け出して山に入り込んだ俺は、何かを探している途中で滑落にあい、意識不明の重体で発見された……と。
あと一歩発見が遅かったらグレイウルフたちの餌食になっていたかも知れないということだ。
「一体、何をしに山なんかに……?」
ソーンが問う。
「何って……」
そうだ。思い出した。
書庫で見つけた、満月の夜に咲くっていう綺麗な花。
「花を……摘みに」
「花? そんなもののために──」
「は、母上が……! その……誕生日だったから。僕は、祝宴にも呼んでもらえなかったけれど……」
ソーンがグッと息を詰まらせる。
俺の頭を優しく抱きしめた。
と、その時、部屋のドアがノックされた。
「坊っちゃん。王都のお医者様がやって参りました」
メイド長──そうだこの人はグランナって名前だった──の声に兄が応えると、扉が空いて白衣姿の医者が入ってきた。
珍しいことに女医だ。
長く艷やかな髪に、名槍を思わせる切れ長の瞳。
その佇まいは、まるで神の従者のような──
「えええぇぇぇ──あぶっ!」
起き上がって驚愕の声を上げかけた瞬間、風のように間を詰めてきた女医にベッドに押し倒される。
「エナリオ様。安静でお願いいたします」
いやいやいや、どう見てもあの時のポセイドンの槍だった人〈トリアイナ〉じゃないか!
俺は一連の流れをポカーンと見ていた兄とメイド長グランナに、
「あの、ちょっと先生と二人にしてもらえますか……?」
「え? あ、ああ。分かった。……では、先生、くれぐれも弟をよろしく頼みます」
一礼して二人が出ていく。
扉が閉まったのを確認すると、俺はベッドに胡座をかいて女医──のコスプレをするトリアイナに向き合った。
「…………」
「では、診察を始めます」
「待てい!」
おもむろに俺のシャツを脱がそうとしたトリアイナのおでこにチョップをして止める。
「あのー。全く状況が分からないんですけど。説明してもらえます?」
「かしこまりました」
無表情で額をこすりながらトリアイナがうなずく。
「とりあえず、僕はだれ?」
「エナリオ様です。主に今、この人生では」
「今、この人生では……?」
「は。魂の主成分を占めるのは〈鳴神仁〉様のものであり、そこにエナリオ様の魂の残滓も混在している状態です」
「残滓って……。じゃあ、このエナリオの元の魂はどこに行ったんだよ?」
「亡くなりました。二日前の夜です」
「亡くな……」
思わず言葉を失う。
「エナリオ様の魂が消失して空いた肉体に鳴神様の魂が転生した、ということです。そして肉体に残った記憶や精神の残滓と融合した、と」
「そうか……。こいつ、死んだのか……」
自分の小さな両手をなんとなく眺める。
俺は魂がどうこうとかよりも、この儚げで美しい少年がすでに死んでしまっているという事実に呆然としてしまった。
「エナリオ様はすでに瀕死の重傷でしたし、父親が呼んだ医者は大層なヤブ医者だったようでろくな治療を施さなかったようです」
「ヤブ医者って……じゃあ、殆ど見殺しにされたようなもんじゃないか!」
「残念ですが、恐らく」
無表情のまま肯定する。
何なんだ? 〈無能力〉だと言うだけで、家族に見殺しにされなければならないのか?
俺が腹に渦巻く不快感に顔を歪めていると、トリアイナが口を開いた。
「そういった諸々の状況を合わせまして、鳴神様には今後エナリオ様としての人生を歩んで頂くことになります」
「そんな、他人の人生を奪うようなこと……」
「そうでなければ、二日前に終わっていた生命です」
「もちっとマシな転生先は無かったのか……?」
「ご了承下さい。タイミングの問題です」
さっきのステータスの通りなら、〈脱皮〉のスキルが残数0で消滅し、ついでに〈コピー〉の能力も消えていた。
もうこれ以上、他の生物に成り代わったりすることは不可能なわけだ。
「マジか……。確かに、人間に戻りたいと思ってた事はあったけどさ……。それより、キミはなぜここでそんなコスプレをしてるんだ」
「コスプレとは心外ですね。ちゃんと医者として呼ばれて来ております」
「いや、そうじゃなくて」
「鳴神様──いえ、今後はエナリオ様のおそばに付き従うこの身。怪しまれる事無くおそばにいさせて頂くため、あらゆる手段を講じる所存です」
「あぁ、そう……」
「人間の記憶改変や事実誤認など、神族である私からすれば赤子の手を握りつぶす程度のこと」
「例えが微妙に間違ってるし。怖いよ。姿を消してついてたりすればいいじゃない」
「良いのですか? ふむ……確かに厠も浴場もついていけるので都合は非常に良いですね」
「やっぱり今の形でいきましょう」
と、そこで俺は大事な事を思い出した。
「っていうか! アイツは!? 戦神ポセイドンは!?」
あの時……あの珊瑚の迷宮の中で、俺は確かに大海の戦神ポセイドンを〈コピー〉したはずだ。
だが、さっき開いたステータスは完全にエナリオの……ただの貧弱な少年のものだった。
「ポセイドン様の魂の核は、鳴神様の魂の奥底に眠っております。それがいつ目覚めるのか……それは私にも分かりません」
「何だよそれ……。ってことはその
「いえ、それはありえません。ポセイドン様は……」
「……?」
トリアイナの表情がほんの僅かに曇る。
「彼はあの後、消滅されました」
「……消滅……。死んだってこと?」
「はい。残った魂の核にも、精神や人格といったものはもう……」
「そう……か」
死んだ。神様ってのも死ぬのか。
ほんの一時間程の付き合いだったのに、まるで古い知り合いを亡くしたような感じだった。
「じゃあ、いったいポセイドンは俺に自分を〈コピー〉させてどうしたかったんだ?」
「それは、おいおい分かることもあるかと」
そういうトリアイナの表情は硬く、それ以上つついても教えてくれそうにないものだった。
「ぐはぁ……」
俺は海溝のように深い溜め息をついてベッドにうずくまった。
数秒息をついて、ちらりとトリアイナを見上げる。
「……なぁ。俺は今後どうすればいい?」
ただでさえ、心のなかで鳴神仁とエナリオがぐちゃぐちゃに混ざり合ってワケがわからなくなっているのだ。これからどうやって生きていけばいいのか、まったく見当もつかない。
「それは、ご自身でお決め下さい。ポセイドン様も、それを望んでおられました」
「…………」
思考が追いつかない。頭がパンクしそうだ。
「あの、坊っちゃん。お夕食を……。すみません。ノックしたのですが返事がありませんもので……」
いつの間にか入ってきたのか、グランナがドアのところで銀のトレイを持ったまま申し訳無さそうに言う。
トリアイナは俺と目配せをすると、
「エナリオ様は、もう問題無いようです。しばらく記憶や精神に混濁が見られるかも知れませんがじき治りますので心配なく」
グランナにそう言ってから俺に一礼した。
「では、また」
颯爽と退室していく。
その後姿を目で追う俺の思考能力は、すでに限界を迎えて停止していた。
「さ、坊っちゃん。どうぞ」
グランナがベッド脇に置いた温かい料理──ああ、温かいものを食べたのは何年ぶりだろう──を平らげて、俺はそのまま泥のように眠りについた。
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