心の灯

 



   ふるり




 からだが ふるえる


 いたい から じゃない


 こわい から じゃない


 くるしいから じゃない


 しんじゃうから じゃない



 これは―― よろこび だ



 からだが よろこんでいる


 こころが ふるえている


 わたしは いま たのしい



 なんて   きもち いい



(……ぁ)



 でも


 わたしはもう、しってしまった


 わたしは、いやしくなってしまった



(……たりな、い)



 この、せかい、には


 もっと、もっと、きもち、いいものが、ある


 このどろどろよりも、きもちいいものがある


 それにくらべれば、まだまだ―― 



(――ぅ)



 このどろどろは、きもちよくて。

 このくるしみは、ここちよくて。

 このいたみは、あまくて。

 この、しんとしみわたるような、しずけさのなかに。

 ずっと、ひたって、いたい、けれど。



(――っ)



 でも―― このきもちいいのさき、には。

 もっと、きもちのいいものが―― ある。


 あの、おおきなてのひら。

 あの、おおきなせなか。

 あの、あたたかいねつ。


 この、どろどろの――

 

 さきで―― くれた。


 くらい、あめの、なかで――



(――ぅぅ)



 かれは、ここよりも、もっとさきにいる。

 わたしも、そこにいかないといけない。

 わたしも、そこにいきたいんだ。


 ふーがくんと、アミーが、いたばしょ。

 ふーがくんと、アミーが、いるばしょ。


 いまのわたしよりも、もっと、もっと。

 いたくて、つらくて、くるしい。

 死んじゃうくらいの―― さらに、さき。



「――ぅぅ、ぁぁぁあああああッ!!」



 からだが、ふるえる。

 いたみと、きしみと。

 くるしみで、ふるえる。


(で、も――!)


 まだ、ふるえるじゃないか。

 まだ、いきているじゃないか。

 こんなんじゃ、ぜんぜん、たりてない。


 アミーがいたのは、こんなところじゃ、ない。

 アミーは、手足が壊れても、フーガくんにかみついた。

 ふーがくんがいたのは、こんなところじゃない。

 かれはさいごまで、振り絞るように吼えていた。


 あれだけ血を流して、どう見ても死んじゃいそうなのに。

 痛くて、苦しくて、辛かっただろうに。

 それでもまだ、ふたりはたたかっていた。


 ふたりが立っていたあの場所まで―― ぜんぜん、たりてない。

 わたしはまだ、ぜんぜん、しんでない。



 ここは――

 

 ここが、おわりじゃ―― ない。



   ぎしッ ぎちィ


 いたい。

 くるしい。

 きもちがいい。

 ちょっと、だけ。

 ちょっとだけなんだ。

 たりない。

 こんなたのしさじゃ、たりない。


「……ぁ、がぁっ……!」


 アミーと戦っていた、かれのように。

 かれと戦っていた、アミーのように。

 もっともっと、先があるはずなんだ。

 あの場所までは、まだまだとおい。


「……ぃ……ぁあっ……!」


 もっともっと、あがける。

 もっともっと、くるしめる。

 もっともっと、さきにいける。

 そうすれば、もっと、きもちよくなれる。

 それだけながく、きもちよくなれる。


(……それ、でも……)


 ふーがくんのくれる、きもちよさには。

 とどかないかも、しれない……けれど。


   ぎしっ ぎちぃっ


 そして――ふと。

 この悦びに、満足できなくなって。

 ちょっとだけ、しまって。

 わたしは、きづいてしまった。


(……ぁ)


 気づかないまま、ぎゅっと握りしめていた、右手。

 握り締められたままの、手の中にあるもの。

 そこに込められた、力の意味、その理由。


(……。…………ああ)


 わたしに巻き付く、あなた。

 わたしをこわそうとしている、あなた。

 あなたが、なんなのか、しらないけれど。


 どうやらわたしは、あなたに――


(よ――)


 フーガくんが、くれた、ケープ。

 わたしの、いちばん、たいせつな、もの。


(よく――)


 わたしを庇って、たおれたフーガくん。

 わたしの、いちばん、たいせつな、ひと。


(よくも――)


 アミーとフーガくんの、まぶしいほどの時間。

 命を賭けて、命を削り合った、かれらの世界。

 アミーの瞼を閉じてあげた、ふーがくんの顔。

 哀しいような、慈しむような、祈るような――


「あなた、なんかに――」


 握り締めた手が。

 わなわなと震える。

 痛いから、じゃない。

 怖いから、じゃない。

 苦しいから、じゃない。

 死んじゃうから、じゃない。

 悦んでいるからでも。

 気持ちいいからでもない。


「おまえなんかに――ッ」


 とつぜん、現れて。

 わたしのたいせつなひとを、きずつけて。

 わたしのたいせつなものを、きずつけて。

 なにもかも、めちゃくちゃにして。


 アミーのように、がんばってない。

 フーガくんのように、かっこよくもない。

 まばゆいほどに、かがやいてない。

 おまえ、なんかに――


「――ころされ、たくないッ!!」


   ブジィッ!!


 うつ伏せになった身体を、無理やりに起こす。

 右手の中に握られていた、一振りのナイフを。

 宙を走る、赤い蔦に、力任せに叩きつけ。

 左腕に絡みついていた蔦が、張りを失う。

 赤い蔦が絡みついた右腕から、びしりと嫌な音。

 激痛が走り、ナイフを取り落と――


「――ま、だっ!」


   ブジィッ!! ブチィン!!


