vs " ■■■■■ "

 " ■■■■■ "


 それはこの世界における、俺の因縁の名。

 因縁と言っても、出逢ってからまだ、1週間も経ってないけれど。

 名前と言っても、読めないけれど。


 この世界での、はじめてのテレポバグ。

 その先で俺は、四半刻ほどを経て見事に死んだ。

 なにもかもが朽ち果てたような森の中で、奇妙なうごめきを見て。

 直後に襲い掛かってきた、木の蔦に追い立てられ。

 峡谷に追い込まれて、墜とされて、死んだ。

 その後『犬2』から実装された実績によって、あの森がおかしなことになっていたのが、 " ■■■■■ " という文字列に関係があるらしいことを知った。


 そしてまた奇妙なことに、俺はその文字列に、セドナの断崖絶壁から突き出した、ガラス化したコンクリートブロックの中で再会した。

 その文字列の近くにあったポータルの残骸によって、俺はここに飛ばされた。

 だから、俺は当初のうちは警戒していたのだ。

 ここには、 " ■■■■■あいつ " がいるのではないのかと。

 あの森のように、なにかが襲ってくるのではないかと。

 だが、どうしてもそれを発見できなかった。

 ズールと名付けた獣と相対する中で、いつしかそれを忘れてしまった。


 だが――ズールとの戦いが終わった後、俺は、思い出した。

 命を失い、倒れ伏したアミーの身体。

 アミーの身体を貫いていた、鉄杭の傷痕。

 そこに見えた、肉のうごめき。

 それは、 " ■■■■■あいつ " の気配だった。

 " ■■■■■あいつ " は、アミーの身体のなかに埋められていたんだ。


 だから、なにもかもがおかしかったんだ。

 1週間前、俺を殺しにきた、あの森の樹々。

 幾星霜を経てもかたちを遺す、アミーの身体。

 傷の塞がっていない、鉄杭の傷痕。

 その辺が、どうつながってくるのか。

 いまいち、よくわからないが――

 それでも一つだけ、たしかなことがある。


 かつて、俺を殺したもの。

 ここまで、アミーを苦しめていたもの。

 俺たちの戦いに、唾を吐きかけたもの。

 そして――カノンを泣かせやがったやつ。


 ……全部。


 全部―― " ■■■■■おまえ " じゃねぇか。



 ゆるさん。


 ぶっこわす。



 *────



 視界がぼやける。

 頭がガンガンする。

 ぐらぐらする。

 きもちわるい。

 死にそう。

 懐かしい。

 愉しい。

 俺はいま。

 まちがいなく。

 死の淵にいる。

 死線の先にいる。


(っ……ぁぁッ!!)


 片目で見る世界は、やけにスローで。

 滲んだようで、掠れたようで。

 色褪せたようで、立体感がなくて。

 耳に飛び込んでくる音は、突き刺さるほどで。

 それ以外はもう、なにもかもがわからない。

 身体の痛みも、もうよくわからない。

 脳裏を焦がすように、ちりちりと散る火花。

 感覚のない手足は、水の入った革袋のよう。

 それでも、俺の身体は動いてくれる。

 限界を超えてなお、尽くしてくれる。

 つまり――


(……現実と同じだなッ!!)


 久しぶりに味わうこの空気、この感覚。

 身体を薪に、胸に燃え上がるは命の炎。

 精々、愉しませて貰おうじゃないかッ!!!


「――ッ!!」


 前方に聳え立つ、血肉の柱。

 それは――だ。

 皮の剥がれた、ズールの形をしている。

 二つの後ろ脚で、直立するような形で。


(――あいつの骸を、弄びやがってェ……ッ!!)


  ――ビュオンッ!!!


 血肉の柱の天辺から、赤い血肉の蔦が伸び生え、こちらに唸るように飛んでくる。

 なにをやろうとしているのかわからんが――


(――覚えがあるぞっ、その動きッ!!)


