影 05

 街の中心にあるはずの城が無いことに気付いたのは、少し経ってからだった。


 ラトスとメリーが歩いている大通りの位置から、城下街の中心まではまだ距離があった。

 しかし、どの大通りも、街の中心にある城まで一直線に延びている。何の障害物もないので、先にあるエイスガラフ城を望むことができるはずだった。


 しかし、二人の目に、城の姿は映らなかった。


「まさか、崩れたのか……?」

「こんな短期間に、ですか? ……そんなはずは!」


 メリーが驚いた声を上げて、先に走っていく。


 エイスガラフ城ほどの大きな建造物が、これほどの短期間に消えるだろうか。

 地震などが原因で崩れるなら、あり得るかもしれない。だが、それにしては、左右にならぶ建物に被害は無さそうに見えた。すすけて、手入れされていないだけだ。崩れているところは、どこにもない。先ほどとおってきた城門も、城壁も、崩れているようなところは特になかったように思えた。


 地震など、起こっていないのではないか。


 そんなはずは無い。いやまさか。そう思いたい気持ちを食いやぶるようにして、当然の思いが不意に顔を見せた。


 城は崩れていないし、消えてもいないのではないか。


「そうだな……。本当はもう、分かっていたことだ」


 走っていくメリーを目で追いながら、ラトスはにがい顔をして走り出した。



 城壁が、記憶のものより高いのはなぜだ?


 衛兵がいないのは?


 街がすすけて、石畳が汚れているのは?


 人々の様子がおかしいのは?


 土がかぶって汚れている石畳の上を、ラトスは走った。しばらく行くと、メリーが何かを見て、立ち尽くしていた。ラトスは走る速度を落として、彼女のすぐ後ろで止まった。


 そこは、城下街の中心だった。

 エイスの城下街ならば、そこには壮麗なエイスガラフ城があるはずだった。しかし、二人の前には、城の欠片もなかった。


「……そ、んな」


 メリーは言葉にならないような声をこぼして、汚れた石畳の上に崩れ落ちるようにして座りこんだ。


 地震など、起こってはいない。

 城は崩れてもいない。消えてもいない。そもそも、最初から無かったのだ。


 二人がいる城下街の中心には、エイスガラフ城の敷地よりもさらに大きい、巨大な穴が地面に開いていた。その穴は、自然にできた地割れなどのようなものではない。まるで、人の手で測り、切り取ったかのような、綺麗な円形の穴だった。


 のぞきこんでみたが、穴の底は見えない。

 その代わりに風も吹いていないのに、風鳴のような音が穴の奥底から聞こえてきていた。


 ここはまだ、不思議な世界のままなのだ。

 帰ってきてなど、いなかった。


 ラトスもメリーも、心のどこかで早く元の世界に戻りたいと思っていたのだろう。目的を持って旅しながらも、森の中で城壁を見た時に、やっと帰ってこれたと思いたかったのだ。きっと、この不思議な世界の力が、二人のその思いに付けこんだに違いない。ここが、エイスの城下街なのだと。思考をかきみだして錯覚させたのではないかと、ラトスは考えた。


 草原で出会ったペルゥが言ったとおり、ここは、草原に浮かぶあの巨大な岩山なのだ。

 城下街の外の森で感じたかぎりでは、岩山の上ではない。きっと、岩山の中に別の世界が広がっていて、そこに入りこんでしまったのだろう。


「……ここは、元の世界じゃない」

「ですね……」

「どうなっているんだ。ここは」


 巨大な穴をのぞきこみながら、ラトスは吐き捨てるように言った。


 穴の奥底からは、風鳴のような音が、絶え間なくひびきあがっている。

 ラトスはその音に、少し耳を立ててみた。それはやはり、風の音ではないようだった。

 何かがぶつかったり、金属をたたいたり、怒った人のような声や、苦しみに叫ぶような声などが混ざり合っているような音のようだった。


 メリーも同じ音が聞こえているはずだが、彼女は呆けながらも、うるさいなという顔をしているだけだった。きっと、聞いたこともない音なのだ。風鳴のような音だとしか、思っていないのだろう。


 だが、ラトスはこの風鳴のような音に聞き覚えがあった。

 これは戦場の音だ。この巨大な穴の底には、なぜだか分からないが、戦場がある。その音だけが、ひびきあがってきている。音を聞いていると、ラングシーブになる前の傭兵時代の記憶が、少しずつよみがえってくるようだった。そこに良い思い出など、無い。


 戦友がどうとか。人のためとか戦う意味とか。そんなものは全て、戦場のなぐさめである。

 戦場にあるのは、全て、ひどい音と、ふるえと、声と、感情と、匂いと、味と、血と、土と、凄惨な闇が、汚く混ざりあっているだけだ。


 この巨大な穴の底には、それがある。

 ラトスは傷のある頬を引きつらせながら、穴から目をそむけた。長くのぞいていると、昔のことを色々と思い出しそうで、嫌な気分になりそうだった。今のこの状況に、嫌な気分を上乗せするのは願い下げだとラトスは強く思った。

 隣を見ると、メリーはまだ少し呆けていた。目と口は、だらしなく半開きになったままだ。


「行こう。メリーさん」

「え……? あ。はい、そうですね……」


 メリーは、ラトスの声にハッとして顔をあげると、力なくゆっくりと立ち上がった。

 彼女はおそらく、旅慣れてはいない。予想を超えた非現実に、気持ちが追い付いていないだろう。本物のエイスの城下街にもどってくることができれば、現実ばなれした数日間からの束の間の解放になったはずだ。精神的な疲労は大きく、自身の力で立ち直るのは難しそうに見えた。

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