" 4年前 "

 4年前の、あの日。

 俺たちが愛した『犬』の、サービス終了の日。

 『犬』で知り合った、3人の、気の置けない友人たち。

 デューオ、小夜、そしてカノン。

 サービス終了の打ち上げと称して、彼らを我が家に招いて、オフ会をした日。


 ゲームの中でしか逢ったことのなかった彼らと、現実でも出逢って。

 出逢った直後に、デューオにびっくりして。

 小夜に殴られて、カノンの姿に息を呑んだ。

 デューオに驚いたのは、彼が銀色眩しい車椅子で来たから。

 小夜に殴られたのは、デューオへの反応を咎められたから。

 カノンに息を呑んだのは、彼女の姿が『犬』でのアバターと瓜二つだったから。

 まるで『犬』の世界から歩いて出てきたかのような――小さな、黒い髪の少女。


 姿も声も違うのに、なんの違和感もないデューオと小夜の後ろから、挨拶をする。

 あの世界からこの世界へと渡り歩いてきた少女の声は、鈴の音のようだった。



 *────



 そうして……その日俺たちは、『犬』の話を肴に、酒を酌み交わしながら語り合った。

 気の置けない関係だったから、打ち解けた話もした。

 現実での距離の遠さが、却って口を軽くした。

 お酒が入ったあとは、特に小夜が酷かった。

 ああはなるまいと固く誓ったものだ。


 ――夜も更けて。

 デューオと小夜が潰れたあと、俺とカノンが残り。

 当時はまだお酒を飲めない年齢であったはずのカノンも、酒豪二人の酒気にてられたのか。

 彼女は俺に、とろんとした目で、それを打ち明けた。

 そのときはじめて、俺はカノンのなかにある、暗い衝動の正体を知った。


 その衝動の結果だけは、見たことがあった。

 『犬』での彼女の振る舞いは、やはりどこか、尋常じゃなかったから。

 でも、ワンダラーなんて人種は、どこかしら尋常じゃなかったから。

 そういう人もいるだろうと、一般的なワンダラーの括りで見ていた。

 ワンダラーなんて言う人種は、なにかしらおかしいのだ。

 そのおかしさが、この仮想現実世界での自殺行テレポバグへと駆り立てる。


 テレポバグ先でしか味わえない愉しみを、味わうため。

 テレポバグを使うことで、その愉しみを容易に味わえるため。

 最終的に死ぬとしてもなお、テレポバグにのめり込む。

 それが、ワンダラーという人種の共通項だ。


 ある男は、生き足掻くのが愉しかったから。

 ある女は、ものを壊すのが愉しかったから。

 ある男は、現実の身体では味わえない刺激を愉しみたかったから。

 そして、ある少女は――それらのどれでもなかった。


 彼女が、テレポバグにのめり込んだ理由。

 彼女が、ワンダラーになった理由。

 それは――から。


 つまり、そういうことだった。

 彼女は、無数の死を味わうために、テレポバグに熱中した。

 彼女は、殺されるために、ワンダラーになったんだ。


 彼女のうちには、破滅願望とでもいうべき衝動がある。

 いつからか彼女のうちに埋まっていたその種は……一時期は、押し込められていたものの。

 彼女が高1の夏にみたという『犬』の動画で発芽してしまった。


 『犬』の世界で彼女は、その衝動を充足させていた。

 仮想現実のなかなら、いくらでもそれを満たすことができたから。

 『犬』の極限の現実感が、彼女にその充足を可能とさせたから。


 何回でも。

 何十回でも。

 何百回でも。

 何千回でも。


 死ぬことができる。


 殺されることができる。


 自らの衝動を、充足させることができる。

 とりわけテレポバグは、彼女の衝動を満たすのに、ちょうどいい手段だった。



 *────



 そんなに死にたいならリアルで死ねばいいって?