 それを見たのは1週間前。

 この世界に初めて立った、どこかうす暗い森の中。

 俺をホーミングして、刺し殺そうとしてきた樹々の蔦。

 その速度、その軌道と、よく似ている。

 ちがうのはただ、目の前の飛来物の素材が、死んだ植物か、死んだ獣の血肉かというだけの話だ。

 同じ死因を重ねるほど愚図ではないし、それに――


  ビュオンッ!

    ビュンッ ビュルンッ!!


 この身を刺し殺さんと前方から迫る、幾重もの血肉の蔦。

 如何なる原理を以てしてか、精確に胴体を狙って突き込んでくる、それら――


(……おそ、すぎ、るッ!!)


 軌道を読むまでもない。見てから躱せる。

 ズールの本気に比べれば、あまりにも遅い。

 死に物狂いが、命の燃焼が、圧倒的に足りない。

 目の前のこいつからは、生きようとする意志が感じられない。

 やはりお前は、ズールではない。

 そこには、あいつの意志はないッ!!


 それに――


(視覚はない……かッ!!)


 目の前にあるのは、肉の塊。

 感知できるものと言えば、熱源か、空気の振動がせいぜいがだろう。

 過程を裏付けるように、蔦を躱して足を止めれば、途端に蔦の動きが鈍くなる。

 こちらを見失ったのか、張力を失った赤い蔦が宙を揺らめき――


(……っ、これはこれで面倒な……!)


 捕捉し損ねた獲物を絡め捕るため、柱の周囲を揺らめき、血肉の結界を張り巡らせる。

 獲物が動くまで待ちの姿勢、このままでは近づけない。

 だが――こいつの察知方法は、恐らく音だ。

 ホルスターに残された楔は、残り3本。

 1本使えば、なんとか……いや、足りない!


(――ならば、頼めるかッ!?)


 足を止めたまま、カノンに視線を送り、頷く。

 相談もないもしていないが、果たして――


「……っ! こっち、だよ……っ!!!」


 ……ああ。

 やっぱりお前は最高だよ、カノン。

 お前よりも相性のいい相棒はいないだろう。

 お前と一緒に戦うのは、最高に愉しい。


 柱の上方に固まっていた赤い蔦が、群れを成してカノンの方に向かっていく。

 心なしかその動きは、俺を刺し殺そうと迫った蔦の動きとなにかちがうような気がするが――いま考えている余裕はない。

 カノンがつくってくれたこの好機、逃す手は――ないッ!!


 脚のホルスターにある3本の楔。俺に残された最後の武器。

 血肉の柱に向かって、左手に楔を挟み持ち――


(――ぃょぃしょぉッ!!)


 心の中で喝を入れ、ぶん投げる。


   ズチュッ!!


 血肉の柱の横っ面、腰ほどの高さに刺さる石楔。

 カノンの方に伸びていた蔦が、一瞬ビクリと揺らめくが――それ以上の反応は見せない。


(よし、これで――行けるッ!!)


 柱に向かって駆け、刺さった楔に向かって――【跳躍】ッ!


   ズダンッ!!! 


 楔の上面に穿つように着地し。

 血肉の柱に沈み込むよりも早く――さらに【跳躍】ッ!!


   ヒュオッ


 一瞬の浮遊感、臓腑を掻き混ぜる感触。

 軽やかに、宙へと浮きあがる身体。

 目の前にある血肉の柱を、跳び箱のように跳ね昇る。

 眼前を下方へと流れていく、赤い血肉の柱。

 その頂上、そこには血肉の蔦が生え延びる――


(――ッ!! やっぱりなァ――)


 脚を血肉の柱に突き立てる。

 ここは血肉の柱の天辺。

 その血肉の海の中に、深く埋もれるように。

 なにか、黒いものがある。

 赤い血肉の蔦の根元。


 そこに埋もれている、血と脂に汚れた、

 拳よりも一回り大きい、闇より黒い多面体ヘドロン


 自然物なのか、そうでないのか――


(おまえ――ッ!!!)