 左手に持ち替えたナイフで、首に伸びていた2本の蔦を切る。

 首に巻き付いていた細い蔦が、だらりと――


「そこに――っ!!」


   ブジィッ!! 


 自分の首に、ナイフを走らせる。

 ぴしりと、首が引きつれたような感覚。

 手首に刃を走らせた時のような、張りのある痛み。

 この身に馴染んだその甘い感覚も、いまは煩わしい。


「――さわらッ、ないでッ!!」


   ブチブチ――ッ!! 


 首元に絡まっていた蔦を引きちぎり、目の前に叩きつける。

 残る赤い蔦は、胴と足に絡みつく――3本っ!!


  ――ビュオンッ


(あっ――)


 騒いでいたからか。

 赤い蔦を引き千切ったからか。

 太く束ねられた血肉の蔦。

 眼前に飛来する槍。


 腰にも足にも、蔦が絡みついたまま。

 この場に縫い留めるように、締め付けを強めてくる。


(うごけ、ないっ ……けどっ!!)


 いままでのわたしなら、きっとここがおわりだ。

 精いっぱい、がんばった。

 もう、どうしようもない。

 

「――ぁぁぁああああっ!!」


 だけど、いまのわたしはもう、このさきを知っている。

 それを教えてくれた、かれらがいる。

 こんなので、死にたくない。

 こんなところで、死にたくない。

 こんなの、ぜんぜん――死ぬところじゃないっ!!


 ねぇ、そうだよね――


「――フーガ、くんッ!!」


   ビュオンっ!!


 がむしゃらに突き出した、手のひらの向こうで。

 なにか、細い風切りの音とともに。

 飛来する、赤い蔦、が――


    ――グシャァッ!!!!


 左に、潰れて逸れていく。

 右から飛んできた、なにかが。

 それを刺し貫いて――


「――っ」



 そして、わたしは――



 そこに、いるはずのない人を見た。




 *────




 それは、わたしが、いま、


 いちばん、あいた、かった、ひと、だった。




 *────




 ぼやけたように滲んだ、視界の中。

 一人の男が、立っている。


 その顔に、眼帯のように巻き付けられた――真っ赤に染まった布。

 頭に掛けるように、右目に巻きつけられた、布切れの下。

 その下から、どくどくと流れ出している、血、赤い血。


 でも、残った、もう一つの、瞳は。

 射貫くように、こちらを見ている。

 それは、輝くような、金色の――


「……カノン」

「ひ、ひゃいっ!?」

「まずは その赤いの 切ろう か」

「うっ、うん――」


 放心しながら、腰と足に絡みつく蔦を、ぶちぶちと千切る。

 目の前に彼がいることが、信じられなくて。

 なにかまた、幻覚でも見ているんじゃないかと。

 でも、あのときもかれは、わたしのところに来てくれたから。

 だから、いまのかれも、幻覚なんかじゃないんだろう。


「だっ、だいじょう――」


 いや、なにを言っているんだ。

 どう見ても、大丈夫じゃない。

 目が―― さっきの――

 生き、て――?


「……大丈夫 だ ……カノン」


 その相貌の半分を、朱に染めながら。

 それでも彼は、力強くこちらを見る。

 心に、ぽっと、あたたかな火が灯る。


「……俺は まだ 生きている

 ……お前も まだ 生きてる だろ?」


 かれが言うことなら、なんだって信じられる。

 かれと一緒なら、なんだって切り抜けられる。

 こんなの、かれにとっては、どうってことないんだ。


「――うんッ!!」

「うし。……んじゃ……やろうか。

 あいつとの戦いは……もう、終わってるんだ。

 後始末、さいごまで、やってやらないと……なッ!」


 かれが、その背後へと、親指を倒して示したもの。

 横たわったアミーから生えた、肉の柱。

 そこから、うようよと蠢く、赤い蔦が――


「ッ! フーガくん、来てるっ!!」

「知ってる。……さぁ行くぞ、カノンッ!」


 身を翻して、飛んでくる蔦をするりと躱して。

 そのまま赤い柱の方に駆けていく、フーガくんの背中。


 そこに宿る、ちからづよさ。

 そこに灯る、燃えるような熱さ。

 それを見て、ぶわっと、なにか、

 暖かなものが、胸に込み上げる。


 ……ちがう。

 これはあたたかいというより―― あつい。

 燃えるような、輝くような、爆ぜるような灯。

 暗い心に明々と灯る、幻想の灯。

 力尽きた体を満たす、幻想の熱。

 それが―― わたしのなかにも、ある。



(ああ。……そうか)


 死にかけて、終わりかけて。

 でも、死なないで、終わらないで。

 諦めないで、足掻いて。

 負けたくないと。

 死にたくないと。

 立ち上がって。

 ようやく。

 わたしは。

 うまれて。

 はじめて。

 ここに。

 来た。


 ここに、立った。


 死線おわりの先に、辿り着いた。



(……ここ、が……)



 身体が、軽くて。


 思考が、澄んで。


 心だけが、赤々と、滾る。


 燃えたつような、心の灯。


 煮え滾るような、命の炎。



(……フーガくんの、いる場所なんだ……)

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