 ……まぁ、もう少しだけ待ってくれ。

 どうやら、そう単純な話でもないらしい。

 なぜって彼女のは、願望じゃないんだ。


 彼女のそれは、願望。

 彼女は死にたいんじゃない。

 死ぬだけでは、足りない。

 死ぬだけでは、満足できない。

 どうしようもなく――破滅したいんだ。


 走って、逃げて、躱して、それでも駄目で。

 自分の力ではどうしようもない状況に追い込まれて。

 あがいても、泣き叫んでも、もう助かる見込みはない。

 動悸がする。眩暈がする。

 視界が揺れる。息が出来なくなる。

 耳鳴りがする。思考が焼け落ちる。

 動かないといけないのに動けない。

 迫りくる存在の終わり。

 鳴り響く本能の警鐘。

 逃げ場はない。

 助かる見込みはない。

 自分の意志では、決して逃げだすことができない。


 そんな詰みの状況に追い込まれたうえで。

 死にたかった。殺されたかった。

 自分ではもうどうしようもない状況に追い込まれて、その上で破壊されたかった。


 たとえば、飛び降りはいい。

 飛んだ後に、もうどうしようもないから。

 たとえば、毒物もいい。

 飲んだ後に、もうどうしようもないから。

 たとえば、入水でもいい。

 足におもりをつけてしまえば、もうどうしようもないから。


 でも……できれば。

 本当は、死への道程に、自分の力が介在しないような。

 自分の力ではどうしようもないような、他者から与えられる不可逆不可避の破滅のほうがいい。


 そちらの方が、愉しい。

 そちらの方が、悦ばしい。

 そちらの方が、気持ちいい。

 だから、彼女はワンダラーになった。

 世界に殺してもらうために。


 待ち受ける死が確実であればあるほど、

 死を待ち受ける時間が長ければ長いほど、

 味わう絶望も深くなる。その愉悦も深くなる。


 苦痛という単なる過程ではなく、死という単なる結果でもない。

 死に至るほどの致命的な苦痛を。

 逃げ場のないをこそ求める極限の被虐症。

 それが……彼女の抱えていた衝動だった。



 *────



 4年前のあの日。

 俺たちが、たった一度だけ、現実世界で顔を会わせた日。

 『犬』のサービス終了の打ち上げオフ会の名を冠した場で、彼女はじっと、俺を見ていた。

 それはまるで……なにかを様に。


 デューオと小夜が酒で潰れた後。

 酒気や眠気だけではない、なにか仄暗い情欲に濁ったその眼で、俺を見て。

 ささやかな酒宴の夜、不意に訪れた静寂に、溶け込ませるように。

 囁くように、だけどはっきりと、彼女は言った。



   ふーがくん 


   わたしを 


   こわしてくれませんか 



 その声に含まれていた甘いしめりけ。

 俺だけに届けられた、小さなささやき。

 今ではなくここでもない、どこか遠い場所を映した瞳。

 そこに渦巻く、縋るような、祈るような、濁った黒い光。


 ……いったい何度、夢に見たことだろう。

 何度繰り返しても変わらない、須臾の記憶。

 そのすべてが、俺という人間の根底に、刻み込まれている。



 *────



 俺はワンダラーとして、恐らくは彼女の一番近くで、『犬』での彼女の死に様を見続けた。

 だから、彼女のその「おねがい」の意味を、程なく察して。

 それが、文字通りの意味であると、察して。

 俺の思考は、文字通り凍り付いた。


 目の前の少女の、濡れた瞳。

 そこに浮かぶ色を見たのは、はじめてのことではないのだ。

 底の無い沼に足を取られ沈んでいくとき。

 巨大な甲殻生物に半身を潰されたとき。

 鋭利な牙でその身を喰いちぎられるとき。

 有毒ガスで窒息しながら身体を痙攣させているとき。

 もはや決して逃げ場のない、じわじわと迫りくる破滅のなかで。

 彼女の瞳は――情欲に濡れていた。


 そういう傾向が彼女にあるのは、知っていた。

 そういう人もいるだろうと、受け入れていた。

 ……つもり、だった。


 その瞳でいま、目の前の少女が、俺を見ている。

 だから――わかってしまう。

 彼女のその言葉は、俺への遠回しな告白などでは決してなく。

 その瞳に浮かぶ情欲は、俺への恋慕の現れなどでは決してなく。


 踏み潰してほしい。

 縛り付けて欲しい。

 首を絞めて欲しい。

 手首を折り砕いて欲しい。

 目を潰してほしい。

 穴を穿って欲しい。

 二度と戻らないように、取り返しがつかないように。

 文字通り、彼女の人生と人格のすべてを不可逆な形で破滅させて欲しいという、

 なんの含みも持たないお強請ねだりだと、わかってしまった。


 ……。

 

 彼女の奥底にある、その業は。

 およそ凡庸な人生を歩んできた俺が覗き込むには、あまりにも深すぎた。

 


 *────



 『犬』はあくまで視覚と聴覚のみを同調させる仮想体験だから、とか。

 実際に破滅体験そんなことさせるわけにはいかない、とか。

 現実で痛みを味わっていないからそんなこと言えるんだ、とか。

 『犬』での体験は、現実の苦しみで代用できるものじゃない、とか。

 よせ、早まるな、とか。

 そんな浮ついた言葉を、俺は彼女に掛けなかった。


 そういう人には深く関わらないのが賢明な判断?