 見覚えのある、黒い結晶体。

 たぶんこいつが " ■■■■■あいつ " だろう。


 ゆるさん。

 ぶっ壊してやる。

 ホルダーから抜いた楔を振りかぶり、その黒い多面体に、振り下ろ――


  ――シュルシュルシュルッシュルッシュルッ!!


(なッ――!?)


 血肉の中に埋もれていた多面体。

 それがなにか、筋繊維のようなもので急速に覆われていく。

 多面体を守るように、筋張った防護膜が――


(く――ッ!!)


 それごと貫けと、楔を全力で振り下ろす。


  ――ドチュッ!!


 強靭な筋繊維に深く刺さり、しかし――その下まで届かない。

 突き立てた楔が血肉の海の中に、呑み込まれるように沈んでいく。

 血にぬめる筋繊維、素手で千切れるわけもない。

 楔では――駄目だ、刺さっても、断ち切れない!

 ナイフは――ズールの口の中に置いてきたッ!!


 俺に残された武器は――残された1本の楔だけ。


(――ッ!! ……。…………だがッ――)


 不意に、天啓のように解決策が脳裏に閃く。

 目の前の筋繊維を切り裂く道具は――この場にある。

 だが、それを声に出せば、赤い蔦が舞い戻ってくる。

 そうすれば、この場で拘束されるなり、刺し殺されるなり、

 そうなったら、もうどうしようもない。

 そうして半ば祈るようにして、カノンの方を見る。


(……っ!!)


 カノンが、こちらを見ていた。

 カノンは、こちらを見ていた。

 赤い蔦に絡みつかれ、締め付けられ。

 涙が滲んだままの、それでも、強い瞳で。

 命の炎が燃える眼で。

 こちらを、見て――


(――ッ!!)


 無理難題なのは分かっている。

 伝わるかどうかもわからない。

 彼女に向かって、手のひらを上に向けて、左手を伸ばす。


(わかるかっ!? ――できるかッ!?)


 果たして――彼女は。


「――ぅぁぁぁぁあああああッ!!!」


 その手に握り締めていたナイフを、

 自分の身体に突き立てるようにして、

 赤い蔦を引き裂き、千切り――


「――フーガっ、くんっ!!!」


 その苛烈さに、思わず見惚れた俺に向かって、

 全力のオーバースローで、手に持ったナイフを――


   ビュンッ


 投げた。

 重力に惹かれるよりも早く、まっすぐに。

 俺に向かって、くるくると回りながら飛んでくる石の刃。

 そのまま行けば俺を殺しかねない、その投擲は――


(……ッいいパスだぜ、カノンっ!!)


 なんの障害も受けず、俺の眼前まで飛んでくる。

 その速度はあまりにも早く、刀身もくるくると回り、とても受け止めることなどできそうにない。 

 飛んでくるナイフに、もはや感覚のなくなった手を突き出し―― 


(【装備換装】ッ!!)


   ――パシンッ!


 手のひらの内側から響く、少し湿った快音一つ。

 伝わってくるのは、石造りの確かな重さ。


(これぞ運命って奴かもな――)


 【投擲】【跳躍】【登攀】【装備換装】、俺の選んだ4つの技能。

 冒険というテーマにおいて、フーガという人間の身体の可能性をフルに発揮して、それでもなお足りない、限界を超える必要がある分野。

 それに従って前者の3つを選んだわけだが――


(――たまには直感に従ってみるもんだっ!!)


 カノンの投げたナイフは、しっかりと、俺の手に収まっていた。

 感覚のない手のひらの中、指の骨に挟み込むようにしてナイフを固定する。

 そうして渾身の力を込めて、目の前の筋張った肉に突き立てる。


(……カノン、お前の―― 借りるぜっ!!)


   ブジィッ!! 


