影 08
話がまとまると、二人は、穴をはさんだ向こう岸を目指して歩きだした。
巨大な穴からは、少し距離を取る。万が一落ちれば、命は無いだろう。
穴の底からは、絶えず風鳴のような音がひびきあがっている。
風鳴は、耳を押さえたくなるほど大きな音になったかと思えば、聞き耳を立てないと分からないほど、小さくひびいたりもした。その音の変化に、メリーは不気味さを感じたようだ。時々穴のほうに目を向けたり、眉根を寄せながら肩をすくめたりしていた。
やっとのことで巨大な穴を迂回すると、遠目に見えていた不思議な街の全貌がはっきりとしてきた。
それはやはり、エイスの城下街ではなかった。エイスの街にはないような、独特の造りをした家がいくつもならんでいたのだ。
海のそばにあるような、石造りの街の一部があったかと思うと、その隣には、山奥にあるような丸太を組んで造った家がならんでいた。こまやかな細工がほどこされた立派な屋敷や、岩をくりぬいたような家もある。そのほとんどは、エイスの国の外でラトスが見たことがあるものだった。それらすべてが乱雑に混ざりあって、ひとつの街のようになっていた。
混ざり合った街に二人が足を踏みこむと、雲の影に入ったかのように辺りが暗くなった。
そこから見あげてみると、よどんでいた空がさらに暗くなっているようだった。渦巻いている雲も心なしか速く流れている。不安を駆り立てるような雰囲気が、辺りにただよっていた。
雰囲気が変わったからか、メリーは目を丸くさせていた。半歩ほど、ラトスのほうに寄って歩いている。ラトスは彼女の様子に気付いたが、あえて何も言わなかった。そのままの距離を保って、ゆっくりと歩いた。
街の中は、暗くなったり、明るくなったりを繰り返していた。明るい場所まできて、そこから見あげてみると、よどんでいる空も多少明るく感じた。
街の中を行き交う人々は、大通りを歩いている人々と変わらず、疲れた顔をしていた。そしてやはり、こちらを意識している者はいなかった。ぶつかりそうになるほど近寄ると、無意識に距離を取って避けていく。
ここまで来ると、ラトスもメリーも、人々の様子は気にならなくなってきた。普通ではないと分かってしまえば、なんということもない。むしろ、最初にいだいた強い違和感はすでに無くなっていた。こういうものだろうと思ってしまっているほどだ。
しばらく目を丸くしていたメリーも、街の様子にも慣れてきたらしい。ラトスからはあまりはなれないものの、物珍しそうに、左右を見回しながら歩いていた。
「……あれは」
街の雰囲気が少し明るく変わったところで、ラトスは突然足を止めた。
彼が向く先には、周りよりも少し背の高い、石造りの建物があった。建物の周りの石畳は土が多くかぶっていて、丈の長い雑草が生いしげっていた。しかし、建物の外壁は多少手入れされていた。一階の木窓と木戸は、全て閉ざされていた。木戸には小さな看板が打ち付けられていて、「ラングシーブ」とだけ刻まれていた。
「これって、ラトスさんのギルドの……?」
「……そのようだ」
ラトスは、木戸に打ち付けられている小さな看板を手のひらでなでる。
建物の周囲には、人影はない。建物の中にも、人の気配は感じられなかった。
ラトスは木戸に手をかけて、少し押してみた。
鍵は、掛かっていない。木戸は、ギイと鈍い音をたてて開いた。同時に屋内に光が差し込む。
「誰も、いないですね……」
「……ああ。そう、だな」
ラトスは無表情に応えると、中には入らずに屋内の様子をのぞいた。
弱々しい光が差し込んだ建屋の中は、いくつかのテーブルと椅子がならんでいた。その奥にはカウンターがあったが、いつも眠そうにしている受付の男もそこにはいなかった。
「入らなくていいのですか?」
「ああ、いいんだ」
ラトスは目をギルドの外に向けると、ゆっくりと木戸を閉じようとした。
戸は閉まりながらギイと鈍い音をたてて、戸が閉まりきると同時に、戸の内側でガチャリと鍵をかけるような音が聞こえた。
その音は明らかに、誰かの手でかけたかのような音だった。
二人はその音に驚いて、しばらく固まった。我に返ってからもう一度木戸を押してみたが、戸は固く閉ざされていて開かなくなっていた。
メリーは開かなくなった木戸を見て、目を丸くしながら顔を引きつらせていた。
だいぶ怖かったのだろう。
「えっと……中に、誰かいました?」
「いいや。いなかったな」
「……ええ……、えっと。……はい」
「大丈夫だ。俺も少し驚いた」
「……ですよねー」
メリーは顔を引きつらせながら、閉じた木戸とラトスの顔を交互に見る。やがて、絞るような声を出して、木戸からはなれるのだった。
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