 否定せず聞いてあげるのが正しい処方カウンセリング

 ……もちろん、そんな立派な理屈を考えての事じゃない。


 その日俺は、もう、見てしまっていたから。

 カノンの両手首のリストバンドと、その下に隠していたものを。

 手折れそうなほど細い首に蛇のようにまとわりついた、幾重の古い痣痕あざあとを。

 小さな手の甲に刻まれた、なにか細いもので抉られたような歪なきずを。

 きっと俺が見たものは、彼女の創のほんの一部で――それだけで、十分だった。


 彼女の破滅願望は、確かに『犬』で満たされていたけれど。

 それは、決して。

 『犬』で生まれたものではなく。

 『犬』で育まれたものでもなく。

 『犬』とともに枯れ去るものでもなく。

 どうしようもなく、彼女を構成する一つの人格ペルゾーネンそのものだった。



 *────



 あの日、俺は彼女を救えなかった。

 あの日、俺は彼女を壊せなかった。

 あの日、俺は彼女を否定できなかった。

 彼女が、数少ないワンダラーの同志だったからではない。

 彼女が、かけがえのない友だったからでもない。


 ただ怖くて。

 恐ろしくて。

 その破滅への情欲を、俺への恋慕とか依存にすり替えようとすらしなかった。


 結局――俺は隣合う彼女の身体に、ほんの少しだけ触れた。

 だけど、彼女のなにかを奪うことはできなかったし。

 決してなにか、癒えない傷を与えることもできなかった。


 そのとき俺は、告げた。

 その情動は、俺では満たせない、と。

 『犬』は終わってしまうけど、また『犬』のような、その情動を発露できる、どこか別の場所が現れるはずだ。

 それまでは、俺やデューオや小夜、そしてこの社会に生きるたいていの人がそうしているように、それを押し殺して生きていくしかない。

 捨てることができないならば、せめて抱えて生きていくしかない。

 そんな言葉をほろ苦いオブラートに包んで、俺は彼女に告げた。

 微睡んでいた彼女に、その言葉が届いていたかどうかは、わからないけれど。


 その翌日、俺たちは、何事もなかったかのように解散した。

 結局俺たちは、リアルの名前すら不明のままだ。

 デューオと小夜は頭を痛そうにしていたし、カノンはさみしそうな顔をしていた。

 だけど……カノンは、その場には留まらなかった。

 俺に、それ以上なにかを強請ることはなかった。

 俺は、彼女の期待に応えられなかったのだ。


 だから、きっと。

 彼女はもう、俺に期待することはないだろうと。

 俺はもう、彼女の姿を見ることはないだろうと。

 俺と彼女の関係は――ここで終わるのだろうと。


 2週間前、あの宛名のない手紙が届いたときでさえ。

 彼女だけはその差出人でありえないと、そう思った。


 俺は。


 俺は――



 *────



 俺は、この4年間、考え続けてきた。

 あのときの俺の選択は、彼女にとって、より善い選択だったんだろうか。

 あのとき俺は、彼女になにかしてあげるべきだったんだろうか。

 その破滅願望を、別の情動に巧妙にすり替えてあげるべきだったんだろうか。


 ……「彼女の願望を他のものにすり替える」?

 どの口が、言うんだ。

 お前だって、どうしようもなくワンダラーでしかいられなかっただろう。

 『犬』が終わった後も、のめり込むものを見つけられずに彷徨っていただろう。

 同じ穴の貉が、自分ができもしなかった理想を吐いて、どうしてまともなツラをしていられるんだ?


