「10」

 小屋の扉を開けると、かすかに赤い光が二つ見えた。窓際に寄せられたデスクの下に機械の犬がいる。光る目があっても、口はない。随分と古い型の犬だ。飼い主の机の下がどうやらお気に入りらしい。

「少し雨宿りをさせておくれ」

 私が頭を下げると、犬の目が一度点滅した。イエスの意味と受け取ることにする。

 ダイニングソファは埃を被ってカビ臭い。テーブルの側の小さなスツールに腰かけると、キィキィと音を立て、犬が寄ってきた。まだ動けることに驚いた。

「私はミカというんだ。きみは?」

 知能はそれなりにあるらしく、犬が首を振ると、錆びたドッグタグが揺れた。表面に刻まれた文字は読めない。裏を向けると、やはり錆びていた。しかし、****10という数字が彫られているのは読み取れた。誕生日か、製造された年の末尾だろう。

「ごめん、10までしか読めない」

 心なしか残念そうに振っていた尾を下げた。申し訳ないが、名前を見付けてやろうとは思わない。明日にはこの雨は止むだろう。一晩、強く打ち付ける雨をしのげたらよかった。


 雷の音を気にする様子もなく、犬はまたあのデスクの下へと潜り込んだ。

 主人とおぼしき二人はすでに骨と化している。一人はベッドに横たわり、もう一人はこの犬のお気に入りのデスクの正面に伏している。家主のそばを離れない。プログラムされた思考とはいえ、健気なものだ。



ランプを付けようと思ったけれど、うっすらと部屋の中は把握できた。ベッド、四角いテープルと椅子が二つ、ソファ、調理台とおぼしきものには皿が放り出されたままだ。期待していなかったが、蛇口を捻ってもなにもでない。放置された部屋だ。


「でも、君はまだ動いているんだね」

話しかけるとキィと軋みながら、体を動かした。転がったものは何かの金属の蓋だ。この犬の付属のパーツだろう。倒れた紳士に注意して、デスクの内側を覗くと小さな金属の箱が見える。よく見ると少し尾が伸びて、その箱と繋がっている。

「君はこの箱ひとつで生きているのかい」

返事はないが、どこか誇らしげにも見える。誉めたつもりはない。


 一方通行の会話のあとに窓の外が光った、轟くような雷鳴に私がびくと肩を震わせると、犬はゆっくりと私の足元にやってきた。犬の頭を撫でると、ざらついた鉄の冷たい感触がした。

「ありがとう」

 赤い目がまた点滅した。どういたしまして、だろう。


 テーブルの上の埃を払い、腕を枕にして突っ伏した。鞄からイヤホンと音楽プレーヤーを出す。目を閉じれば、どこでも眠れる。朝には自動的に目が覚める。そんなふうにできている。




***

 小鳥の囀りとともに、私は目を覚ました。

 雨は止んで、空は晴れ渡っている。

 犬はまだ足元にいた。頭を撫でてやる。

「ありがとう」

 身仕度を整え、部屋から出ようとすると、犬は玄関扉の前に伏せた。

「悪いね、もう行かなきゃいけないんだ」

 聞き分けのよい犬だから、すぐに引くと思った。

「君はここを守っているんだろう?」

 私が扉を開けようとすると、赤い目が高速で連続点滅した。ノー。

「勝手にお邪魔したのは悪いと思ってるよ。でも、私はまだ旅の途中なんだ」

 犬の目はまだ点滅している。声がなくとも、騒がしいものだ。

「退いてはくれない?」

 点滅は一旦止まり、また一度点滅した。イエス。

「何かしてほしいの?」

 また一度点滅した。イエス。

「どうしろと?」


 犬は立ち上がって、扉を押し開いた。軽い扉のドアノブはすでに役目は終えたらしい。少し先で、犬は何度もこちらを振り向く。

「ついてこい、と」

 ここで走って逃げてもよかったが、一晩の恩を無下にもできない。犬についていくと、小屋の裏手の林がある。昨日の雨でぬかるんだ地面に、私と犬の足跡が続いていく。


 林の奥に少し開けた場所があった。犬はそこで立ち止まった。


 深い溝が二つ。

 窪みには、人間が一人横たえられそうな空間がある。

なるほど、墓穴か。



 しかし、昨日の雨で穴は大きな水溜りになっていた。犬は尾を下げて、目の前の光景を確認して回っている。しばらく考えるように空を仰ぎ、前足で穴を掘り始めた。夜にはわからなかったが、犬の前足が土に汚れてかなり削れている。犬は何度もこの作業を繰り返していたのかもしれない。


「仕方ないな」

 一度小屋に戻り、シャベルを手にした。湿った土はずっしりと重い。掘って、掘って、また掘り続ける。

 大きくて深い墓穴ができたときには、太陽は真上にきていた。額を汗が伝っていく。

「もういいだろう」


 深い穴ができ、二人を埋めるのに十分だ。

「ひとつの穴で勘弁してくれ」

 犬の目は一度点滅した。

 小屋の外に立て掛けてある一台の台車を拝借し、二人を乗せて、ぬかるんだ道を進む。こちらも古いせいか、ガタガタとうるさい。揺れる骨を落とさないように進んだ。


 二人の骨を慎重に穴の中に寝かせた。

 倒れていた紳士は意外と背があったようで、少し足を曲げてやる。

「埋めるのはできるかい?」

 聞く前に犬は後ろ足で土を蹴っていた。白い骨はどんどん土を被っていく。

 私もシャベルで上に土をかける。穴が塞がるのは掘るよりも簡単だった。

「悪いが、墓石は用意できていないよ」

 話しかけても、犬の目は光らない。伏せた状態で止まっている。

「今度はここを守るんだね」


 犬の頭を撫でてやる。

「おやすみなさい」

 陽の光を浴びて、犬の目は光ってみえた。

(了)

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