 目の前の筋繊維の防護膜に、ナイフが突き立つ。

 血しぶきをあげ、抗い、それでも確実に千切れていく。

 血と脂で切れ味を失ってはいるが、それでも――


(――ぅぅぅぉぉぉおおおおおッ!!)


   ブチィン!! ブチィ――


 ゴムを断ち切るような鈍い音が断続し、目の前の覆いが千切れていく。

 吹きあがる血を無視して、全体重を掛けて、更に切り裂く。


(――見えたッ!!)


 切り裂かれた、筋繊維の奥。

 そこに、黒い塊が見える。

 もう――声を抑える必要はないッ!!

 なんせ……これが、いろいろラストチャンスだろうからなッ!!

 両の手のひらに埋めるように。この身体ごとぶつけるように。

 カノンのナイフを――振り下ろす。


「――喰らっとけぇぇッ!!!!」



     ガッ、キィィィィン!!!!



 石と石がぶつかり合う、甲高い音。

 花崗岩のナイフと、よくわからない多面体。

 どちらの硬度が、勝ったのか。

 果たして――


「――……っ」


 落とした視線の先。

 痺れて震える、血塗れの手の中。

 妙な方向に折れ曲がった、指の内側。

 そこに握られているのは――短くなったナイフ。

 花崗岩の刃は、真ん中から、折れ砕けて。

 視線を落とせば、そこには、傷一つない黒い多面体。


「……ちっ」


 いや、よく見れば――

 小さなひびが、入っている。

 だが……それだけだ。

 割れているわけではない、し――


「……頑丈だな、おま、え……」


  ヒュルンッ――

     ヒュルンッ――

   ヒュルンッ――


 機能を失ったわけでも、ないらしい。

 先ほどの撃音を頼りに、赤い蔦が集まってくる。

 よくわかった。

 この多面体は、花崗岩より硬い。

 折れたナイフを叩きつけても、割れるまい。

 そもそも、この手ではもう、力を込めることすら――


「ふぅ……」


 太腿に手をやれば、そこにある確かな感触。

 たった一つだけ残されている、花崗岩の楔。

 黒い多面体に走る、小さな罅。

 やるべきことは、ただひとつ。


(……。)


 抜いた楔を罅に宛がう。

 心を研ぎ澄まし、姿勢を作る。

 赤い蔦が、腕に首にと。

 それでも、集中、集中して――


「いざ――」


 それに力は、必要ない。

 それに速さは、必要ない。

 それに硬さは、必要ない。


 天へと掲げた右手の中。

 折れ砕けたナイフの柄。

 重力に、引かれるまま。

 それは、楔の柄尻へと吸い込まれ。



     ……カンッ



 手元から響く、小さな音。

 手元から返ってくる、軽い感触。



     ――……



 これで、いい。

 これで、終わった。



「さらば、謎の石……」



    ピシリッ



 黒い多面体についた、小さな傷が、



    パシリッ



 広がり、砕け、割れて――



   ――――パキャッ!!!



「これが……【石工術】、だ……」


 身体に絡みつき、締めあげていた血肉の蔦が、くたりと力を失う。

 視界が傾く。地面が揺らぐ。

 否、立っていた血肉の柱が――ぐらつく。

 当然、その上に載っていた、俺の身体も――


(……あー……終わった、っぽい……)


 手が、痺れて。


 腕も、重くて。


 腰から下が、動かなくて。


 目の前が、斜めになって。


 気持ち悪さだけが残っている。


 めまいがする。


 耳鳴りがする。


 端的に言って吐きそう。


「……ぅ、ぷ……っ」


 ふらりと、身体が宙を泳ぐ。


 浮いている。落ちている。


 上も下も、右も左も、よくわからない。


(あー……これはオチる)


 視界が霞む。


 目の前が暗くなる。


 意識が――


「――んぎゅっ」


 身体全体を、鈍く叩く衝撃。


 口から漏れ出た声を聞いて――






 ――そうして、俺の意識は暗転する。

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