 たとえばあの時揺れていた彼女を俺に依存させたとして、それで彼女の不安が満たされたような気がしたとしても。

 それは、上から覆いを被せただけだ。

 彼女の奥底にあるものから、目を背けているだけだ。

 いつかきっと――爆発する。

 『犬』を失った彼女は、どこへ向かい、どこまで辿り着く。


 ……衝動の捌け口を見失っていた彼女。

 その衝動の充足を、俺に求めた彼女。

 俺は、彼女を傷つけなかった。

 彼女の願いを、叶えなかった。

 でもそれは、彼女のためじゃない。


 彼女を構成する、彼女の傷痕は。

 彼女が彼女らしくあるための、存在の証。

 手折れそうな首の、古い痣痕。

 手首のリストバンドに、覆われたもの。


 

 俺は、彼女と一緒になったあと、自分の家のどこかで。

 自壊している彼女を見るのが――恐ろしかったんだ。



 *────



 まあ……でも、さ。

 流石に4年経って、いい大人になって、思うわけだ。

 どんなに理屈で考えても、結局のところ。

 当時の俺は、どう考えても――チキった。

 現実で逢ったカノンの雰囲気が、あまりにも本物過ぎて、呑まれてしまった。

 彼女が放つ重圧に押し潰されてしまった。

 俺の思考は正常に回転していなかった。冷静じゃなかった。

 4年前、人生経験が未熟で、精神がまだガキだった頃の俺でも、ちがう道を選ぶことはできたはずだ。

 運命論、その選択しか選べなかったなんて、口が裂けても言わせはしない。


 別に彼女を壊すとか、傷つけるとかじゃなくて。

 その後も彼女の傍で、情動の代替行為を一緒に探してあげるとか。

 彼女の破滅願望の根底に根差すものを一緒に見つめなおすとか。

 彼女が自分を傷つけられないように手を握ってあげるとか。

 そんな不器用な、二十歳はたち超えた大人らしくもない方法で。

 衝動の捌け口を失って、不安定だった彼女を支えることを試みる余地は、いくらでもあったんだ。

 たとえそれが失敗に終わるとしても、試みるべきことは、あったんだ。


 俺はカノンのことはよく知っていたけれど。

 現実での彼女のことは、何も知らなかった。

 リアルで会ったのは、その時だけ。

 その時その瞬間の彼女の心の内は、きっと理解できていたと信じているけれど。

 その背後に延びる、彼女が歩んできた人生については、なにも知らなかった。

 あの時の俺はただ、彼女の身体に刻まれた傷痕だけを見て。

 きっとロクでもなかったんだろうと、ただ決めつけてしまったんだ。


 それに……そもそも。

 俺に壊して欲しいというのは、彼女の本心だったのかもしれないけれど。

 それって、いったいどういうことだったんだろう。

 だって、壊れたいだけなら、方法は他にもいろいろあったはずだ。

 彼女がこれまでそうしてきたように、自傷するとか。

 暗い路地裏に、ふらりと入り込むとか。

 夜の街で、自暴自棄に振舞うとか。

 そういう手段もあったはずだ。

 そういう破滅もできたはずだ。

 壊されたいと、彼女が望んでいたように。

 壊したいと思っている人間も、この世界には居る。

 俺が、そういう人間じゃないことは、彼女もわかっていたはずだ。

 ワンダラーとしての俺の愉しみ方は、最期まで生き足掻くこと。

 みっともなくても、無様でも、死にかけても、死のうとはしない。

 その信念は、破滅を望む彼女のそれとはおよそ相容れない。

 ……それなのに、あのとき彼女が俺に頼んだ理由。

 それって、実は重要だったんじゃないか。


 あの、お互い全員が身内同士のようなオフ会で。

 彼女は、満たされぬ破滅願望に濁り切った瞳で。

 デューオにではない。

 小夜にでもない。

 自分カノンにでさえない。


 彼女はおれに、その衝動の充足を頼んだんだ。

 それを満たせるのは俺だと、彼女は思っていたはずなんだ。

 それは『犬』を失った彼女がその場で思いついた、限られた選択肢のなかで。

 選択肢の中ではまだマシ程度の、妥協案に過ぎなかったかもしれないけれど。

 彼女が気づいていたかどうかもわからない、その小さな差を。

 そのとき俺は、もっと大切に拾い上げるべきだった。

 ということを、もっと考えるべきだった。


 そう――そこなんだ。

 最初からそこに、得るべき答えはあった。

 彼女はもう、4年前の時点で、気づきかけていた。

 俺も、4年前の時点で、気づけたはずなんだ。


 ……今なら、わかる。

 彼女が俺に頼んだ、その理由を。



 *────



 彼女の衝動と、俺の衝動は、表裏一体だった。

 俺の傍にいれば、彼女の衝動は満たされる。

 俺たちのいる場所は、最初から重なっていた。


 これが、この4年間考え抜いて出した、俺の答えだ。



 *────



 徹底的な破滅を望む彼女の衝動と、生き足掻きたいという俺の衝動。

 死にたいと思う彼女と、生きたいと思う俺。

 それは相反していて、決して交わらないように見えるけれど。

 でも――そう見えるだけだ。


 彼女の破滅衝動を十全に満たすためには、彼女は簡単に死ぬわけにはいかない。

 自分の力ではどうしようもないところまで、追い込まれないといけない。

 どうしようもない破滅ってのは、そういうことだ。

 だから彼女は、死にたいと思っても、足掻かないといけない。

 死ぬ瞬間まで、死から逃れようとしないといけない。

 そうしないと、から。


 でも……それってさ。

 俺のやってることと、実はまったく同じなんだ。

 どちらも、死にかけて、足掻きたがっている。

 ちがうのは、そこに見出している愉しみの差だ。

 俺は、足掻くこと自体を愉しんでいる。

 彼女は、足掻きの中で得る苦しみを愉しんでいる。


 過程は同じで、しかも――結果も同じだ。

 だってどっちも、結果なんて、はなからどうでもいいはずなんだ。

 俺は、最期に死んでしまったとしても、それを愉しめる。

 ならば彼女もまた、最後にとしても、それを愉しめるはずなんだ。

 彼女は、死という結果を求めているわけでは、ない。

 彼女はただ、死ぬほどの苦しみを得て、それを愉しみたいだけだ。

 死にたいわけではない。

 ただ死ぬだけでは――足りない。


 だから、俺と彼女の衝動は、表裏一体。

 最初から、ほとんど重なっている。

 その衝動を満たすために、やっていたことは同じ。

 俺たちが望んで歩いていた道は、最初から同じだったんだ。


 死の傍、死の淵、死線の先。

 死に限りなく近く、だけど決して到達はしない極限。

 そこに、俺たちのワンダラーとしての愉しみがあった。

 そこでしか、俺たちの暗い悦びは満たされなかった。


 だから。

 セドナ・ブルーの下で、彼女が言ったこと。

 彼女の、変わりたいという願いの、本質が。

 その衝動を、完全に消し去りたいというのではなく。

 彼女を成す人格の一つを、自ら否定したいというのではなく。

 ただ……俺と一緒に歩きたいということであるならば。

 彼女はなにも、変わる必要はなかった。

 彼女の衝動を、抑圧する必要なんてなかったんだ。

 それでも俺たちは、一緒に歩いていける。


 そして――彼女がそれ以上を望むとしても。

 俺と一緒の場所を、ただ歩くだけじゃなくて。

 俺と同じものを愉しんでいきたいのだとしても。

 そのように変わりたいと、願っていたとしても。

 彼女はなにも、棄てる必要はない。

 彼女はなにも、変わる必要はない。

 ただちょっとだけ、新しい愉しみ方を得ればいいだけだ。


 彼女のように、苦しむことだけではなく。

 俺のように、苦しみを得る行為自体も愉しめるようになればいい。

 苦しんで、愉しむだけじゃなくて。

 愉しんで、苦しめるようになればいい。

 そうすれば、いままでよりも2倍、愉しめるはずだ。

 俺がそうしているように、この世界を愉しめるはずだ。

 生き足掻くこと自体を、愉しめるようになる。


 愉しんで、苦しむ。

 新しい世界観パースペクティブの獲得。

 そんな、ちょっとおかしな見方を、カノンはもう――できるはずだ。


 カノンは、言った。

 俺のことを、だと。

 俺がそう言ったわけでもなく、俺が笑っていたわけでもない。

 死にかけて、血みどろの戦いをしている俺のことを、愉しそうだと言っただろう。


 ……気づいてるか、カノン。

 死にかけて、ぼろぼろになって。

 血を流して、痛くて、苦しくて。

 それが――愉しくて。

 それでも、死ぬつもりはない。

 それでも、足掻き続ける。

 死ぬためではなく、生きるために、足掻き続ける。

 そんな俺をと評したお前はもう、こっち側だ。

 痛み、苦しむだけが、愉しいんじゃない。

 足掻くことそのものが愉しいのだと、そう思える経験を、お前は今日、得ることができたんだ。


 カノンはもう、変わることができる。

 その準備はもう、ちゃんとできている。

 あとはもう、こっちに来るだけだ。

 だから俺は、カノンに手を伸ばしたんだ。


『カノンも、どう?』


 一緒に――のを愉しもうぜ?

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